第21話 誤解が解けたある日
それから数日が経った朝の8時。営業時間前の外清掃中。
「うう、眠いなぁ……」
「寝不足ですか?」
橙色をした大きな目を掻きながら、眠気に耐えている乃々花である。
「うん……。自宅でカット&カラーの動画を見てたら、どんどん時間が過ぎちゃって」
「あははっ、気をつけないとダメですよ。体調管理は大事ですから」
「年下のくせに先輩ぶっちゃって」
「それは関係ありません」
「ふふっ、確かに確かに」
どうして態度が違かったのか、その理由を知ってから二人の距離はかなり縮まっていた。
「はあ。修斗くんを見習わないといけないのになぁ、わたし」
「見習う……ですか?」
「うん」
ふんわりのパーマがかかったポニーテールを靡かせ、微笑を向けてくる。
「これはずっと思っていたんだけど、修斗くんは疲れた顔とか弱音を出さないでしょ? わたしもその意識は持ってるのに、ふとした時に出ちゃうから」
「営業時間になればキリッとなるじゃないですか、乃々花さんは。誰に迷惑をかけているわけでもないので、今のままで大丈夫だと思いますよ」
「そうかな?」
「はい。乃々花さんがいることで職場の雰囲気もよくなっているかと思いますし、あまり偽らなくてもと言いますか、そのままの乃々花さんが一番いいなと個人的には思います」
彼女がムードメーカーの一人だということは務めて初日から感じていたこと。
仕事中と仕事前のギャップが可愛がられている部分でもあるのだろう。
「やっぱりいいフォローをするよね、修斗くんって」
「そんなことはないですよ」
「そんなことなくないよ。本当にやり手なんだから」
表情の変化が目まぐるしい。
整った眉をピクピク動かしながら半目にする彼女。先輩をこのように例えるのは失礼だろうが、犬系女子というのはこんな人のことを指すのだろう。
「だからモデルの律華さんもご指名されるんだろうけどね?」
「ま、まあ偶然のことですよ。それは」
「でも情報が流れてきたよ? 施術後に連絡先を交換したって。偶然はあったかもしれないけど、気に入ってもらう力があったことには違いないよ」
「正直、オモチャとして気に入られている感がありますけどね……?」
「それはそれで修斗くんも楽しんでそうだけど」
「あはは。否定はできないですね」
元々が接客好きで、会話も好きな修斗なのだ。嫌々関わっているわけではない。
「でも、修斗くんはそっちの方が相性はいいかもしれないね? リードするよりはリードされる、みたいな。遠慮が少ない人の方がいいって言い方のほうが合ってるかもだけど」
「それはそうですね。乃々花さんは違いますか?」
「わたしは年上ぶりたい人だから、リードしたい方かなあ」
「年上ぶりたい……ですか」
「うん。って、その微妙な表情はなんだー? 『無理無理』って気持ちが伝わってくるけど」
眉間にシワを寄せたところ、首を傾けながら鋭いツッコミを入れてくる乃々花。
柔らかい雰囲気と口調。優しい顔立ちと性格。ふんわりの要素が詰まっている彼女にはなかなかに厳しい願望なのかもしれない……。
「ま、まあ……お互い恋人を作るところからですね」
「あれ、『お互い』ってことは修斗くんもいないの? 恋人さん」
「いませんよ。募集中ですね」
「そうなんだ。ならわたしが挙手しちゃお」
「おおー助かります」
「っ」
冗談の口調を見破り、こちらも軽口で言い返した矢先、息を呑んだ乃々花は掃除の手を止めて、ゆっくりとこちらを見てくる。
「ぐぬぬ、そっちのタイプか、修斗くんは」
「え?」
『なにを言っているんですか』なんて流す冗談を言われる。そう予想していた彼女にとって、肯定する方の冗談は考えていなかった。
動揺をするのも仕方がない。
「う、うん……。とりあえず店長に相談しなきゃ。『修斗くんに口説かれたんですけど、どうしましょう』って。『面倒見役のわたしは、こんなところも面倒を見るべきなのでしょうか』って」
「えっ!? いや、自分はそんなつもりじゃ……って、乃々花さんもわかってますよね!?」
「なんのことかなあ」
「あ、あの……。ほ、本当にそれだけは……」
店長と
慌てる修斗とは対照的に、余裕があるように口撃を仕掛ける乃々花。
状況的に優勢な彼女は、反撃の糸口を見つけたようにニッコリ笑った。
「じゃあ、いきなりだけど……わたしのお願いを一つ聞いてくれたら黙っててあげる」
「な、なんですか? そのお願いって」
「まあ、これはお願いってよりお誘いにはなるんだけど、修斗くんがこのお店にきてもうすぐで一ヶ月が経つでしょう?」
「そうですね。あと一週間で一ヶ月になります」
「つまり、わたしはあと7日で修斗くんの面倒見役を卒業することになって、修斗くんはこのお店でも一人前になるってことだから……個人的にお祝いをさせてもらえたらなって思ってて」
「えっ!?」
どのようなお願いがされるかと思えば、まさかの自分のためを思ったお誘い。
思わず目を大きくしてしまう修斗である。
「わたしも修斗くんもお仕事で忙しいから、調整しながらになるんだけど、それでも大丈夫かな?」
「は、はい! 是非お願いします」
これを断る人間はいないだろう。魅力的な誘いで、ありがたい機会だった。
「ふふっ、こちらこそ。今考えているのは居酒屋なんだけど、平気?」
「大好きです」
「よーしっ。それじゃあ予定は後日相談でお願いします」
「わかりました。本当にありがとうございます」
たった一つ約束をしただけだが、距離がさらに縮まったような気がした。
お互い笑顔を浮かべて再び掃除に取りかかった時、予期せぬところから第三者の声がスパッと入り込むことになる。
「なんか騒がしいと思ったら……仕事前にデートの約束ねえ」
「「て、店長っ!?」」
壁から首だけを出し、ニヤリとした店長に声をハモらせる二人。
「まあ……今回は多めに見てあげるから真面目に取り組むようにね。二人には特に期待してるから」
「「は、はい!」」
「息ピッタリだなぁ……」
再び声をハモらせた修斗と乃々花は急いで清掃に取り組む。その姿を確認した店長は安心した表情を浮かべながら店内に戻っていった。
そして監視の目がなくなったが、二人とも大人なのだ。同じ注意をされるようなことはしない。
すぐにスイッチを入れて真剣な顔になる……のはオーナーの息子である修斗だけだった。
乃々花は手を動かしながら、チラチラと隣を確認しながら呟いていた。
「うぅぅん……。もっと自然に誘いたかったなあ……」
彼女は気にしていたのだ。半ば無理やり誘う流れを作ってしまったことを。
「き、気にしてないといいけど……」
パーにした手と手を合わせながら、もう一度チラッと流し見る彼女だった。
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