第18話 博士
長机の上にはさっきまで棚の中に入っていたいくつかの瓶が並んでいて、薄汚れた白衣をまとった巨漢がすり鉢で何かを調合していた。
「やあ部長、ボクも今しがた忍者から聞いたんだけど、大猪の襲撃を受けたんだってね。災難だったね」
作業の手を止めて大介に友好的に話しかけるその声は爽やかで耳に心地よかったが……。
「今日はすぐに引き上げていったからそんな災難ってほどでもなかったけどな」
「そっか。それで、その
『…………』
大柄で筋骨隆々の肉体。これはまだいい。サバ研のメンバーは狩人と忍者を除けば皆どちらかといえば大柄で筋肉質だから意外なことではない。
ただ、清作の場合はそれに加えて、頭はスキンヘッド、鼻は鷲鼻で顔の彫りも深い。口元から覗く八重歯がまるで牙のようで、極めつけは並みの不良なら睨まれただけで逃げ出してしまいそうなほどに目つきの悪い三白眼。
美鈴にとって、こんなに怖い顔の人間との遭遇は初めてだった。
そんな清作がサバ研のユニフォームであるカーゴパンツとTシャツの上に白衣を羽織っている姿は異様な光景だった。
なぜか美鈴は悪名高い人体実験で知られる満州第七三一部隊とかアウシュビッツ強制収容所を連想してしまった。
美鈴の反応に、清作は醜く顔を歪めた。そのままゆっくりと近づいてくる。蛇ににらまれた蛙というのはこんな状態なのだろうか。美鈴は全身から脂汗が出るのを感じながらも一歩も動けずにいた。
怒りからか、元々怖い顔をさらに歪ませている清作が、美鈴の前に片膝を付いて目線の高さを合わせる。
「…………っ!」
思わず生唾を飲み込んだ美鈴に対してかけられた言葉はあまりにも穏やかだった。
「怖がらせちゃってゴメンね? ボクはこんな外見だから初めての人には結構怖いみたいだ。でも、見た目ほど悪い人間じゃないから、ちょっとずつでも慣れていってくれると嬉しいなぁ」
そこで美鈴がはっとする。
この物凄く怖い表情は怒っているのではなく、怖がられたことを悲しんでいる表情なのだとようやく思い至る。
「……ご、ごめんなさい。怖がるつもりはなかったです」
「いいよいいよ、分かってるよ。ボクの見た目が怖いってことはね。だって、夜中に洗面所の鏡に映った自分の顔を見て悲鳴を上げそうになるぐらいなんだから。この前もね、迷子の子供がいたから大丈夫? って声をかけてみたことがあったんだけど……」
「博士!!」
大介の鋭い声が清作の言葉を中断させる。
「自虐ネタはそこまでにしとけ。わざわざ自分を貶めようとするな! お前が本当に良い奴なのは俺たちが証言できる。だから、自分の傷を抉ってまで無理に和ませようとするな」
「そ、そうだね。ごめん」
厳しい大介の言葉に清作がちょっと困ったような、それでいて嬉しそうな様子で頭を掻く。大介が今度は美鈴と結花に向き直った。
「あらかじめ言っておかなくて悪かった。俺たちは慣れてるからうっかりしていたが、博士は本当にすごく優しい良い奴なんだ。だから、先入観にとらわれずにこいつのことを見て欲しい。すぐにこいつの良さに気づくはずだから」
一成とジンバと忍も大介に追従する
「そうそう。こいつはこんなおっかない外見だけどよ、いわゆる草食系っての? すっげー穏やかな性格でさ、あくまで陰からのサポートに徹する縁の下の力持ちなんだぜ」
「でやすな。あっしは、博士の兄ぃほど心優しい人間は知らねえでやす。それはもう岩清水のように清らかな心の持ち主でしてね」
「……ちなみに、博士は捨てられた動物を放っておくことが出来ない。見つけ次第拾ってきて世話をして里親を探して、見つからなかった場合は結局自分で飼っている。現時点では、拾ってきた犬が二匹に猫が三匹、怪我をしているところを助けた狸が一匹に兎が一羽、カラス三羽に鷹一羽を世話している。愛情を注がれているからどいつもこいつも丸々太っているし博士によく懐いている。動物は本能的に人の内面を見抜くようだ」
「あ、違うよ忍者。狸が昨日子供を四匹産んだから狸は五匹だよ。まだ目が開いてない子狸たち可愛いんだぁ」
「承知した。情報を更新しておく」
「……まあ、こういう奴なんだよ。いい奴だろ? 今だって、スリングショットの撃ちすぎで腕の上がらないネコちゃんたちのために筋肉痛に効く湿布薬を作ってくれてるとこなんだぜ?」
「え、そうなんです?」
びっくりして聞き返す美鈴に清作がうなずく。
「うん。処置は早いうちにしておくのが一番だからね。忍者からも多分必要になるって聞いてたし」
「うわー、博士先輩ってなんかマジでいい人じゃん。なんかうち、ちょっと自己嫌悪」
と結花が凹んだ声を出す。
「博士先輩、その、怖がってごめんなさい。これからよろしくお願いします」
美鈴は素直に謝ってぺこりと頭を下げた。それを見て清作の目が潤む。
「こ、こちらこそよろしくね! た、隊長、どうしよう? この娘たちすごくいい子だよ! ボク、ちょっと感動しちゃったっていうか、なんか泣けてきたよ」
「だから、普段から言ってるだろう。見る目のある人間にはお前の誠実な人柄はちゃんと伝わるって」
「我もさっき言ったではないか。期待の新人だと」
淡々と言いながら忍が差し出したタオルを受け取った清作が無言でそれに顔を埋める。
「…………」
しばらくしてタオルから顔を上げた清作は、目がちょっと赤く腫れぼったくなっていて、見た目の恐ろしさは更にパワーアップしていたのだが、美鈴はもう怖いとは思わなかった。
「ご、ごめんね、みっともないところ見せて。湿布はもう出来てるからさ、さっそく処置しようか?」
弾むような足取りですり鉢に駆け寄る清作。美鈴と結花も近づいてすり鉢の中のペースト状の物を覗き込んだ。
「これ、なんなん?」
「あ、なんかミントっぽい爽やかな匂いがします」
「正解。これはね、セイヨウハッカいわゆるペパーミントと赤松の樹脂を擂り合わせたものなんだ。両方とも筋肉痛に効く成分が含まれてるんだよ。で、これをガーゼで包んで患部に押し当てておくと染み出してきた成分が筋肉痛に効くってわけなんだ。さ、ちょっと腕まくりして? 手首と肘に着けておくだけでだいぶ違うはずだよ」
「ま、見た目はあれだが、だまされたと思ってやってみるといい。効果は俺が保障する」
大介に促されて、先に美鈴が未だに痺れている右手の袖を二の腕までまくって清作に差し出した。
「ちょっと、動かないでね」
清作はペーストを包んだガーゼを美鈴の肘に押し当てて、包帯を巻く。肘が終わると手首も同じようにする。美鈴の細腕など簡単に握りつぶせてしまいそうな大きな手が、壊れ物を扱うかのように優しく丁寧に包帯を巻いていく。
「大丈夫? きつくない?」
「はい。大丈夫です」
「今日お風呂に入る時までこのままにしておいてね。お風呂はぬるめにしてゆっくり浸かるのがいいよ。お風呂の後で市販の湿布を肩に貼っておけば言うことなしかな」
「わかりました」
美鈴が終わると、結花も同じように手当てをしてもらう。
「……博士先輩、なんでこんなに包帯の巻き方上手なん?」
それは美鈴も思った。
「んー、基本は保健の先生に教えてもらったんだけど、やっぱり慣れかな? ここは結構荒っぽいこともするから皆、生傷が絶えないしね。ところで、明日もスリングショットの練習はするのかな?」
「そのつもりだけど」
「じゃあ、明日は練習に行く前にテーピングをしておこうか? まだ慣れてない二人は筋を痛めやすいからね」
「あ、ありがとう」
「お安い御用だよ。さ、出来たっと」
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