第66話 防人と銃士

放課後。ゴールデンウィーク明けのその日は正式入部締切日でもあったので生徒会の仕事が長引き、下校時刻を過ぎてなお、葵は生徒会室で一人書類と格闘していた。


「まったくこちとら怪我人だってのにまったく容赦なしだわね」


ぶつぶつと独り言で愚痴りながら生徒会長の決裁待ち書類を次々に処理していく葵。ちなみに、他の生徒会役員たちも葵の手伝いを申し出てはいたのだが、葵がそれらを断って先に帰らせただけのことなので他の生徒会役員たちは何も悪くない。


と、その時、生徒会室のドアがノックされる。


「はーい、どうぞ」


ドアを開けて入ってきたのは大介だった。


「おう、お疲れ。まだかかるか?」


「えーっと、この辺りの書類だけは今日中にどうしても終わらせなくちゃいけないやつだから……あと10分だけ待ってて」


「了解。こっちもさっきミーティングが終わったばかりでまだ準備は終わってないから焦らなくていいぞ」


「分かったわ。ちょっと適当に掛けて待ってて」


応接用のソファに大介が座るのを横目に確認し、葵は再び書類に集中した。



――10分後。急ぎの書類をきっちり終わらせた葵は大介と人気のない北校舎の廊下を歩いていた。すでに時計は18時を回っているが、夏至も近いので外はまだまだ明るい。北校舎の二階の窓越しに校舎裏を見下ろせば、サバ研の燻製窯スモーカーが立ち並んでいるあたりにサバ研の他のメンバーが集まっているのが見える。


「……そういえば、あたしは聞いてないけど、今日のコレはちゃんと許可取ってるんでしょうね?」


松葉杖を突きつつ、隣の大介に葵が半眼を向ければ、二人分の荷物を担いだ大介がにっと笑う。


「おう、許可の方は問題ないぞ。特に今回はそうそう手に入らない食材だから調理科の町森先生にお裾分けしたら大喜びで協力してくれたからな。食材の下処理に調理室も使わせてくれた……というよりあれは調理科の連中の補習授業みたいなもんだったな。希望者のみの参加だったがほとんど全員来てたっぽいし」


「あー、あの先生なら嬉々としてやりそうよね」


今日はこの後、北校舎裏でサバ研の仲間内での打ち上げがあり、当然のことながら葵も誘われている。そして、今回のメインの食材はあの熊だ。【狩人】遼によって血抜きされ、解体された熊肉はサバ研のメンバー達が手分けして持ち帰り、およそ1週間の熟成期間を経て供されることになったのだ。熊肉の料理に関してはさすがにサバ研にもノウハウはなかったが、マタギである遼の祖父に問い合わせたり、結花が所属する食物調理科の全面協力によって、つつがなく準備は調っている。


「それにしても、結花も美鈴ちゃんもメンタル強くなったわね。ちょっと前まで鶏を泣きながら絞めてたあの子たちが……あんなに怖い目にあったのに、その熊を食べる準備を嬉々としてやってるんだから」


「ふっ……そうだな」


「なに今の意味ありげな笑いは?」


「いやなに、あの二人、今日の部活で何やってたと思う?」


「え? この打ち上げの準備だけじゃないの?」


「それは後半だな。前半は、結花ちゃんは博士や忍者とバレットショットの改良のために意見交換をしてたな。威力はそのままに装填速度を速める方法を連休中にずっと考えてたらしい。俺も聞いてたがなかなか造詣が深くて面白かったぞ。結花ちゃんはああいう武器系大好きらしいな」


「……何やってんのよあの子」


「で、ネコちゃんの方は軍曹にくっついて格闘術の手解きを受けてたな。この前の熊相手の自分の立ち回りに不満があったようでな、次は熊相手にびびらずに前衛をやってみせると息巻いてたぞ」


「はぁ? あの子はまだ熊と戦う気なの?」


「俺もまさかそうなるとは思ってもみなかったが、なかなかタフだぞあの二人」


「……」


メンタルが強くなったどころか完全に振り切ってる感のある二人の様子に葵は言葉を失ったのだった。


そして、校舎裏に到着すると、サバ研の部室から持ち出されてきたらしい長机が置かれ、その回りに折り畳みのパイプ椅子が並べられ、サバ研のメンバーたちがそれぞれ料理をしたり、集まって談笑したりしつつしながら葵と大介の到着を待っていた。


レンガを組んだ簡易かまどに掛けられている大鍋をお玉でかき混ぜていた結花が真っ先に気づき、空いた手を振ってくる。


「おー、葵ちゃんも到着じゃんね。おつー」


「お待たせ。これは何?」


「熊鍋じゃんね。熊骨で出汁を取って、熊肉と大根とゴボウとゼンマイとタケノコを味噌味で煮てるよ」


「ふーん、見た目は思ってたより普通ね」


「まーね。熊の手とかそのまんまの見た目で出したりもするみたいだけど、さすがにキツいじゃん? うちもさすがにそういうのだったら遠慮したいけど、狩人先輩がきっちり肉にしてくれたやつだったからそんなに抵抗ないかな。ほら、野良鶏を毛抜きして頭と脚を落としたらただのホールチキンにしか見えなくなるのと同じ感覚?」


「ああ、なるほどね。確かにここまでなればただの肉よね」


「そうなのです! だからもうミネコは空腹で我慢の限界なのですよ! もう準備は出来ているので、葵先輩も立ち話してないで早く席に着いて欲しいのです!」


「あ、ごめんごめん。えと、あたしはどこに座ったらいいのかしら?」


「葵先輩には火のそばの暖かい場所に席を確保してるですよ」


と美鈴が葵を準備されていた椅子に案内する。初夏とはいえ夜は冷えるため、暖を取るためにいくつかの一斗缶で火が焚かれているが、そのうちの一つのそばに葵のための席が準備されていた。葵が座ると美鈴がささっと松葉杖を受け取り、膝掛けを広げて葵の膝に掛ける。至れり尽くせりの対応だった。


「あ、ありがとう」


ちょっと前まで恋のライバルだった美鈴からの下にも置かない対応にどう反応したらいいのか困る葵に美鈴がクスッと笑って耳元でささやく。


「……気にせずに今まで通りに接して欲しいのですよ。ミネコはもう完全に吹っ切れてるので、むしろ今まで邪魔しちゃった分、先輩たちには幸せになって欲しいから応援するのですよ」


「……美鈴ちゃん」


「元々先輩たちは両想いで付け入る隙なんか無かったのです。お二人が正式にお付き合いを始める前から薄々気付いてたので、実はそこまでショックは受けてなくて……やっぱりダメだったかぁって程度なのですよ」


と、肩を竦めてヘラッと笑ってみせる美鈴。


「そんなことよりお肉です! 大介先輩はこちらの葵先輩のお隣に座ってください。ミネコはとりあえず配膳を手伝ってくるのです!」


そう言って鍋のそばに走っていく美鈴。代わりに葵の隣に腰を下ろす大介。


「ネコちゃんとなにを話してたんだ?」


「ないしょ話。ただ、美鈴ちゃんって本当にいい子だなって思ってね」


「おう、自慢の後輩だ」


葵の感想に大介はまるで自分のことを誉められたかのような笑顔を見せたのだった。


美鈴の言うとおりすでに準備は終わっていて葵と大介の到着を待っていただけのようで、出来上がった料理が次々にテーブルの上に運ばれてくる。


野良鶏の肉の串焼きは岩塩と黒胡椒だけの味付けのシンプルなものだが、炭火で適度に焦げ目のついた絶妙の焼き加減が食欲をそそる。


サバ研ベーコンを贅沢に分厚く切り、今が旬の新じゃがのスライスと一緒に炒めたジャーマンポテトは、鋳鉄のスキレットフライパンごとテーブルに置かれているので今なおジュージューと脂の弾ける音を立てている。


そして、メインである熊鍋が大鍋ごとテーブルに置かれ、美鈴がそれぞれの器に具だくさんのそれを注ぎ分けていく。葵の前に置かれた深皿によそわれた熊鍋からはトンコツとはまた違う独特の風味と味噌の香りが立ち上ぼり、葵は猛烈な空腹感を自覚した。


配膳が終わり、全員が席についたのを確認してから大介が立ち上がる。


「よし、皆、忙しい中だったが準備ご苦労だった。今回の捜索活動の反省会はすでにやっているし、このご馳走を前に長々とお預けしたらネコちゃんが暴れだしそうだから手短に済ますぞ」


「ちょ、酷いのです! ……むー、なんでみんなも笑ってるんですか!」


大介の言葉に全員がどっと笑い、美鈴が膨れる。


「今回はまぁ不手際もあったし、運に助けられた部分もあって正直なところヒヤリとさせられる場面もあったが、それでも結果的には皆の協力で葵は無事に救助できたし、熊も倒すことができた。この最高の結果に至れたのは、全員が自分に出来るベストを尽くした結果だ。誰が欠けてもこの結果は望めなかっただろう。だから、本当に皆、よくやってくれたっ!」


いえーい! パチパチパチと歓声と共に拍手が鳴り響く。


「さあ、今日は打ち上げだ! 互いの健闘を讃えつつ食べて飲んで楽しもう! 皆、手を合わせてくれ。……いただきますっ!」


『いただきまぁぁす!!』


大介の音頭に全員が唱和して打ち上げが始まる。葵はさっそく、湯気の立ち上る熊鍋のスープを一口啜ってみた。驚くほど濃い出汁の旨味と味噌と香味野菜の味のハーモニーに思わずほぅっと声が出る。


「……すごいわね。個性の強い食材ばかりなのに味が喧嘩しないでちゃんと美味しくなってるわ。なんて言うか……キャラの濃い連中が集まってるのに仲が良い……っ! そっか、まるでサバ研みたいな鍋ね」


「ほぉ! そりゃいいな。じゃあこれからサバ研を紹介するときは熊鍋みたいなクラブだと言えばいいってことか」


「ちょ、待て。熊鍋みたいって説明されて誰がイメージ出来るんだよ。却下だ却下」


葵の感想に大介が楽しそうに笑い、一成が半眼で切り捨てる。


「おおー、熊肉ってけっこう甘味があるですね! しかも思ったほど固くないです」


「そうじゃろ。甘味と旨味が強いのが熊肉の特徴じゃぞ。……じゃが、熊肉はそこそこ固いはずなんじゃが?」


「ふふーん。そこはうちが柔らかくするために一手間かけたじゃんね。剥いた大根で肉をあらかじめ叩いておいたから大根の酵素作用で肉が柔らかくなってるんじゃんね」


熊肉を満面の笑顔で噛み締める美鈴に首を傾げる遼。どや顔で胸を張る結花。


「ふむ。そういえば茹で蛸を柔らかく仕上げるために大根で叩くというのは聞いたことがあるな」


「ほほう。そんな調理法があるたぁ初耳でやんすが、日本の料理は奥深いでやんすな」


「ボクらの料理は割りと適当だからねぇ。レストランの娘で調理科の生徒の結花ちゃんが入ってくれたからこれから料理の幅が広がるといいねぇ」


「害獣駆除の依頼も増加傾向でありますからな。狩った肉が無駄にならないのは良いことであります」


結花の説明に納得顔の忍と感心するジンバ。レパートリーが増えることを期待する清作と哲平。それぞれが談笑を楽しみながら、初夏の夕暮れは過ぎていく。


やがて、食事も一段落した頃、大介が立ち上がり、パンパンと手を叩いて注目を集める。


「さて、宴もたけなわだが、一つ発表がある」


全員が注目するのを待って大介が続ける。


「知ってのとおり、今日は正式入部締切日だ。ネコちゃんも結花ちゃんもすでにレギュラー扱いではあったが、今日から名実ともに正式にサバ研の部員となった。なので二人にはサバ研内での通り名コードネームである二つ名を付けたいと思う」


わぁーパチパチパチと拍手が起こり、美鈴と結花は目を輝かせる。


「おぉ! ついにミネコにも二つ名が付くですか!」


「やばい。楽しみすぎるじゃんね」


「……まずネコちゃんだが、先日の熊との戦いでは本当に勇敢だった。猛獣相手に前衛として囮をするには本当に勇気がいるが、みごとに囮としての役目を果たして後衛を護りきった。そして今も自分が危険な場所に立って仲間を護れるよう前衛としての立ち回りを積極的に学ぼうとしている。そのことをふまえて、ネコちゃんには【|防人(さきもり)】の二つ名を贈ろうと思う。これからのサバイバル技術を高めて、自分の周りにいる人たちを護ってほしい」


「さきもりっ! 鎌倉時代の元寇から日本を護った武士ですねっ! すごくいい響きです! 気に入ったですっ!」


「……相変わらずのマニアックな知識量じゃんね。でもいいじゃん。隊長、うちの二つ名は?」


「結花ちゃんは、初めて使うバレットショットを見事に使いこなして熊に致命傷を与えてまさにあの戦いに決着をつけた。また、普段からFPS慣れしてるというのもあるだろうが、バレットショットの取り回しに危なげがない。今もバレットショットの改良に尽力してくれている。このことを考慮して、結花ちゃんには【|銃士(じゅうし)】の二つ名を贈ろう。今後の害獣駆除で役立つより優れた対獣装備の開発に期待する」


「銃士かぁ。ふふっ、いい響きじゃんね! 期待にお応えしてすっごい対獣装備を作ってやるじゃんね!」


と結花が不敵な笑みを浮かべる。


「よし。では、本人たちにも賛同を得られたので二人の二つ名は【防人】と【銃士】で決定だ。サバ研は新たな正規メンバーを歓迎する。

二人とも今後ともよろしくな」


そう大介が締めると、全員が盛大な拍手でもって美鈴と結花を改めて歓迎し、美鈴と結花も立ち上がって「よろしくお願いします」と頭を下げる。この日、二人にとってのサバ研での活動が本当の意味で始まったのだった。






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