第65話 断罪
慌ただしく過ぎたゴールデンウィーク明けの日、葵は足をギプスで固め、あちらこちらに包帯をした痛々しい姿で登校した。
すでにニュースで何度も今回の件は大々的に報じられ、今もなお校門の周りにはマスコミの記者たちの姿があるので、他の生徒たちも松葉杖を突きながら歩く葵の姿に驚きはしない。ただ、葵のすぐそばに寄り添い、献身的に彼女を支える大介の姿と、その大介に今まで誰にも見せたことがないような安心しきった笑顔で甘える葵の姿に、普段の二人の様子を知る者は皆、驚きを隠すことができなかった。
二人が一緒にいる姿は別に珍しくもないが、明らかに今までとは違う二人の距離感と甘々な雰囲気に、ついにあの高嶺の花をフラグブレイカーが摘み取ったのだと悟ったのだ。当然、葵、そして大介に憧れていた連中からは悲嘆の溜め息がこぼれたが、それでも結果的には最も自然な形に落ち着いたのは明らかだったので周囲の目は温かく祝福するものがほとんどだった。
とはいえ、空気が読めない者もいる。二人の姿を見るなり、全速力で駆け寄ってきて見事なスライディング土下座を決めた武井である。
「本っ当に! すまなかったぁぁぁっ!!」
「「……」」
絶句する大介と葵に構わず武井がまくし立てる。
「オレのせいで、葵さんを危険に晒し、こんな大怪我をさせてしまった! 茂山たちにも多大なる迷惑をかけてしまった! 謝って済むことではないが謝らせてくれ! 本当にすまなかった!」
「……も、もういいですから! 武井先輩もこんなところで土下座なんてやめてください。あたしは大丈夫ですから」
「いや! 未婚の女性にこんな後遺症や痕が残りかねない怪我をさせてしまった以上、男として責任を取らねばならん! この武井真人、一生涯葵さんの面倒を見、養うと誓おう!」と、顔を上げ、いい笑顔を見せる武井。
ざわっ、と周りがどよめく。誰かがつぶやく。さすがにこれは引くわ、と。そして、葵の顔からスッと表情が消える。
「……お前なぁ」
呆れ顔の大介を片手で押し止めて葵が口を開く。
「武井先輩、大切なことなのでまず最初にハッキリと申し上げますが、あたしはあなたと結婚する気などこれっぽっちもありません!」
「えっ!?」
「そもそも、傷物にしたお詫びに結婚するとかどれだけ時代錯誤なんですか! そんな理由で好きでもない男と結婚して一生縛られるとかどう考えてもあたしにとっては不幸以外のなんでもないじゃない!」
「なっ!? ……だが、オレは男として責任を」
「ふーん、責任ね。あなたは、あたしが奇跡的にこの程度の怪我で済んだだけで本当は危うく死ぬところだったのを知ってて言ってるの? 大介が見つけてくれるのがもう少し遅かったら、そして大介の応急処置が間に合わなかったら、あたしはもうこの世にはいなかったわ。あなたは気軽に責任を取ると言うけど、もしあたしが死んでいたらどのように責任を取るつもりだったのかしら?」
「……そ、それは」
「今回は幸いにして骨折程度で済んで、しばらくリハビリすれば以前とほぼ同じような生活に戻れそうだけど、あたしは崖を滑落して岩場に落ちたのよ。重い障害が残る怪我をしても不思議じゃなかったわ。もしあたしが半身不随になってて、一生寝たきりの状態になっていたとしたら、あなたは本当に責任を取れるの? 学生に過ぎないあなたが半身不随の身障者の面倒を一生みれるとでも言うの?」
「……あ、いや……その」
「あなたに山の中に置き去りにされて道に迷ったあたしがどれほど不安で怖かったか分かる? 熊に襲われて崖の下に落ちて死を待つしかなかったあたしがどれほど絶望したか想像できる? あたしが経験した精神的な苦痛に対してあなたは今日までなんらかのフォローやケアをしてくれたかしら? ちなみに大介はずっと傍にいてくれたわ」
「……」
もはや何も言えなくなった武井に葵は大きく溜め息をついた。
「結局あなたは、あたしの怪我が大したことなかったから、あたしの怪我にかこつけて口説きに来ただけよね。本気で償うつもりなんかなくて、ただあたしが欲しいだけよね?」
「ち、違うっ! オレは決してそんなつもりじゃ」
「あなたがどういうつもりだったとしても、あなたのその考えなしで無責任な言動からしてあたしにはそのようにしか思えないわ。そもそも、あなたには今回の件で責任を取れる能力がないのは明らかで、取れもしない責任を取ると言うのはただの自己満足よ」
「じゃ、じゃあオレはどうすればよかったんだ!」
逆ギレ気味にわめく武井に葵が大きく溜め息をつく。
「……そんなことまでいちいち説明されなきゃ分からないの? 大介、あなたならどうする?」
急に振られた大介だったが、考えたのは一瞬だけだった。
「……ふむ。自分の責任能力を越えたトラブルが発生した以上、迷惑をかけた相手にとにかく謝って許しを乞う……かな」
「そうよね。誠実に謝るしかないわよね。相手が許してくれるかどうかは別にして。それから?」
「当然のことだが、すぐに反省会をやって二度と同じ問題を起こさないように徹底的に対策するだろうな」
「そうね。やってしまったことはどうしようもないから、失った信用を取り戻すために再発防止は最優先だわ。それをやってこそ相手にも誠実さが伝わるわよね。それで、武井先輩は山岳部でちゃんと反省会はしたのかしら?」
葵に問われた武井はしどろもどろに答える。
「い、いや、その、してない」
「でしょうね! そもそも、現状を正しく把握しないことにはまともな反省会など出来っこないし、あなたがこの連休中にあたしにもサバ研の誰にも情報を得るために近づかなかったことは知ってるからそうだろうとは思ってたわ。山岳部のミスの後始末をサバ研に丸投げして、サバ研が首尾よく解決したからめでたしめでたしでまともに反省しようともしない。あなたたち、恥ずかしいと思わないの!?」
「ぐっ……」
「で、挙げ句の果てに、一生あたしの面倒を見ることで責任を取る? バカも休み休み言いなさいよね! ここまでさんざん無責任な真似をしておいて誰があなたなんかに自分の人生を預けようなんて思うもんですか! あなたは、あたしからの信用を完全に失ったのよ!」
葵にそこまで言われてようやく、武井は自分が取り返しのつかない過ちをしてしまったことを理解して頭を抱えた。
「……うう、オレはなんということを……。どうしたら許してもらえる?」
「口先だけならなんとでも言えるわ。まずは行動で誠意を見せなさい。あなたがまず優先すべきことは、今回の問題の原因を究明して、同じ過ちを繰り返さないように山岳部として対策を模索することでしょ? でないと、山岳部はいずれ本当に死人を出すわよ」
「…………まったくもってその通りだ。分かった。さっそく今日にでも反省会をして、皆で再発防止のために出来ることをやっていくことにする。だからその、いずれは……」
「そう。じゃああなたの謝罪を受け入れるかどうかは今後の山岳部の在り方を見て決めるわ。でも、今は許さない。これからはあたしに対して馴れ馴れしく話しかけて来ないでね」
「…………」
葵の淡々としつつもきっぱりとした拒絶に、武井はなにか言おうと口を開きかけたが、結局は何も言えずに両手を地面についてガックリとうなだれたのだった。
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