06.彼女はテーラーであり、女性でもあり

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ジョイスの屋敷へ通って仕立て作業をすることになったシャーロット。

ふたりとも、テーラーと客という立場以上に相手のことが気になって――。


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 ブランフォード侯爵のタウンハウスは、高級住宅地メイフェアの一角にあった。

 採寸の翌日、シャーロットとサラは生地屋を連れてそこへ向かった。クリーム色の堂々たる石造りの屋敷は三階建てで、重厚な両開きの玄関扉には立派なノッカーがついていた。

 サラが小さな体で力いっぱいノッカーを打ちつけると、しばらくして重たそうな扉の片側がゆっくりと開いた。執事らしき初老の男が顔を出す。果たして彼は、執事のイアハートと名乗った。

 屋敷の側面にある勝手口にまわるよう指示され、そこからなかへ入った一行は、二階の広い居間に通された。すでにそこには大きなテーブルが置かれ、居間というより急ごしらえの作業場と化していた。

 生地屋の主人は馬車に乗せてきた大量の生地をさっそく運び入れ、テーブルに積み上げていく。シャーロットもまた、その生地をひとつひとつ吟味しはじめた。

 そうしていると、執事に案内されてブランフォード侯爵が入ってきた。

 ひと目見て、シャーロットの心臓はどきんと跳ねた。

 昨日はかっちりとした外出着で固めていた侯爵だが、今日はシャツと、ブリーチズと、室内履きというくつろいだ姿だ。クラヴァットも締めておらず、髪も軽くくしを通しただけ。

 侯爵の深いブルーの瞳と目が合い、微笑みかけられた。

「やあ」声かけまでもが、くだけた調子だ。

 シャーロットはあわてて視線をはずし、おじぎをした。「き、今日からよろしくお願いいたします」いやだ、なにをどきどきしているの? 落ち着いて。これから仕事なんだから。

 生地屋の主人は侯爵に美辞麗句の挨拶をまくしたてたが、侯爵はそれを早々に切り上げさせ、生地の選定に入った。侯爵自身の好みはもちろん、シャーロットのアドバイスを活かして、次々に生地を決めていく。

 ジョイスが実際に生地に手をふれたり、生地を体に当てて大きな鏡に映したり――そのたびに、シャーロットの目は彼の手、のど、肩、胸に吸い寄せられた。

 大きな手のひら。節のしっかりした長い指。大きな四角い爪。くっきりとしたのどぼとけ。広い肩と厚い胸板。これまでは気になったこともない男性の体の部分が、目についてしかたがない。

 それに、近くで動きまわっていると、彼のコロンだろうか、男らしい香りがしてどきっとする。

 だめ、集中して。こんなことではプロとは言えないわ。

 ふだんよりことさら無表情になっていることにも気づかず、シャーロットは内心へとへとになりながら作業をすすめた。

 終わってみれば、最高級のベルギーレースや飾り刺繍のための金糸銀糸も惜しみなく、ふんだんに取り入れられることになった。生地屋の主人はほくほく顔で、足りないものを追加注文すると言ってさっさと帰っていった。


「ふう」ジョイスは息を吐いて天井を見上げた。「生地を選ぶだけとタカをくくっていたが、とてつもなくくたびれるものだな」腰に手を当てて首をまわし、マダム・ノワールに疲れた顔をして見せる。

 思わずシャーロットは笑みを浮かべた。「そうですね。集中して考えたり悩んだりしなくてはいけませんもの。しかもこんなに長時間、ぶっとおしでしたから」

 彼のおどけたしぐさにシャーロットも緊張がほどけ、くすくす笑ってしまった。さっきまで無表情だった顔が急にかわいらしくなり、ジョイスの視線が吸い寄せられる。

 こんなふうに笑うと、ずいぶん幼く見えるんだな――。

 しかし目が合うと、彼女ははっとして真顔になった。「と、とてもよい選択をされていたと思います。仕上がりが楽しみですね」そう言って視線をそらした。

 ジョイスは一瞬にして消えた彼女の笑顔を惜しみながら、背筋を伸ばしてウォリスに向き直った。「疲れたし、腹も減った。お茶の用意をしてくれ、三人分」

 えっ? という顔をしたのはシャーロットとサラだ。

「あの、わたしたちはすぐに裁断に入りますので……」シャーロットが言いかける。

「いや、お茶ぐらい飲んでくれ。きみたちも疲れただろう」このふたりをどう扱えばいいのか、ジョイスは正直、はかりかねていた。身分を考えれば使用人となにも変わりはない。だが、やはり女性であるせいか、丁重に扱いたいと思ってしまう。いや、“女性だから”という理由だけではないのかもしれない……。

 さっき見た彼女の笑顔。

 笑うと、いっきに雰囲気がやわらかくなった。あの顔をもう一度見たい。なにを言えば笑うだろう? 少しでも彼女を見ていたくて、お茶を飲もうと言ってしまったのではないだろうか。

 すぐに執事は出ていき、ほどなくして彼らを呼びに戻ってきた。「お支度が整いました。こちらへどうぞ」


 一階のティールームは、明るい木目調とベージュで統一されたあたたかみのある部屋だった。三人がテーブルについて少しすると、メイドがお茶と軽食と茶器の載ったカートを押してやってきた。イアハートがそれを受け取り、給仕を始める。

「きみたちはパリから来たそうだが、ロンドンのティータイムはお気に召したかな?」ジョイスは気さくにふたりに話しかけた。

 シャーロットはサラと少し目を合わせたが、すぐに答えた。「そうですね、こんなふうにゆっくりお茶を楽しめるなんて、とてもよい習慣だと思います」

「フランスではこんな時間は持たないと?」ジョイスが興味深そうに尋ねる。

「パリの仕立て屋は忙しいですから」シャーロットは言葉を濁した。こんなふうに客からもてなしを受けたのは初めてで、どう接したらいいのかわからない。少女時代にはもちろんティータイムを家族で楽しんでいたが、そんな思い出話をするわけにもいかないし……。

 その後もジョイスからフランスでの生い立ちや生活についてあれこれと質問されたが、表面的な返事しか返せなかった。機転が利かなくて、そっけなくなってしまう。

 これは確かに手強いかもしれないな――ジョイスはマダム・ノワールのぎこちない態度を前に、どうすればいいかと考えあぐねていた。彼もそれなりの社交術は学んでいるつもりだった。女性というのはたいていおしゃべりで、菓子を食べながらだといっそう口がまわると聞いていたが、マダム・ノワールは違うようだ。

 なにか壁を感じる。踏み込んでいけない。いや、そもそもテーラー相手に踏み込む必要はないのだが……。

 もちろん、ブックメーカーの賭けに勝ちたくてマダム・ノワールに探りを入れているつもりはなかった。どういうわけか、そんなよこしまな感情は出てこない。単純に、純粋に、彼女を“知りたい”から話しかけている。

 ジョイス自身、自分の感情と行動がコントロールできていないように思えた。

 マダム・ノワールは、お茶を一杯飲んだところで席を立った。「ごちそうさまでした。これから生地を裁断しますので、二階のお部屋に戻ってもよろしいですか? 明日はさっそく仮縫いに入りたいと思います、ご都合はいかがでしょう?」

「空いているよ、一日じゅう」取りつくしまもないとはこのことか。ジョイスはやれやれといった様子で苦笑いした。


 作業部屋に戻ったシャーロットは、ふうっと息をついた。いつもの仕事より、ずっと神経がすり減っている。落ち着いて、冷静に。そう自分に言い聞かせているのに、いちいち彼に反応してどきどきしどおしだった。それを必死で隠そうとするから、よけいに疲れてしまう。お茶を一杯飲むので精いっぱい。

 こんな調子では、仕立ての出来にも影響しかねない。まだ先は長いんだから、気を引き締めていかないと。

 シャーロットは不安な気持ちを振り払うように、手を動かしはじめた。

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