第12話 大猪とお調子者
大介が哲平と遼に【大猪】襲来を知らせていた頃、当の大猪こと武井はまだサバ研の部室の前にいた。
さっき大介が顔を出すのが見えていたからこの中にいるのは間違いない。だが、再三の呼びかけにもかかわらず、ドアが開く気配はない。それどころか中からは物音一つ聞こえない。
武井には、何故大介をはじめとするサバ研部員たちが自分を避けるのかが理解できない。
まったく、あれほどの人材が山岳部に来ないなど、どう考えても宝の持ち腐れだ。奴らの真価は山岳部においてこそ発揮されるものであるというのに。いや、奴らも本当は気づいているのだ。そして山岳部に来たいと願っているのだ。ただ、ちょっと素直になれないだけなのだ。そう、いわゆるツンデレというやつだ。だからこそオレが積極的に動いて奴らに山岳部への門戸を開いておいてやらねばならない。
こうなれば持久戦だ、と武井はサバ研の部室の前にどっかりとあぐらをかいた。
そこで初めて気付く。
「おや、このオレに何か用か?」
いつの間にか一人の男子生徒がそばに立っていた。ひょろっとした背の高い少年で全体的に顔のパーツが緩い印象がある。
「えーとすね、サバ研の部室ってここっすよね? 先輩は関係者っすか?」
「そうだ。だが何の用だ?」
武井にとっては山岳部に吸収合併するつもりのサバ研はすでに身内感覚なのだ。
「いやぁさっきの部室の窓からのロープ降下見てたんすよ! マジかっこよかったっす!」
「ちょっと待て! 窓からロープ降下だと? ってことは茂山は窓から逃げたってことか!?」
「あの人は茂山先輩っていうんすか。もう、マジ憧れるっすよ」
少年はよほど感動したのか頬を紅潮させているが、武井にとってはそれどころではない。
「にっ逃げられた! うおおおおおおっ! しげやまぁぁぁぁ!!」
再び雄たけびを上げて走り出そうとした所でふっと気がついて、その場で足踏みしながら少年に尋ねる。
「っと、それで少年、肝心の用件はなんだったんだ? 茂山に伝えておいてやるぞ」
「あっ、マジっすか。えっとすね、ぼくもサバ研に入りたいんすよ」
武井が足踏みを中止してガシッと少年の肩を掴む。
「……少年、なぜサバ研に入ろうと思ったんだ?」
「やっぱかっこいいじゃないすか! せっかく高校に入ったんだから、かっこいいことをやって女の子にもてたいっすよ!」
「なるほど! これ以上ないくらい単純明快かつ納得できる動機だな。確かにサバ研は素晴らしい。だが、サバ研よりももっとかっこいい部活があるのを知っているか?」
「マジすか!? もっとかっこいい部活があるんすか?」
「ああ! 男の中の男が集うクラブ、山岳部だ!」
「さ、山岳部っすか?」
「そうとも。オレが山岳部長の武井だが、見たまえ! この美しき筋肉を!」
そう言いながら武井はボディビルダーよろしくポーズを決めてみせた。
「うおっ! すげえ筋肉っすね」
期待通りの感想に気を良くする。
「うむ、そうだろう。考えてみたまえ! 神が創りたもうた偉大な大自然! その中にはまだ人の手の及ばぬ秘境が隠されているのだ! そんな前人未到の地へ道なき道を往き、立ちふさがる障害をその手で切り開くには鍛え上げられた肉体は不可欠だ。そうは思わないか?」
「思うっす!」
「もちろんそれが全てではない。大自然を前にして一人の人間はあまりにも卑小な存在だ。そんな人間が大自然に挑むには鍛えられた肉体に加え、強靭な精神力、仲間との強固な信頼の絆も欠かせない。だが考えてみたまえ、そんなイカした男の魅力の虜にならない女がいるだろうか?」
武井は自分が葵にまったく相手にされていないことを完全に失念しているのだが、新入生の少年がそんな裏事情を知りうるわけがない。
「ありえないっす!」
「そうだろう! 山岳部では鍛えられた肉体、強靭な精神力、固い絆で結ばれた仲間のすべてを手に入れることができるのだ! しかもだ、今入れば即レギュラーとしてインターハイ予選に出場できる。どうだ! 山岳部に来ないか!?」
「行くっす! 入るっす!」
武井は満足気に大きくうなずいた。
「すばらしい決断力だ! オレには分かる。君こそ山岳部にふさわしい逸材だ。さあ、オレについて来い! 山岳部の部室に案内しよう。……ときに君の名はなんだ?」
「
「よし、高見沢! お前はオレが立派な男にしてやるぞ! 行くぞ!」
「おっす!!」
当初の目的を忘れた武井が、同じく当初の目的を忘れた高見沢を連れて意気揚々とサバ研の部室の前から引き上げていくのを少し離れたところから冷ややかに見守る目があった。
彼は一部始終を目撃した後ですっと音もなくその場を離れると人ごみの中に紛れ込んだ。
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