01.傷だらけの侯爵は金色の乙女に出会う

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1815年。シュルーズベリ伯爵領はブランフォード侯爵領となっていた。

侯爵家を継いだジョイスは戦争で大けがを負い、療養のため新たな領地にやってくる。

そこで思いがけず出会ったのは――。


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 8年後

     1815年 8月

     ケント州 ブランフォード侯爵領(旧シュルーズベリ伯爵領)


 風光明媚で心やすまる土地だな。

 ジョイス・モールバラは、城の2階にある主寝室の窓から広大な領地を眺めた。

 よく晴れてさわやかな風が吹き、うねる丘や樹木の緑が目にまぶしい。

 海を背にして建つこの城は小高い岬の突端にあり、領地が遠くまでよく見わたせる。

 ジョイスがここに来て、まだ1週間。

 手に入れたばかりの領地はまだ召使いも少なく、快適に暮らせるとは言えないが、彼にはそういう状態のほうがかえって好都合だった。

 できるだけ人と顔を合わせず、静かにゆっくりやすみたい。


「少し散歩でもしてこよう」ジョイスは、ドア近くにひかえていた従者のウォリスに言った。

「では、すぐにご用意を――」上着と帽子と手袋、そしてステッキをそろえようと、すぐさまウォリスが動き出す。

 中年に差しかかろうというウォリスは執事のイアハートがロンドンで探してきた男だが、実直そうで好感が持てる。そのイアハートも、王子の紹介でロンドンからやってきたのだが。

「いや、いい。今日はあたたかいし、人と会うわけでもないんだ」ジョイスは片手を挙げてウォリスを制し、ゆっくりとドアまで歩いていった。

 従者が主人のためにドアを開ける。

「馬車をお使いになりますか?」

 なにしろここは広い。療養中の身である主人の体調をおもんぱかって、従者は尋ねた。

「いや、それもいらない。じっとしているばかりでは体がなまってしまう。少しずつ歩く距離を伸ばしていかないと。ほかにすることもないからな、のんびり歩いてくるよ。おまえもついてこなくていい」

「かしこまりました。どうぞ、お気をつけて」ウォリスはわずかに心配そうな表情を見せたが、主人に異を唱えることはなかった。


 先々月までヨーロッパ大陸でフランス軍と戦っていたジョイスは、だれもが認める優秀な陸軍中将だった。父親によって強制的に放り込まれた軍だったが、みるみる実力をつけ、あっという間に中将にまで昇進した。自分の力が認められるのは喜びであり、国のために戦うのは誇りであり、生きがいでもあった。

 王子が最前線までやってきたときもジョイスは護衛官としてそばにつき、身を賭して王子の命を守る役目を仰せつかった。そしてそのとおり、体を盾にして、飛んできた大砲の弾から王子をかばったのだ。生死の境をさまようほどの大けがを負ったが、こうしてなんとか生き延びた。

 しかしその少し前、ときを同じくして、侯爵家を継いでいた兄が流行り病で急死した。ジョイスは軍に残りたかったが、けがの治療や療養が長期にわたることを考えても、退役して家督を継ぐしかなかった。

 あの家には、もう戻りたくもなかったのに――。

 モールバラ家の男子はもう自分しかいない。いや、男女問わず、自分の代のモールバラはもはや彼ひとりになってしまった。

 ひとつ幸いだったのは、王子からほうびとしてケント州のこの土地を下賜されたことだった。

 ここは本宅のあるイングランド西北部のランカシャーより気候がいいし、ロンドンにも近い。

 なにより、母親と顔を合わせずにすむ。まだ住めるような状態でなくても早々にここへ移ってきたのは、だれにもじゃまされずに体を癒やし、気持ちの整理をつけたかったからだ。


 思ったとおり、外はさわやかだった。

 正面玄関に丸く植えられた芝の上を歩くと、ブーツを通してサクサクとした感触が伝わる。

 その芝を突っ切り、草花が乱れ咲く庭の小路に入った。

 手入れの行き届いていない庭にはつるバラが可憐な白い花をどっさりとつけ、名前もわからない色とりどりの花が群生し、野生のハーブ類まで生い茂っていた。

 これはさすがに庭師を入れたほうがいいな……。

 ジャングルと化した庭を眺めつつ、ジョイスは足を進めた。

 しかし、この庭にはどこかほっとするやさしさとかわいらしさがある。

 ランカシャーの本宅も丘陵地が広がる牧歌的なところだが、屋敷や庭はどちらかと言えば直線的でいかめしいつくりだ。


 今日は、城からいちばん近い敷地の境界まで歩いてみよう。それでもいまの自分が歩けば三十分はかかるだろうが……。森や小川もある方向へは、馬か馬車を使わなければならないほど距離がある。

 庭を抜けた先には、なだらかな上り下りをくり返す緑の草地が境界線まで広がっていた。

 療養中の軽い運動にはもってこいだ。

 のんびりとした足取りで、それでも額にうっすらと汗を浮かべて、境界の柵が見えるところまでやってきた。

 ふと、ジョイスは右手の少し先に目をやった。

 柵のすぐこちら側、小高くなったところに、大きな木が一本立っている。

 その木の陰に隠れるようにして、だれかが境界の外から柵に手をかけて立っていた。

 淡いグレーのシンプルなドレス。つばの広い大きな帽子。

 若い女性だ。

 輝く金色の長い巻き毛が、帽子からあふれんばかりにこぼれ出している。

 横顔しか見えなかったが、どこかさびしげで、思い詰めたような表情に見えた。

 すっと通った鼻筋と、唇からあごにかけての輪郭の美しさは、遠目にもよくわかった。

 若い女性が、こんな田舎の領地のはずれでひとり、なにをしているのだろう? のんびり散歩にやってきたという雰囲気でもない。

 ジョイスは妙に気になった。

 自然とそちらに足が向いた。走ることはできないが、さっきまでのゆったりとした歩みとは違う、少しでも早く進もうという足取りに変わった。

 当然、草を踏む音がざくざくと大きくなる。

 女性が、はっとしてこちらを向いた。

 大きく見開いた目、かすかに開いた唇、ふわりと躍った金色の巻き毛。

 美しい――。

 顔立ちもはっきりとわからないのに、美しい、と思った。

 次の瞬間、彼女は身をひるがえし、あっという間に柵の向こうに消えてしまった。

 ジョイスはあわてて駆け出そうとしたが、肋骨や肩に激痛が走った。

「うっ……!」背中を丸めてうずくまるしかない。

 痛みがじょじょに引くのを待ってから、ジョイスは少しずつ坂をのぼって大木の下までたどりついた。しかし人影は跡形もなく消えていた。

 彼女が見ていた方向に目をやると、その先には、いまやブランフォード侯爵家のものとなった城がたたずんでいた。

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