第57話 ラペリング

一成を先頭に、結花、美鈴、大介の一列縦隊で森の中を進んで行き、前方が明るくなってきたところで、ふいに一成が前触れなく立ち止まり、結花がその背中に顔から突っ込む。


「……参謀先輩、急に立ち止まらないでほしいじゃんね」

 

バレットショットの鉄の銃身に鼻を打ち付けた涙目の結花の抗議を無視して、一成が緊張した声で大介に言う。


「隊長、熊だ! なにか喰ってるぜ」


『!?』

 

熊と聞いた瞬間硬直して両手で口を押さえた結花と美鈴に構わず、大介は前に出て木の陰から熊の様子を伺った。

 

大体、体長一六〇㌢ぐらいの痩せたツキノワグマだった。地面に転がった何かを喰らうのに夢中でこちらにはまだ気付いていない。

 

そして、熊が喰らっているものの正体に気付いた瞬間、大介は思わず舌打ちした。


「チッ。あれは葵の荷物だ!! 参謀、バレットショットへの装填は?」


「済んでるぜ。いつでも射てる」


言いながら一成が背負っていたバレットショットをすばやく構えて安全装置を解除する。


「俺が吶喊とっかんする。まずはあいつを追い払う。援護頼むぞ」


「了解。任せろ」


大介はすぐさま腰のシースからサバイバルナイフを引き抜き、熊に向かって突進した。


「先輩!!」


美鈴の悲鳴に大介の雄たけびが重なる。


「うおおおおぉぉぉぉぉ!!」

 

ようやくこちらの存在に気付いた熊が、一瞬だけ迷う素振りを見せたが、喰っていたものをそのままに慌てて近くの藪に飛び込んで逃げていった。

 

大介はふーっとため息をついて熊が今までいた場所で足を止めた。そこにあったのは、ぼろぼろになった葵のショルダーバッグと食い散らかされた弁当の残骸だった。

 

葵の姿はなかった。でも、葵がこの場所で熊に襲われたのは間違いない。


さっき電話が繋がってからのほんの二〇分かそこらの間に。


「葵――――!! どこだぁぁぁぁ!? 無事かぁぁぁぁぁっ!?」

 

あらん限りの大声で呼ばわるが、返事は返ってこない。無事に逃げることができたのか、それとも……。それ以上の考えを努めて考えないようにしながら、なおも叫ぶ。


「葵――――!! 返事をしろぉぉぉぉ!! 助けに来たぞぉぉぉぉぉ!!」

 

小走りに追いついてきた三人も現場を見て即座になにが起きたか悟ったようで、口々に葵を呼び始める。


「葵ちゃぁぁぁん! この辺にいるなら返事をしろぉぉぉぉ!!」


「葵ちゃん! どこなん!? 返事してぇぇぇぇ!!」


「葵先輩――――!! どこですぅぅぅ!? 助けに来たんですよぅ!!」

 

呼ばわりながら、その辺りの藪の中や木の陰を探し回る。もしも、逃げ切れなかったとしたら、この辺りに倒れているはずだと、慄きながら、どうか間に合ってくれと知る限りの神に祈りながら探し回るが、葵の遺体は幸いにして見つからなかった。

 

無事に逃げ延びたのか、そうでないとしたら――。全員がその結論に達したのはほぼ同時だった。


「そんな、まさか……」

 

青ざめた結花が谷の方に目を向ける。大介は拳を握り締めて、谷の崖に歩み寄った。意を決して覗き込んでみたが、谷には今なお霧が立ちこめているので底がどうなっているかわからない。


ただ、水のせせらぎの音だけが聞こえているだけだ。その人の気配のない静けさが一層不安をかき立てる。

 

はっと気付いて崖っぷちを見ると、その一部が崩れていた。そう、ちょうど人が足を踏み外して滑落した跡のように。濃い霧が立ちこめているとはいえ、底が見えないほどの谷だ。滑落していたらただではすまない。


「葵――――!! そこにいるのかっ!? 返事をしてくれ!!」

 

谷底に向かって叫んだが返事はない。


「葵っ!! そこにいるんだろっ!? 無事なら返事をしてくれ!!」


「隊長! それ以上身を乗り出すとまずい!」


「葵――――!! 頼むから、返事をしろぉぉぉぉ!!」


「先輩っ! 危ないです!」

 

後ろから美鈴が腰に抱き付いて引き止めてくる。かまわずに谷底に向かって叫び続ける。



ややあって、何かが動く気配があった。そして――


――……カラン……コロン……

 

微かにしかしはっきりと熊避けのベルの音が聞こえてきた。

 

不覚にも涙が出てきた。もしかしたら、間に合わなかったかもしれないと少し覚悟していた。


「……よかった。まだ生きててくれて、本当によかった!」


「隊長、泣いている場合じゃねえぜ。今わかってるのは生きてるってことだけだ。早く助けに行ってやらねえと」

 

背中から掛けられた一成の声に、腕でごしごしと目元を拭って立ち上がる。


「わかっている! 俺がラペリングで下に降りる。サポートを頼む」


「おう。ザイルの準備はおれがすっから降下準備をしろ」


大介は下降器をベルトに取り付け、ブーツの靴紐をもう一度しっかり結び直して軍手を二重にして両手にはいた。その間に一成は近くの木の太い幹にザイルを固定し、崖からザイルを繰り出して谷の深さを測っていた。


「思ったほど深くはねぇな。10~12㍍ってとこだな」


「分かった。俺が降りたあとは頼むぞ」


「おう。忍者に連絡して搬送の手配と残りの連中への集合と撤収準備だな」


「ああ。特に博士には早めに来てほしいな」

 

一成と口でやり取りしつつも手は止めず、下降器をザイルに取り付け、ザイルの状態をしっかり確認してから崖っぷちに後ろ向きに立つ。


滑落跡から数㍍離れた場所を降下開始場所に選ぶ。


「先輩、葵ちゃんのことお願いするじゃんね」

 

結花に向かってしっかりうなずいてみせる。


「ああ、任せろ! ロープよし、下降器よし、ラペリング開始!」



 




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