休憩

 クロエが初めて修行を参観して早くも一ヶ月が過ぎた。夏至も過ぎ日は段々短くなっていくが日向の暑さは衰える気配は無い。むしろ最後の足掻きの様に益々強くなっていた。あの日毎日来ると言っていたがクロエの事だ結局来ないだろう、来なくなるだろうと微塵もアテにしていなかったシモンの予想は全くの外れとなっていた。

 

 「本日は血の雨の模様。防水魔法の準備が必要でしょう」 


  剣を振った拍子に飛び散る血を避けながらクロエは意地悪めいた黒い笑みを称える。シモンを心配していたのも今は昔。あの時のいじらしさは微塵も無い。初めの一週間こそ魔兎の攻撃が掠める度にビクビクしていたが慣れとは怖いモノだ、シモンの体半分抉られたとしても動じ無いだろう。むしろ治癒魔法の実験の為にわざと攻撃を交わさせない様に声援を送っているのかと邪推してしまう節すら覚える。


 「今日も血みどろだね。ちょっとじっとしてて」


 そういうとクロエは詠唱を唱え両手を合わせたかと思うとパン生地を伸ばす様に手をゆっくりと広げた。湯気が立ち上り両手の間に大きな水の球を生成した。

 

 「ちょっと息を止めて」


 水球をシモンの頭上に据え広げた掌をゆっくりと閉じる。見えない栓が抜け水流に飲また。鉄臭かったシモンの体は涼しいハッカの香りに変わった。


 「今日はハッカを混ぜてみたの。お湯なのに冷たくて気持ちいいでしょ? 」

 「涼しい気はする 」

 「そう? じゃあもっと冷たくしてあげよう 」

  「冷たっ」


 突風がシモンを襲い水気を飛ばす。シモンの至る所が竜巻の中に飛び込んだようにはためいた。はためく中シモンは鳥肌を覚え次に歯がガチガチ鳴らした。クロエの悪戯は成功だった。


 「もうちょっと我慢しなー、あとちょっとで乾くから」


 ゲラゲラ笑いながらクロエはなおも突風を繰り出した。

 漸く気が済んだのか本当に乾いたからなのかクロエは満足そうに魔法を止めた。

 シモンは撫でくり回された子犬みたいにクシャクシャで、いじくり回された子猫の様に恨めしそうな目をした。


 「てかさ防水魔法使えるんでしょ?それをかけたらいいじゃんか」

 「成らぬぞシモン、一流の剣士は返り血すら浴びぬと聞いた。我はいつでも綺麗なシモンになって欲しいのだ。一流の剣士となって欲しいのだ。防水魔法なんてかけてたらシモンの上達がわからないじゃないか。何より私が面白くない 」

「最後本音漏れているよ」


 威厳を見せようと胸を張り腕を組んで茶化すクロエに怒る気力も無い。一瞥して休憩所代わりの木陰へ向かうシモンの背中はハッカ水の残滓からなのか怒りからなのか小刻みに震えていた。


 日向は未だ夏の暑さを蓄えているが影は既に秋の準備を始めている。木々の葉は身を呈し、身を焦がし、震えて熱を拡散し集う子らの為に足元を冷やす。お蔭様で子らは時折さす閃すら心地良く感じ安穏とした時を過ごす事が出来る。 


 「……明日は学校かぁ。何しようかしら」


 一文字足りない川の字を描きいとまの休みをより一層堪能するべく、クロエは猫の様に全身を使って大きな伸びをした。


 「やる事ないしサボろうかしら 」

 「 ……クロエが来ないなら僕も行かない 」

 「じゃあ行こうかな 。……シモン、来月からどうするの? 」


苔むした外壁、ステンドグラスの窓、苔が何度も生えた後が見える床、横柄に聳え立つ古い牢獄みたいで息が詰まる学校。天井には得体の知れない道具が吊るされ、整然と並べられた長机と椅子。いつもクロエと一番後ろの角の席に座っている姿を思い描いた。クロエの周りにはいつも賑わっているが隣に座るはずなのに自身にはカビ臭い空気だけが漂っている。


 「友達作らないとね 」

 「友達なんていらない。クロエだけでいい 」

 「だから私はもういないんだって 」


 ハッカの匂いが強くなった。けど冷たくは感じない。シモンの顔にクロエの腕が纏わり付いたからだ。


 「暑いよ」

 「暑くないよ」


 クロエはシモンを腕の中に押し込んだ。


 「シモンって冒険者になるんでしょ。冒険者って仲間と一緒に戦うんだよ。なら仲間の練習だと思って友達作ればいいじゃん」

 「一人でやるから別にいいよ」

 「お姉ちゃんはそんな君が心配なのですよー 。明日は私も行くからちゃんと学校来なさいね 」

 

 少し俯いた。頭上の木の葉がサラサラと風の余韻を味わう様に揺蕩う。森との境界からエンゾが一仕事終えて少し疲れた様に近づいて来る。もうそろそろ休憩は終わりを告げられる。


 シモンはついボソッと悪態をついた。


 「いつもサボるのはクロエじゃないか」

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