第32話 初陣の朝

待ちに待った野良鶏退治の日は、これ以上ないぐらいの晴天だった。


昇り始めた太陽に照らされてたなびく幾筋かの雲以外に空に浮かぶものはない。


「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく、山ぎはすこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」

 

ふと思いついた枕草子の冒頭の一文を美鈴が口ずさむと、結花があくびをかみ殺しながらうなずく。


「ふぁ……まあ確かに春は夜明けが一番綺麗ってのも分からんこともないじゃんね」

 

始発電車で来たので学校の最寄り駅のロータリーから見渡す限り、二十四時間営業の『MiniStore』以外に開いている店舗はなく、週末であるのでスーツ姿のサラリーマンの姿もなく、今だ眠ったままの町はひっそりと静まり返っていた。

 

今日は動きやすくて汚れてもいい、そして肌の露出のなるべく少ない服で来るようにとあらかじめ言われていたから、美鈴の今日の格好は、だぶっとした大きめのジーンズにボーダーのTシャツと薄手のパーカーにキャスケット帽。

 

結花はカーゴパンツにワークシャツ、頭にはバンダナをヘアピンで留め、ワイルドな感じにまとめている。

 

二人とも腰の右側に小さなポーチを下げているが、これは装備担当である【博士】清作が百均で売っているケータイ用ポーチを改造して作ってくれた弾丸入れだ。


「ミニストで何か買ってく?」


「あー、うちコーヒー欲しいかも」

 

そう言いながらまたあくびをかみ殺す結花。

 

コンビニで買い物を済ませて店の外に出る。


「あ~、ブラックが染みる~」


結花はそんなことを言いながら備え付けのゴミ箱の横で普段飲まないブラックの缶コーヒーを飲んでいる。


「ユカちゃん、なんかすごく眠そうだけど大丈夫です?」


「あー、実は昨日あまり寝てないじゃんね」


「えーと、楽しみすぎて寝付けなかった?」


「や、そんなんじゃないじゃんね。今日の野良鶏退治のこと、いろいろ考えてて……」


「なにかあったですか?」

 

あんなに今日を楽しみにしていたのにやけに覇気のない結花が心配になって美鈴が尋ねると、結花は力なく笑ってみせた。


「昨日の夜さ、葵ちゃんとチャットでだべってたんじゃんね」


「うん」


「……なんかさ、サバ研って去年、あんたを助けてから一気に知名度が上がったから入部希望者が殺到したじゃんね。でも、今残ってるのは隊長と参謀先輩を除いたら五人だけじゃん?」


「うん」


「去年入部した人らが辞めていった原因、それが野良鶏退治だったじゃんね」


「そうなの?」


「うん。うちらが考えてた以上に野良鶏退治って精神的にきつい活動なんじゃんね。うちも葵ちゃんから、この活動はゲームじゃないって釘を刺された」


結花の言葉の裏に暗に示唆されている意味に美鈴はハッと気付いた。


「そっか。野良鶏退治って軽く考えてたけど、退治するってつまり……殺すことなんですよね」


「そう。ゲームみたいに倒したら相手が消えて肉がドロップするようなものじゃなくて、うちらが今日やる活動は、悪さをする野良鶏を捕まえて、自分の手で殺して、肉にすることじゃんね。今までの参加者の中にはこれがトラウマになって鶏肉が食べられなくなった人もいたってさ」

 

そう言いながら結花がポケットから貸与されているナイフ――オピネルの№8を取り出す。


「スリングショットで仕留めた鶏にうちらはこのナイフで止めを刺さなくちゃいけない。まだ生きてもがいてる鶏を押さえつけて頚動脈を切り裂いてこの手を血に染める。……ネコ、あんたできると思う?」

 

静かな結花の問いかけに、美鈴は即答することができなかった。

 

自分が実際にそうする場面を想像して背筋がぞっとした。しかし、普通に考えれば狩りとはすなわちそういうことだ。

 

美鈴は、スリングショットで野良鶏を撃つということをどこか的当て感覚で考えていた。撃った後のことなんて想像もしていなかった。でも、相手は生き物なのだ。


「ミネコは……」

 

出来る、とは言えなかった。

 

生き物を殺す経験をしたことがないから、それがどんな感覚なのか理解出来ないし、やっぱり恐い。その場面を想像して、美鈴はぶるっと身震いした。


「ユカちゃんは、どうするですか?」

 

美鈴が逆に聞き返すと、結花は決意の表情で答えた。


「うちはやる」


「恐くないの?」


「もちろん恐いし、ほんとはやりたくもないけど、一晩考えてやるって決めた。だからここにいるじゃんね。……いざその段になったら震えて出来ないかもしれないけど、とりあえずやってみるよ」


「……すごいねユカちゃん。ミネコには無理かも」


「うちもちゃんとできるか分からないよ。泣いちゃって無理かもしれないし。ただ、やってみるって覚悟だけは決めたじゃんね」


「そこがすごいよ。なんでそんな覚悟を決めれるの?」


「うーん、やっぱり昨日、コハルお婆さんの畑を見たからかな? あれを見てなかったらたぶん覚悟は決められなかったと思うじゃんね」

 

結花の言葉で、美鈴も昨日下見に行ったコハル婆の畑の惨状を思い出した。

 

ほじくり返され、引き抜かれた苗が散らばった畝。悲しそうな表情で荒らされた畑を一生懸命直そうとしていたコハル婆。コハル婆はサバ研が野良鶏退治の依頼を受けてくれたことを本当に喜んでくれていた。


コハル婆だけじゃない。


出会う近所の農家の人たちも口々に野良鶏退治を請け負うサバ研への感謝の言葉をかけてくれた。


「いつも汚れ仕事を引き受けてくれてありがとう」「本当に感謝している」と。




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