第4話
前述の通り、アズマを初めとした学生は夏休み真っ只中であるのだが、それ意外の社会人は普通に平日である。
それは、日本の市町村の一つである、ここあけぼの市でも変わらない。
「やめてぇ………」
あけぼの市の片隅にある、とある有限会社。
事務を担当しているある男が、猛暑の中そう漏らした。
男は、もう限界だった。
「お前は独身だから別にいいだろ」と、仕事を自分に押し付けて帰る既婚の先輩も。
社会人のくせして変な対立意識とイジメで、自分の仕事を隠す後輩にも。
この猛暑にクーラーを切り、「自然の風が一番!」と窓を全開にして蚊を出入りさせる上司にも。
まあ、お金を貯めて転職すればいいとは思うだろう。
が、それ以前にこの職場は給料も安く、ほとんどが生活費に消えてゆく。
故に貯金は一向に貯まらず、過労によってすり減らした精神は、次第に反抗意思と思考を奪い取ってゆく。
そして、すっかり鈍化した脳からひり出されるのが、この一声。
「やめてぇ………」
辞めたいと言えど、言うしかできない。
準備をする気力も、手段を取る体力も奪われた今において、彼は猛暑にダラダラと汗を流しながら、ただ一人事務作業を進めるしかない。
何より恐ろしいのが、今の日本において彼のような存在が珍しくない事だろうか。
ジージー響くとアブラゼミの大合唱をBGMに、脳が煮詰まるような感覚が襲ってくる。
幸い上司は外に出ており、熱中症になる前にこっそり休憩室に涼を取りに行こうか?
そんな考えが過った、その時。
………ふと、先程までジージーと五月蝿かったアブラゼミの合唱が、ピタリと止んだ。
そして、男の働いている仕事場を照らしていた日差しも、影に遮られた。
雲がかかったのか?と男は考えた。
だが、直後に漂ってきた生暖かい空気で、それが知る限りの自然の起こした現象ではないと解った。
………グルルル
何かが、いる。
明らかに生物が発する唸り声が、男の感じていた疑惑を確信に変える。
一体、何がそこにいる?
振り向いた男が見たもの。
それはむき出しの牙と、毛むくじゃらの大きな頭であった。
………………
あけぼの市は、海に面した湊町。
停泊している船のほとんどが漁船であり、海の幸に恵まれた活気のある町だ。
………もっともそれも、間違ってイルカが網にかかった事を境目に、自然破壊だとして一部の団体から睨まれているのだが。
「………綺麗だなぁ」
高台の広場から一望する町の風景は、まるで昔の青春映画に出てくるような、どこかノスタルジックを感じさせるそれだ。
それをアズマは、「綺麗」の一言で表現した。
風情のある感性と取るか、中学生らしい語彙力の無さと取るかは、読者諸君に任せるとしよう。
「ま、不自由はしなさそうに無いわね」
スカーレットの、テイカーとしてのドライな視点から見ても、あけぼの市は悪くなかった。
携帯の電波も通じるし、大きめのデパートやレストランもある。
少し歩けばダンジョンにアクセスできるし、何より装備の修理を請け負ってくれたゴールド重工は、目と鼻の先だ。
ダンジョン自体のレベルもそこそこあり、神沢ロックホールと比べれば、手応えも収入も期待できる
「じゃあ、まずは一先ずの寝床を確保しなくちゃね」
この町に滞在するに至り、必要になってくるのは拠点となる寝床だ。
資金には限りがある為贅沢は出来ないが、出来る限りいい場所に宿泊したい。
どこかにいいホテルはないか?と辺りを見回すスカーレット。
その時。
「ママ、あれー」
広場にいた子供の一人が、頭上を指差す。
それを皮切りに、広場にいた人々が次々と頭上………町のビルの向こうに、視線をやる。
今が昼頃という事もあり、広場に多くの人が居た事もあって、「それ」は大勢の人々の知る所となった。
人か?とも思った。
ビルの上を、忍者が何かのように飛び回る影が、三つ。
ビルの上で、何処かのパフォーマー気取りのバカが、無許可でアクション映画の真似事でもしているのかと。
「それ」が少し近づいた事で解った。
いや、違う。
人間の腕はあんなに長くないし、どんな鍛え方をしたとしてもつく筋肉の形状をしていない。
何より大きさだ。
ビルと比較して雑に計算しても、4m前後はある。
あんな大きさの人間など、いる訳がない。
もっと「それ」が近づいてきた時、人々は確信した。
あれは生き物だった。
頭部と腰回りだけが、その黒い体毛に包まれているが、それ以外は体表が剥き出しになっている。
灰緑の表皮を持った筋肉質な、某海賊漫画やアメコミの概念的イメージでよく浮かぶ、腕と上半身が肥大化した所謂「ゴリラ体型」を持つ。
が、その顔は類人猿のそれとは異なる。
ロバを思わせる耳と、スタンプのような鼻。
口から覗く牙も合わさって、イノシシの顔をブルドッグのように潰したような印象を与える。
本来は夜行性の生態の為、目は退化していて小さい。
普通の生き物ではない。
一目で解る、それはモンスターだ。
「あれは………オーク?!」
スカーレットが驚き、発した声の通り、そのモンスターは「オーク」の通称で呼ばれている。
ファンタジーRPG文脈におけるオークは豚頭のモンスターであるが、豚の仲間ではない。
じゃあゴリラかと言うと、そうでもない。
学名、ウェスペルティリオー・ギガス。
和名、ショウジョウコウモリ。
これらから解るように、なんとコウモリのような生物から進化したと考えられている。
たしかに、潰れたイノシシのようで目の小さな顔は、コウモリの面影を感じさせる。
そして、コウモリがそうであるように暗い場所を好み、
なおかつ
これだけでも、生物を研究する者からしたら大事件だろう。
が、問題はそれだけではない。
ブゴォ!
ブギィィ!
ずしん!と、ビルの上から広場に降り立ったオークは、全部で三体。
見た目から解る通り、オークは狂暴なモンスターであり、なおかつ肉食だ。
それが街中に現れたという事は、つまりはそういう事である。
「に、逃げろぉぉ!!」
「きゃあああ!!」
「助けてくれぇぇ!!」
たちまち、広場はパニックに包まれた。
泣き叫び、逃げ惑う人々。
耳をつんざくような悲鳴、その中心に居るのは三体のオーク。
………もし、あけぼの市の人々がデフォルトで生物に明るければ話は違ったのだろう。
だが、ここに居るのはタカアシガニがヤドカリに分類される事も知らない一般人。
パニック状態という事もあり、自分達の悲鳴がオークを苛立たせている事にも気づかない。
ブゴッ………ブギィィ!
ブゴォ!ブギギ!
三体のオークも、威嚇するように唸り声を挙げる。
このままでは、更に危険な状況に陥りかねない。
「スカーレットさん!これは………」
「まずいわね!でも………!」
こういう時………オーク程でないにしても、街中にモンスターが現れた時。
以前スカーレットが居た環境では、警察の専門部署が対応に当たり、
それが間に合わない時は「緊急事態故の特例」として、その場に居合わせたテイカーが立ち向かった。
さて、
テイカーへの嫌悪感からダンジョン関係から目を反らしている日本が、警察や自衛隊にそんな部署を作るはずがない。
そもそも、突然のオーク襲来だった為に警察はまだ来ていない。
加えて、自分達以外にテイカーもいる訳がないという事で。
「………やるしかない!」
「は、はいっ!」
やはり、彼等が。
はみだしテイカーズが立ち向かうしかないのである。
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