第30話 コハル婆
田植え前の粗起しが済んだばかりの、黒々とした土が剥き出しになっている田んぼがどこまでも続き、トラクターの後ろをカラスが付いてまわっている。あと一ヵ月もすれば、ここら一帯は青々とした稲の苗の絨毯で埋め尽くされるに違いない。
野良鶏退治が前日に迫った金曜日の夕方、葵とサバ研の七人の有志メンバー、大介、一成、美鈴、結花、【軍曹】哲平、【狩人】遼、【射手】ジンバの計八人は挨拶と準備を兼ねてコハル婆のもとを訪れていた。
コハル婆の家は、射和高校からさほど遠くない小さな集落にある古い農家である。生垣で囲まれた敷地に瓦葺きの平屋建ての母屋と納屋と蔵が立ち並び、庭には何本かの果樹も植えられている。
「おばあちゃーん、こんにちはー!」
「はぁーい」
開けっぱなしの玄関で葵が呼ばわると、野良着姿で頭にまめしぼりの手ぬぐいを被ったコハル婆が家の裏手からひょこひょこと出て来た。
コハル婆は葵の姿を認めて日に焼けた顔に笑いジワを刻む。
「誰かと思ったら生徒会長さんかねぇ! よう来たねぇ! みんなも来てくれたんかね」
「おばあちゃん、ちょっとご無沙汰してます。今日は明日の朝から野良鶏の駆除をするということで、準備と挨拶にお伺いしました」
「そうかねそうかねぇ! 部長さん、いつもお世話かけるねぇ」
「いえ、こちらこそいつも貴重な経験をさせてもらって感謝しています。今日は全員じゃないですが一応ご挨拶に」
大柄な大介が腰をかがめて小柄なコハル婆と話している様子は見ていて微笑ましい。
やがて大介との会話が一段落したコハル婆は、一緒に来たサバ研のメンバーの顔を順々に見回す。今回が初参加の仮入部員のうち、美鈴と結花の二人だけが今日の準備に参加している。
「これはこれは、めんこい子たちだねぇ! この子たちも部員さんなのかい?」
ジャージ姿の美鈴たちに目を細めてコハル婆が大介に尋ねる。
「ええ。仮入部員です。……二人とも、こちらが今回の依頼人のコハルさんだ」
美鈴と結花がぺこりとコハル婆に頭を下げる。
「は、はじめまして! 峰湖 美鈴です。お役に立てるかどうか分かりませんが、精一杯頑張ります」
「うちは花御堂 結花と申します。お婆様の作物を荒らす不届きな鶏どもを見事成敗してご覧にいれます」
「……ユカちゃん、昨日時代劇でもみたの?」
「いいじゃん別に」
ぼそぼそと小声で脇を突き合ういつもどおりの美鈴と結花に、コハル婆がニコニコしながら頭から手ぬぐいを取って丁寧に頭を下げる。
「これはこれは。こんな数生きの婆のためにわざわざ申し訳ないねぇ。本当に来てくれてありがとうねぇ」
「……さて、じゃあコハルさん、暗くなる前にさっそく下見をしておきたいのですが」
「そうだねぇ。じゃあ、付いてきてもらおうかね」
大介の言葉にコハル婆がうなずいて家の裏手に向かい、葵とサバ研メンバーもぞろぞろと後に続く。
裏の生垣を通り抜けると、コハル婆の畑が広がっている。
一反の田んぼ四枚分、おおよそ一二〇〇坪の土地の半分に柿や蜜柑や栗といった果樹がちょっとした林のように立ち並び、残りの半分が整然とした畝の並んだ野菜畑となっている。
コハル婆はこの畑で採れた作物を、地産地消を推し進める地元のスーパーに卸して生計を立てている。
「ああ、また来とる!」
コハル婆の悲痛な声に葵が目を上げると、野菜畑の向こうの方に白い鳥が十羽ほどいて、畝をくちばしで突付いているのが見えた。
赤色の顔面と鶏冠、チャボより二回りは大きい体格、黄色い脚。イタリア原産の代表的な卵用種、白色レグホンに間違いなかった。
「まったくふてえ奴らでやんすな。あっしがいっちょ懲らしめてやるでやんす」
ジンバが素早くスリングショットを取り出し構えるが、その前に大介が手を伸ばしてさえぎる。
「待て。距離がありすぎるし、ここからだと作物が射線に入っている」
「隊長の兄いはあっしの腕が信用できねえでやんすか!」
感情的に声を荒げるジンバを大介が静かに諭す。
「お前の腕でもこの距離では半矢がやっとぐらいまで威力が落ちる。それに、今奴らを必要以上に警戒させたら明日に影響する。今日はあくまで偵察だということを忘れるな」
「……むう、分かったでやんす」
やや不満げな表情でジンバがスリングショットをポケットにしまう。
「こりゃっ! この性悪鶏がっ!」
コハル婆が畑の足を踏み入れ、野良鶏たちに向かって叫ぶと、一際身体の大きい雄鶏が警告の叫びを発し、それまで一心に畝に植えられた苗を啄ばんでいた雌鳥たちが弾かれたように一斉に走り出し、畑と境界を接する神社の敷地内に逃げ込んでいった。
雌鳥たちが逃げた後で雄鶏もその後を追うように悠々と神社の敷地に駆け込んでいく。
実に見事な逃げっぷりだった。
「奴ら、とり頭の分際でだんだんずる賢くなってやがるぜ」
「ああ。神社に逃げ込めば追ってこないと分かっている。そろそろ本気で決着をつけないとな」
一成と大介の会話に、それまで様子を見ていただけの美鈴が加わる。
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