第28話 唐揚げ教
学校の最寄駅前のコンビニ『
電車通学の美鈴と結花が時間調整のために立ち寄った時、すでに店内には部活帰りの射和高校の生徒たちが何人かいた。
イートスペースを覗いた結花が歓声をあげる。
「あ、ラッキー。珍しくイートに席空いてんじゃん。中で食べてく?」
「いいねー。ミネコもうお腹ぺっこぺこだよー」
部活で結構身体を動かすのでどうしてもこの時間になると空腹感が耐え難いレベルに達している。
お母さんにお弁当のサイズを一回り大きくしてもらったけどまだ足りない。
美鈴は店内調理の鶏唐揚げと紙パックのウーロン茶、結花はメロンパンと紙パックのカフェオレをそれぞれ買い、イートスペースの四人掛けテーブルに向かい合って座った。
「ネコは相変わらずの肉食か。空きっ腹に揚げ物とか胸焼けしないん?」
呆れたような結花の感想に美鈴は首をかしげる。
結花以外にも同じようなことを訊いてくる人間はいるが、美鈴にはその胸焼けという感覚がいまいちよく分からない。
「ミネコは別に平気なのですよ?」
揚げたてのまだ湯気が立ち上る唐揚げに爪楊枝で刺してぱくっと食らいつく。表面はぱりっとしていて中はジューシーな完璧な揚げ加減。火傷しそうに熱いそれをハフハフしながら咀嚼していく。
「はふ――っ! はふっ! はふーっ!」
「ネコってさ、頭いいくせにバカじゃんね。そんなに大きい塊を一口で食べるからそうなるんじゃん」
呆れ混じりの結花のあまりにも心外なセリフに抗議しようとする。
「はふっ! はふっ! はってほれが……」
「飲み込んでからしゃべりなって。何言ってんのかわかんないから」
「はふっ! はふっ!」
やっと飲み込んでから言い直す。
「だってこれが一番美味しい食べ方なのですよ! 揚げたて熱々の唐揚げを贅沢にも一口で頬張って、はふはふしながら食べるのが!」
「あっそ」
美鈴の唐揚げへの熱い思いは結花には伝わらなかったようで、結花は半眼で関心なさげな冷めた返事を返してくる。
「むー」
その結花の態度がいかんとも許しがたく、揚げたての唐揚げの素晴らしさを小一時間かけてじっくりみっちり語ってやろうと美鈴が背筋を伸ばした瞬間、
「わかるっす! それが唐揚げを食べる正しい作法っすよね!」
「え!?」
いきなり頭上から会話に割り込んできた声。
振り向くと、唐揚げとウーロン茶を持ったひょろっとした男子生徒が立っていた。校章の色からして同じ一年生らしい。
「そして、唐揚げにはウーロン茶! これは法律っす!」
「はあ? いきなり何なん?」
メガネを押し上げながら怪訝な表情で問う結花には答えず、その男子生徒は当たり前のようにテーブルに唐揚げとウーロン茶を置いて美鈴の隣に座る。
「ここいいっすよね? いやぁ女子二人の中に入っていくのはどうかって思ってたんすけど、話を聞いてピピッと来たんすよ。これは運命だって」
そう言いながらさっそく唐揚げを頬張る。
「え、えーっと、ミネコとあなたは初対面ですよ、ね?」
いきなり馴れ馴れしい彼の顔と記憶を照合してみるがやっぱり見覚えはない。
「はふっ! はふっ! 初対面っすね。ぼくは
「……高見沢ぁ?」
その名前を聞いた瞬間、結花が半眼になる。
「純一っす! フレンドリーにジュン君と呼んで欲しいっす」
「そ、それはさすがに……」
名前しか知らない相手をいきなりあだ名で呼ぶなんてさすがに美鈴でも抵抗がある。そんな美鈴の反応に高見沢はまったく気にした風もなくうんうんとうなずく。
「シャイなんすねー。えー……と、名前はミネコちゃんでいいんすか?」
「峰湖 美鈴だよ」
「美鈴ちゃんすかー。可愛らしい名前っすね。そっちのメガネ美人さんは?」
「うちは花御堂 結花。……高見沢、あんたさー、うちの記憶が正しければこの前校内放送無視して窓開けっ放しにして校舎に煙充満させた犯人ちゃうん?」
結花の若干の棘が感じられる言葉で、美鈴も記憶の糸がつながる。
そういえば、サバ研に仮入部した日に【忍者】こと藤林 忍が大介にそんなことを言っていたのを聞いた覚えがある。
「ああ、思い出したですよ。サバ研に来たけど結局山岳部に行った人ですね?」
高見沢が嬉しそうにうなずく。
「そうっす。まさか名前言っただけで分かってもらえるとは思わなかったっす。実はぼくって早くも校内有名人だったりするんすか?」
「なんでそんなに嬉しそうなん? 仮にそうだとしても決していい意味じゃないから!」
「ははっ! 結花ちゃんは割とキツイっすねー!」
「ゆかちゃん言うなしっ!! あんたみたいな胡散臭い奴がいきなり馴れ馴れしくしてきたら当然の反応じゃんね」
「え? ぼくそんなに胡散臭いっすか?」
心底意外そうに聞き返す高見沢に結花が冷たく返す。
「かなりね。うちの中ではかなりスクランブルかかってるし」
高見沢の目が何か思いついたようにきらりと光る。
「僕は敵地偵察じゃなくて親善飛行で来ただけっすー! だからミサイルロックかけないで欲しいっす!」
「……まさかそう切り返されるとは思わなかったじゃんね」
「航空自衛隊は男のロマンっす!」
その言葉に結花の目が類友を見つけた時の輝きを帯びたのを、美鈴は見逃さなかった。
ユカちゃん、自衛隊も好きですもんねー。某女流作家の自衛隊三部作も大好きだし。
結花がテーブルの上にずずいと身を乗り出し、高見沢に囁く。
「F-4ファントムを駆って日本の空を守る百里基地のサムライたち。天才パイロットと冷静沈着なナビゲーターの信頼と友情の絆。限界以上の性能で期待に応える名機680号機」
「そ、そう! それっす! 僚機の320号機も忘れちゃいけないっす!」
結花が満足気にうなずく。
「あんたを友軍と認めるじゃんね。特別にちゃん呼びも許す」
「あざーっす! 高見沢二尉、着任するっす」
びしっと敬礼する高見沢。
「うは。二尉ときたか! うちは整備班長押しなんやけど」
「おー! なかなか渋いところ突くっすねー! ぼくは基地指令も好きなんすけど」
「あー、あの腹ボテタヌキもいい味出してる」
美鈴にはまったく理解の出来ない会話ですっかり盛り上がっている二人。
話の流れからして航空自衛隊ものの少年漫画の話らしいことはなんとなく分かるが、元ネタが分からない美鈴は会話に加わる努力を早々に放棄して次の唐揚げに爪楊枝を突き刺した。
その大き目の塊をさっきと同じく一口でぱくりと頬張る。
「はふーっ! はふっはふっ」
噛み締めた瞬間にあふれ出してくる熱い肉汁に舌を火傷しそうになるこの感覚が堪らない。
もぎゅもぎゅと咀嚼して飲み込み、咥内に残った熱と油分を冷たいウーロン茶で飲み下せば後口も爽やかで、これぞまさに唐揚げの究極の食べ方だと実感する。
「いやあ、いい食べっぷりっすね。じゃあぼくも冷めないうちに食べるっす」
いつの間にか結花とのやりとりが一段落したらしい高見沢が感心したように言い、美鈴と同じように唐揚げの大きめの塊を一口で頬張った。
「はふはふっ。やっはほれっすよね」
「だよねー。はふはふっ」
何故か若干疲れた表情の結花が肩をすくめる。
「……うちは心底どうでもいいわ。あ、そういえば高見沢、あんたうちらになんか用事あったんちゃうん? それともただのナンパ? そんならお断りだけど」
さすが、中学時代から告白されるのに慣れてるだけに釘をさすタイミングが巧い。
高見沢が目を白黒させる。
「……ち、ちがうっす! えっとすね、お二人は自然は好きっすか?」
「あ、山岳部への勧誘? ならもっとお断りじゃんね」
割と容赦のない結花に高見沢はちょっとたじたじになっている。
「あ……いや、そういうわけではなくてっすね。もちろん、お二人と友だちになりたいってのは嘘じゃないっすけど、ぼく、今度のインターハイの山岳競技に出るんすよ」
「へえ、仮入部したばかりなのにもうインターハイに出れるんだ。高見沢君ってすごいんですね」
美鈴が感心して言うと、高見沢はちょっと照れたように笑った。
「そんなことないっす。山岳部はぼくを含めて四人だけで、大会への参加は四人からしかできないんでぼくは正直なところ数合わせなんす。で、先輩たちもそれが分かってるんで、今度、練習もかねてハイキングを計画してくれてるんすよ」
「ふーん。まあ、山岳部の事情は分かったけどさ、それとうちらに声かけてきたことがどう関係するわけ?」
「それっす。今回のハイキングは初級者向けのハイキングコースなんすけど、キャップテンが山の素晴らしさを一人でも多くの人に知ってもらうために一般の参加者も募ったハイキングツアーにするって言ってるんす。それで、誰か友だちを誘ってみろって言われてるんすよ」
「あんた、友だちいないん?」
「ユカちゃん、それは思っても口に出さない方が……」
「そんなことないっす――!! クラスの友だちは明日誘おうと思ってるっす。結花ちゃんたちがたまたま目に付いて、美鈴ちゃんとは食べ物の趣味が合うと思ったから声を掛けただけで、友だちじゃなくても自然に興味があるなら誘ってみてもいいかなって思っただけっす」
「んーつまり、目に付いた女の子がいたから声掛けてみたら、食べ物とか漫画の趣味が合うと分かって、ハイキングに誘ってみたと?」
「そっす」
「世間一般ではそれをナンパと言うじゃんね」
「……あれ? やっぱそうなるんすかね?」
困ったような顔で首をかしげる高見沢に結花が吹き出す。
「冗談冗談。ちょっとからかっただけじゃんね。まああんたの言いたいことは分かった。ただ、うち的には正直そそられる話じゃないけどね。ネコはどう?」
「んー。ミネコも山登りはあんまり~かな」
山登りはというより、むしろサバ研を合併吸収しようとしている失礼極まりない山岳部が。
「ということだから、ほか当たってくれる?」
と、にべもなく断る結花に高見沢も案外あっさりうなずいた。
「分かったっす。正直そんなに期待はしてなかったっすから。……それとは別に、お二人とはこれから友だちとして付き合っていきたいと思うんすけど、どうっすか?」
「まぁそれぐらいならうちはかまわないけどね」
「ミネコもオッケーなのですよ。同志高見沢、これからも唐揚げの正しい作法を世界に布教していこうね?」
「そっすね! 同志美鈴、それが正しい唐揚げ教徒の務めっすから」
「……どうゆう宗教じゃ?」
「唐揚げ好きが集まって唐揚げ好きによる唐揚げ好きのための唐揚げに関する探究を推し進め、唐揚げがなにゆえ唐揚げであるか、唐揚げの中の唐揚げたる至高の唐揚げを追い求めることを究極の目標に据えた唐揚げに関する智の探究者の集い、それが唐揚げ教なのですよ」
唐揚げがゲシュタルト崩壊しつつあるのを感じながら一気にそう言うと、結花がなにか可哀想な人を見るかのような憐憫に満ちた目で美鈴を見てきた。
「ネコ、うちは今でもあんたことを親友だと思っているけど、その世界はうちには辛すぎるじゃんね。ごめんね」
「哀れまれた!? しかも謝られた!?」
「さよなら。進むべき道は別れても、うちはあんたのこと忘れないじゃんね」
「しかも決別された!? ってユカちゃん、なんで席を立つの? どこへ!?」
「トイレ」
緊張した面持ちで推移を見守っていた高見沢がズコッとテーブルに突っ伏し、結花はそのまますたすたと店内のトイレに向かう。
何事もなく少々冷めてしまった最後の唐揚げを口に放り込む美鈴に、のろのろと起き上がった高見沢が尋ねる。
「ど、同志美鈴、今のはなんすか?」
「……もぐ。ミネコとユカちゃんの普通の会話ですがなにか変だったですか?」
「打ち合わせしてたんすか? 最後のオチまで込みで」
「まさか。普通に即興だけど?」
そう言いつつ、美鈴は何気なく店に入ってきたカップルらしき二人に目を向け、次の瞬間固まった。
大介と葵だった。
「…………っすね。ところで……」
高見沢がなおも何か言っているようだが全く耳に入ってこない。
意識のすべてが大介と葵の一挙一動に注目する。
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