修行

 日は南中に差し掛かり、エンゾは一仕事終えて木陰の息子達の元へ合流した。木陰はじゃれ合う様で満ち溢れている。モグラが地表に現れた様に眩しいその淡い光景に目を細めた。クロエは先程の失態も忘れた様にいつもの調子を取り戻しお転婆な姿を見せている。


 「休憩は済んだかね」


 エンゾの声で改めてクロエは申し訳なさそうな体裁を取り繕ったが土台無理だった。


 「じゃあ、シモンやるか ? 」

 「はい」


 シモンは魔兎が跳ねた様にエンゾの元へ行く。

 シモンは取り残され佇むクロエに顔を向けない様に告げた。


「特訓だよ、剣の」



 地も無く天も無く、光とも闇とも形容し難い空間。そこにはただ同胞達がそこにいる事だけがわかった。今まで感じた事が無い感覚だ。いつもの様に餌をくれるモノが今朝は現れず、初めてのモノが現れ、私達を追いその空間へねじ込んだ。抜け出せたと思えば、また初めてのモノが増え、初めての場所に連れ込まれていた。これから何をされるのだろうか。よくないことだという事だけは直感で理解した。戦わねばならぬ事を理解した。

 決死を覚悟した魔兎達は力が漲るのを感じる。それは安寧に育ってきた魔兎達にとっては感じた事が無い感覚。兎とは元来目は赤いが視界迄が赤い訳ではない。ただ今は視界すらも紅く燃えている様だ。火事場の馬鹿力か体は熱した鉄の様に硬く、ただれる様に熱い。脇にいる同胞も同じ、いや個々を分けれるか既に疑わしく一つの火の玉、一つの燃え爛れるツノの様だ。



 柵の方へ歩む親子に従うクロエ。剣の修行、魔兎の納品。柵の方へ向かう親子、合点がいった。魔兎相手に剣を振るうのだろう。魔兎は兎とさして変わらない。臆病で攻撃もさして強くない。難点としては素早さだけだ。さっきのシモンも素早かったけど魔兎は20匹も居る。何回かは剣が盛大に空振流だろう、もしかしたらすっ転んじゃうかも…… 。大人しい子だけど負けず嫌いな子だから私が見ていると顔を赤らめるかしら、少し涙目になるかしらとクロエは身震いを感じながらついていった。

 柵まであと数歩というところでエンゾは腰に刺してた剣をシモンへ渡す。祭りの屋台の前で小銭を渡された様にシモンは剣を握りしめ柵の中へ飛び込み、抜刀、抜いた剣は標的を定めあたかも標的と見えない糸で繋がった様にピタッと止まった。

 遅れながら柵の前に着いたクロエはさっきまでの妄想が消え魔兎の禍々しさに困惑に襲われる。


 「これが魔兎? 」


 魔兎というのはうさぎとさして変わらない……はずだ。今朝の魔兎もそうだ。そうだったはず……


 「魔兎だよ。修行用に少し強化しているけど」


 困惑しているクロエにエンゾは当たり前の様に告げ柵にもたれ掛かるとパンを齧った。パンには挟む時はシャキシャキしてたであろうレタスとスライスした彼ら同胞の兎肉が挟んである。二口、三口と齧る。最後の一欠片を食べ切ってようやくクロエはエンゾの言葉を理解した。


 「そんなことして大丈夫なんですか? 」

 「あぁ、あの子には問題ないさ。」


 剣の修行と言ってもここまでやるのかしら?農民親子の趣味程度としか想像していなかったクロエはただ困惑するしかなかった。ただ保護者が大丈夫だと言うのだから大丈夫なのだろうと不安を残しながら納得をした。

 

 シモンが動く、魔兎の群も動いた。魔兎は扇状に広がる。扇は凹状になり掴み掛かろうとする大きな手となってシモンを襲う。シモンは剣を振りかぶり薙ぐ様に真ん中へ飛び込んだ。魔兎一匹を切る。死際に魔兎はその溜め込んだ魔力を爆発させた。爆風に巻き込まれ同胞数匹は跳ね上がった。シモンも跳ねた爆発を避ける為。既に魔兎はシモンを取り囲んでいた。跳ねた先へ魔兎の攻撃、シモンの背中目掛けて数発の火の玉が襲う。シモンはのけ反り剣で受け返す切先でまた魔兎数匹を斬る。避ける。斬る。避ける。斬る。斬る。

 避けては斬ってを繰り返し一刻が過ぎる頃には柵内は魔兎の死骸で溢れていた。土は各々の跳躍の折に削れ、血が溜まり赤く、若しくは魔兎の攻撃により蒸発し黒く焦げて豹の毛皮の様だ。20匹納品されていた魔物ももう5匹と居ない。魔兎とシモンは土と同化する様に豹柄となり、ただ疲れからなのか体を大きく上下している事のみが生命体である事の証となっている。

 エンゾは柵にもたれかかり延々と広がる草原に腰を据えのどかな情景をただ見る様に視線を遠くに置いて全体を眺め、魔兎の異様な姿に当初心配していたクロエもシモンが未だに攻撃を受けずにいる事で杞憂と知り、母が授業を参観する様に何も心配しなくなった。


 「シモンってすごいんですね。こんなに剣術が上手なんて知りませんでした」

 「あの子はすごいさ。誕生日に冒険者になりたいって言われ剣術を教える事になったが、もうここまで動ける様になるなんて思わなんだ 」

 「誕生日って未だ1ヶ月も経ってないじゃないですか 」

 「そうだ、だからすごいのさ。親バカと言われるかもしれないがシモンには剣の才能があると確信している 」

 「シモンには剣の才能がある…… 」

 自分の事では無いが少しムズ痒かった。いつもの教室では魔法が使えないだけで劣等生の烙印を押され同窓に馬鹿にされている事を知っているクロエ。シモンを馬鹿にする連中を見つけては注意はしている。シモンが落ち込んでいると思えば励ましてはいるが、もしかしたら自身の奥では同じ様に劣等だと思っていたかもしれない。彼の夢を知り彼に見透かされていたのかと恥ずかしくなった。


 「冒険者か…… 」

 「学校ではどんな感じなんだい? 」

 「どうって……普通ですよ。至って普通の子です」

 「普通の子か…… すまない意地悪な質問をしてしまって、確かにあの子は魔法が使えない。それはこの村では普通では無いのだろうな」

 「魔法なんて関係ないですよ。魔法使えたらあわよくば王宮で働ける。ただそれだけの事で馬鹿にしてくるなんてそれこそ馬鹿げた事じゃないですか」

 

 自身の卑しさを否定する様につい捲し立ててしまった。クロエは俯き首を掻いた。そしてシモンに目線を向け拭う様に声援を発した。


 「後5匹だよ。頑張って」


 シモンは横目にクロエを見た。その隙を見逃さなかった魔兎がシモンを襲う。シモンは慌てて退避、ワンテンポずれ攻撃が当たった。苦悶の表情を見せるシモン。シモンのシャツが焦げ腹部があらわとなる。濡れていた為だろうか魔兎の攻撃は体自体には到達できておらず服が焼けたときに一緒に焦げた程度だ。それでもシモンは恐怖を抱いた。シモンは下がろうと視線が後ろへ向き、切先も自然と下がる。


 「下がるな! 進め! 」

 

 さっきまでの穏やかさは消えエンゾは怒声を張り悪手を打とうとする息子を制した。シモンは後方に置いた加重を前へ起き直す。視線は魔兎へ起き直す。切先は視線と同じ方角へ。攻撃が成功した魔兎は眼前で次の攻撃の準備をしている。角に魔力が集められ球体に光る。シモンは跳躍し剣を魔兎へ刺し出す、角の魔力は霧散し、魔兎は先ゆく同胞と同化した。


 「気を抜くな! 次だ! 」


 シモンは未だ残る魔兎を注視し切先を向けた。同胞の攻撃が当たった為か士気が上がっている魔兎は再度攻撃を仕掛ける。今度は2体同時で火の玉を発する。火の玉は交わり歪な大きな球となりシモンを襲う。シモンは今度は恐れない。二つが交わった為に生まれた隙間に飛び入り魔兎の眼前に立った、途端横から別の火の玉、向かってくる火の玉を2つに切り続け様に眼前の魔兎達を撫で斬りにした。一匹はかわし足のみを斬った。血の池に背中から落ちる。腹に剣を落とし残り二匹。剣を抜き様後ろを向いたシモンの眉間に角が襲う。剣を回し切先を角へ、角と刃が辺り火花が散る。角の主の眉間に血が垂れた。魔兎達は跳び下がりシモンを中心にして前後対角線上に円を描く。二体と一人は隙を伺う。二体は魔力を込め、一人は力を込めた。気力が満ち二体は同時に魔力を放出、自身の魔法を追い越す様に跳躍しこれが最後の特攻だと言わんばかりだ。シモンは剣を横に寝かせその場で2回転、火の玉と魔兎をそれぞれ斬り伏せた。

 シモンは柵内にもう生きているモノはいない事を確認した。顔を拭おうとしたが留まりエンゾを見た。エンゾはいつもの様に穏やかに立ち視線に応えた。


 「今日は終わりだ。片付けるぞ 」


 シモンは最後の仕事と言わんばかりに剣をめいいっぱい振って血を払い血塗れの鞘に納めた。


 「ごめんなさい」

 「何が? 」


 突然謝ったクロエにシモンは理解が追いつかずキョトンとする。シモンの火傷を負ったお腹を見てクロエの目が滲んだ。


 「痛そう、本当ごめんなさい。じっとしてて」


 クロエは血の池に跪きシモンの腹部に手をあて詠唱を唱え始めた。途端掌が朝露に滲む草木の新芽の色の様に淡く光りだした。光はシモンの体に写り患部に留まり絹のレースが風を収める様に揺らいでいる。光が揺らぐ毎に傷が朧気になってゆく。


 「クロエ。……くすぐったいよ 」

 

 シモンは口についたパン屑を急に拭われている子供の様に邪険にクロエに言った。

 火傷は深くなかった為治癒はすぐに終わった。詠唱は終わっている。が、クロエは跪いたまま、俯いたままだ。


 「私のせいで…… 」

 「シモンが気を逸らしただけなのだから、君のせいでは無いよ」


 魔兎の死骸を集め終え穏やかにエンゾは告げた。クロエは伏せたままだ。エンゾはこの状況をどうしようか思案した、一つの提案を思いついた様だ。


 「君がそんなに気を病む事は無いのだが、提案だが明日以降も私達の修行を手伝ってくれないか? 」

 「え? 」

 「知っての通り私達は魔法が使えない。けれど君は使える。シモンが傷を負った時癒してほしいんだ」


 クロエは顔を上げた、一層滲んだ瞳をエンゾに向けた。シモンは状況が読み込めずまだキョトンとしたままだ。


 「無理にとは言わない。来れる時に来てくれるだけで良いのだがどうだろう? 」


 クロエは目を閉じて開いた。


 「毎日来ます」


 滲んだ瞳は消えていた。

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