12.麗しのレディ、お手をどうぞ
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ドレスアップしてジョイスと仮面舞踏会に出かけたシャーロット。
なにもかも初めての経験に胸を高鳴らせていると、ジョイスからダンスに誘われて――。
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一週間後。
ドレスの着付けを終えたシャーロットが、鏡の前に立っていた。
髪はいつもの黒髪のかつらのまま結い上げ、リボンを編み込んだ。ジョイスが彼の妹の宝石まで貸してくれたので、首と耳たぶに大粒の真珠が輝いている。今夜は未亡人のふりをする指輪もはずし、真っ白な絹の長手袋をはめていた。
「まあ、お嬢さま……」サラははちきれんばかりに目を丸くした。
ケント州でシュルーズベリ伯爵に仕えていた当時からシャーロットのことを美しい少女だとは思っていたが、あのころはまだ十五歳。正式なドレスアップもしたことがなかった。
しかしいま、鏡のなかにいる女性は、まさしくロンドン一のレディだ。あまりの美しさに、サラは涙ぐんでしまった。
シャーロットも初めて正装した自分の姿に、頬をバラ色に上気させて鏡を見つめていた。
こんな日が来るなんて思ってもいなかった。
しかも、これからジョイスと一緒に舞踏会に出かけるなんて……。
ジョイスはわたしのこんな姿をどう思うだろう。満足してくれるかしら。
居間を出て、中央階段を玄関ホールへとおりていく。
コツンと階段に靴音が響いた瞬間、ジョイスが顔を上げて彼女のほうを見た。一瞬にして彼の目が大きく見開かれ、驚きと感嘆の表情が満面に広がった。ゆっくりと階段をおりていく彼女を、食い入るように見つめている。見つめられるシャーロットのほうも、彼の熱いまなざしに動悸が激しくなっていくのを止められなかった。
「すばらしくきれいだ。言葉が見つからないよ」シャーロットの隣に寄り添ったジョイスは、ほかのものなど目に入らないといった様子で彼女を見下ろした。
真珠色のドレスは胸元が大きく開き、男装をしているときには考えられないほど胸元の肌があらわになっている。真っ白でなめらかな肌と、胸の上部のふくらみが惜しげもなくさらされていて、視線が吸い寄せられてしまう。
髪をアップにした彼女を見るのも初めてだが、すんなりとした細い首がなまめかしい。左耳の下あたりに、ほくろが三つ並んでいることにも初めて気づいた。思わずそこへ唇を寄せたい衝動に駆られたが、すんでのところで自分を律し、ジョイスは彼女の腰に手を添えた。
シャーロットは満足そうなジョイスの顔を見上げてうれしくなった。腰に当てられた大きな手のあたたかさと力強さに、全身がじわりと熱くなってくるような感覚にとらわれる。
正装したジョイスは堂々として、本当にすてき。
今夜はそんな彼の隣に自分が並んでいるなんて……。
「さあ、行こう」ジョイスの手が力強く彼女を前に押し出した。
馬車に乗り込むと、彼は二枚の色鮮やかな仮面を取り出した。彼のものは黒、シャーロットのものは濃いピンクで、どちらも金色の飾り彫りが施されている。目元だけを覆う形だが、それでも顔の半分は隠れ、人相がわかりづらくなる。
「今夜はこの仮面をつけて、ふだんとは違う自分になるんだ。ぼくはブランフォード侯爵じゃないし、きみもマダム・ノワールじゃない。ただの男と女になって、ダンスを楽しもう」
ジョイスの言葉に励まされ、シャーロットはうなずいて仮面を受け取った。ふたりして仮面をつけると、本当に別人になったような気がした。
ジョイスもいつも見る彼とは少し雰囲気が変わり、仮面の奥の瞳が強くまっすぐに彼女を見つめてくる。
シャーロットは馬車のなかの空気が濃密になっていくような錯覚に襲われて、彼の目を見つめ返しているうちに頭がぼうっとしてきた。向かい合って座っている彼の脚が少し伸ばされ、シャーロットのドレスのスカートに当たった。
ああ、もう息ができない――そう思ったとき、馬車が大きく揺れて止まった。
「着いたようだ」つぶやくようなジョイスの声で、シャーロットははっとした。
ふたりは馬車をおり、煌々と明るい大きな屋敷に入っていった。
すでに大勢のゲストが到着し、玄関ホールも廊下も人でごった返している。みな同じような仮面をつけていて、だれがだれだかわからない。夢の世界に迷い込んだかのようだ。
シャーロットはジョイスに腰を抱かれ、人のあいだを縫うようにして進んだ。大きな手が彼女のウエストを包み込み、守るように力強く引っ張っていってくれる。ムスクのような甘くピリッとした彼のにおいが、ときおり鼻孔をかすめた。
本当に夢みたい……。
大きな両開きのドアをくぐると、そこはまばゆいばかりの大広間だった。
シャンデリアがいくつも天井から下がり、部屋を黄金色に染め上げている。壁にも流麗な形の燭台が並んで、精緻な天井画や壁に飾られた絵画、彫刻などに光を投げかけていた。
目を丸くして部屋を見まわすシャーロットを、ジョイスはやさしげに見下ろした。
「なかなか立派な大広間だね」
「ええ、ええ! とっても! なんて豪華なお部屋なのかしら!」すっかり感激しているシャーロットを、ジョイスはさらに部屋の奥へといざなっていった。
楽団が準備を始めているので、もうすぐダンスが始まるはずだ。途中、ジョイスの姿を目に留めてちらちらと様子を伺う紳士や、ひそひそと扇の向こうで内緒話をする婦人の姿があったが、ふたりの意識はそこまで届いてはいなかった。
まもなく、最初のカドリーユが始まった。
四組の男女がひとまとまりになって踊るダンスに、ジョイスとシャーロットも加わった。
ジョイスが彼女を仮面舞踏会に誘ったとき、ダンスが踊れるかどうか尋ねていたが、いちおう踊り方は知っているという返事が返ってきた。舞踏会に出たことがないということで少し心配していたが、それはまったくの杞憂に終わった。ダンスが始まってすぐに、彼女はコツをつかんだようだ。
二曲目もカドリーユ。ふたりは楽しく踊りつづけた。
同じ相手と続けてダンスは踊らない――そんな社交界の決まりごとも、今夜はどうでもいい。
そして三曲目。
曲が始まってすぐ、ジョイスは待ってましたとばかりにシャーロットを抱き寄せた。
「ワルツだ」そう言って、さっと彼女をホールドする。腰を抱かれ、ぐっと体を近づけられて、シャーロットの脈拍はいっきに跳ね上がった。
心の準備をする間もなく、曲に乗ってふたりはくるくるまわり始めた。
その昔、シャーロットは少しだけワルツのレッスンを受けたが、実際に踊るのはもちろん初めてだ。男女が体を密着させて踊るワルツは“大人のもの”だから、とりあえず知識として教えておくにとどめますと家庭教師に言われた。
けれど、ここは本物の舞踏会。
しかも堅苦しいことは抜きで楽しむ、仮面舞踏会。
楽団もそれを心得ているのか、三曲つづけてワルツを演奏した。まわりでは休憩を取ったり、相手を変えたりしている男女が多かったが、ジョイスは彼女を離さなかった。
踊っているあいだ、シャーロットは常に彼の体温を感じていた。太ももがこすれあい、胸が合わさっては離れ、ときおり腰をぐっと抱えられる。心臓の鼓動が速くなりっぱなしだった。力強いリードで回転させられて、頭がくらくらしてくる。三曲のワルツが終わったときには、ふたりとも息を切らしていた。
心地よい疲労を感じながら、ふたりは大広間の壁際にさがった。
「こんなに踊ったのは初めてだ」笑いながら、ジョイスが熱い息を吐く。
「とても楽しかったわ。ダンスって本当にすてき」シャーロットも胸を上下させて笑顔で答える。
目と目で笑みを交わしあったとき、ジョイスは隣から軽い衝撃を感じた。
「ここにいらしたのね!」
ジョイスの腕にかかった小さな白い手が、シャーロットの視界に飛び込んできた。
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