第15話 射手

武道館に到着して、中には入らずにそのまま建物の裏手に回った。


そこは空き地になっていて、武道館のひさしの下に並んだ弓道部員たちが空き地に設置されている的に向けて矢を放っていた。

 

こちらに気づいた弓道部員たちが矢を射る手を止めて次々に声をかけてくる。


「おーっす! 茂山も練習?」


「あら茂山君、また例の狩りが近づいてるの?」


「おいおい、その子ら新入部員? 可愛いじゃん」


「お嬢さん、弓道部にこない?」


「おれの目の前でうちの仮入部員を口説くとはいい根性じゃねえか」


「わははっ。冗談だってーの! 参謀殿がいないところで改めて口説くさ」


「おれらに構ってねえでさっさと練習に戻れよ。部長が睨んでるぜ?」


「え! マジ!?」


軽口を叩きながら弓道部員の後ろを通り過ぎて、一番奥のレーンに向かうとそこには一人の黒人の少年がいた。

 

180㌢を優に超す身長。無駄なく引き締まった長い手足。黒光りする肌。たくさんの小さな三つ編みをオールバックにして後頭部で一つに結びポニーテールのようにしている独特の髪型。


まるで野生の黒豹のような印象を受ける。

 


そんな彼は、レーンの先を見据えながら左手に構えたスリングショットで何かを飛ばしていた。


美鈴たちが近くに来ても気づかないほどに集中している。

 

美鈴が目を凝らしてみると、レーンの一番奥、30㍍ほど離れたところに砂山が盛り上げてあって、そのすぐ手前にかまぼこ板のようなものが何枚も地面に突き刺してあるのが見えた。


ここからでは遠すぎて米粒ぐらいにしか見えない。

 

まさか、あれを狙ってるんじゃないよね?

 

ちょっとドキドキしながら事の推移を見守る。

 

黒人の少年はスリングショットを左手に構えたまま、右手をカーゴパンツのポケットに差し入れてパチンコ玉のような銀色の弾を一つ取り出してスリングショットのゴムの真ん中にある弾をホールドする場所にセットし、そのまま右手の親指と人差し指でゴムを大きく引き絞った。


――バシュッ

 

空気を切り裂く音とともに弾が目にも留まらない速さで撃ち出され、次の瞬間にはずっと向こうの的板が弾き飛ばされて宙に舞い、その後ろの砂山からは弾着を示す小さな砂煙が上がっていた。

 

美鈴は思わず息を呑んだ。あの小さな的に本当に当てたなんて信じられなかった。

 

しかし黒人の少年は次々に弾を撃っていき、その度に的板は宙に舞い、砂山に砂煙が上がる。とてつもない凄腕だった。

 

彼がついにノーミスですべての的を弾き飛ばし、ふうっと小さく息を吐いたとき、美鈴と結花は彼の妙技に惜しみない拍手を送っていた。


「……!?」

 

この時になって初めてギャラリーの存在に気づいた少年が慌てて振り返る。


「すごいです! ミネコは感動したです!」


「あんな小さい的に当てるなんて、信じらんないじゃんね!」


少年が照れ笑いしながら頭を掻く。


「いやぁ、まさか見られてたとは思わなかったでやんす。お嬢さん方には、お見苦しいものをお見せいたしやんした」

 

ずいぶんと腰の低い少年だった。


「さっすがアフリカ人。相変わらず化け物みたいな視力じゃねえの」


「いやいや参謀の兄ぃ、あっしは生まれはタンザニアでやんすが、今はれっきとした日本人でやんすよ」


「そういう意味で言ったんじゃねぇんだけどな。ま、いいや。この女の子たちは新入生でサバ研の仮入部員だ」

 

一成が美鈴と結花を指し示したので、二人はそれぞれ自己紹介をして頭を下げた。


「峰湖美鈴なのです。まだ成長期です。よろしくお願いしますです」

 

さっきはちっちゃいなどと不本意な紹介をされてしまったので成長期を強調すると横で結花が吹き出した。


「ぷぷっ。う、うちは花御堂結花です。お世話になります」

 

少年は白い歯を見せてニカッと笑い、芝居がかった口調で口上を述べる。


「これはこれは。じゃ、あっしも自己紹介をば。えー、ごほん。あっしは生まれも育ちもアフリカ、タンザニア。タンザニア湖で産湯につかい、姓はタケナカ、名はジンバ、人呼んで【射手】のジンバと発しやす。不思議な縁をもちまして母の生まれ故郷たる日本の土を踏んで早五年。以後この見苦しき面体、お見知りおかれましてはどうぞよろしくお頼み申し上げやす」


「……えーと? その、どこかで聞いたことがあるようなフレーズですね?」

 

どうリアクションを返したらいいものか困る美鈴。


「…………うちはいったいどこからツッコむべき?」

 

結花がかなり真剣な表情で大介に尋ねる。大介が苦笑気味に説明する。


「射手の親父はいわゆる日本かぶれのアフリカ人ってやつで、特に『寅さん』が大好きだったんだと。で、こいつも『寅さん』とか古典落語で日本語を勉強したもんでこんなしゃべり方をする奴になったってわけだ」


「いやいや隊長の兄ぃ、そいつを言っちゃあおしめえよぉ」


「なるほど。なんか心の底から納得した」


「しゃべり方はともかく、今見てのとおり射手の二つ名は伊達じゃない。スリングショットの扱いはこいつに教えてもらうのが一番だ。君たちも早速撃ってみるか?」


「もちろん!」


「ミネコもやってみたいです」


「ということだ。この二人にスリングショットの使い方を教えてやってくれるか?」


「お安い御用でやすよ。僭越ながらこのあっしがお嬢さん方にスリングショットの使い方をしっかり伝授いたしやしょう」


快く応じながら、ジンバが近くに置いてあったサバ研の備品であるボストンバックの中から折りたたみ式スリングショットを二つ取り出し、手早く組み上げる。

 

本体は金属製で、ハンドル部分だけが合成樹脂で出来ている。


構えたときに狙いがぶれないよう腕に固定する為のアームガイドも付いていて、Y字形の木で作った玩具のパチンコとは明らかに違う。


それは確かに狩猟用と呼ばれるにふさわしい代物だった。


「スリングショットのゴムはね、赤いやつの方が強力で黄色い方がちょっと弱いんでやすよ。お嬢さん方は初めてだし、とりあえずこの黄色いゴムの方を使ってもらいやしょう」

 

ジンバが手渡してきたスリングショットを受け取り、思ったよりずっしりと重いことに驚く。


「お嬢さん方は二人とも右利きでやすか? ……なら、左手でハンドルグリップをしっかり握ってくだせえ。ゴムを引っ張った時にアームガイドが左腕に押し付けられる状態でやす」

 

言われるままにアームガイドの下から腕を差し込んでハンドルグリップを握る。


「次に構え方でやすが、左手をまっすぐ伸ばして手の甲が上を向くようにしやす。スリングショット本体が90°横向きなる状態。これがスリングショットの構え方でやんす」

 

美鈴と結花がそれぞれスリングショットを構えてみせると、ジンバはうんうんと満足げにうなずいた。


「持ち方はそれでいいでやすね。あとは撃つときの姿勢でやすけど、弓道部の兄ぃさん、姉ぇさんの姿勢を見て真似てみておくんなせえ。スリングショットも弓も基本の姿勢は同じなんでやすよ。矢をまっすぐに飛ばせる姿勢はそのまんまスリングショットを正確に撃つ姿勢でもあるわけでしてね」


「へえ、そうなんですか」

 

美鈴は弓道部員たちの姿勢を真似して、足を肩幅ぐらいまで開いて立ち、スリングショットを持った左手をレーンの先に向けてまっすぐに伸ばし、まだ弾をセットしていないゴムを弓の弦を引くイメージで軽く引っ張ってみた。


「そう! それでやす! 二人ともとても綺麗なフォームでやすよ。あとは正確な射撃をするために自分の利き目を知っておく必要があるんでやすが、お嬢さん方は自分の利き目がどっちか知ってますかい?」


「なんなん? その利き目って」

 

スリングショットを構えていた手を下ろして結花が訊ねる。



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