第20話 残業後
「はいどうぞっ」
「あ、ありがとうございます。いただきます」
残業が終わり、乃々花と一緒に店を出た後のこと。
パタパタと自動販売機まで駆けていった彼女は、柔らかい笑顔を浮かべて購入した缶のオレンジジュースを渡してくる。
コーヒーやお茶ではなく、ジュースを選ぶのは彼女らしいだろう。
そして和解した今、冷たい態度を取られることもなく、周りのスタッフと同じように優しく接してくれる。
「今日は残業に付き合ってくれて本当にありがとう。いろいろ教えてらってとっても充実できました」
「いえ、こちらこそ刺激を受けさせていただきましたので」
「本当……? お世辞だったらちょっと傷つくよ?」
「もちろん本音です」
疑わしそうに
「言葉にすることはたくさんあって、どうしても上から目線な言い方になってしまうんですけど……カット中、参考画像を何回も確認して正確に再現されてましたよね? 乃々花さん」
「う、うん」
「正直、参考画像を少し見ただけでもある程度の再現はできるじゃないですか。でも、その楽な方を取らずに真剣に取り組んでいて、乃々花さんの向上心の高さを感じました。……そうしたところを見て自分にも火がつきましたよ。負けてられません」
「……」
「そのほかにはハサミのメンテナンスの丁寧さもそうです。一応は自分も気をつけているんですけど、乃々花さんと比べると雑な扱いをしてしまっていました」
美容師が使うハサミは一度床に落としただけで噛み合わせが悪くなり、使えなくなってしまうほど繊細な道具。
修斗もそれなりに気をつけていたものの、差があることを感じていた。
慣れからくる怠慢を律してる彼女だったのだ。
「あの、修斗くんって本当に22歳? 実はサバを読んでたりしない?」
「さすがにそんなことしてないですよ。なにか変に思うところでもありました?」
「だって着眼点が凄いから。いい意味で普通じゃないっていうか……。ちゃんと見ていないと答えられないところで、自分と当てはめながら考えられているでしょ? 褒めてもらって嬉しいのに、感心の思いが強くなっちゃった」
「あはは」
「ふふっ」
店の前でお互いに微笑み合う二人である。
今までの関係はどこへいったのだろうか、本当にいい雰囲気でコミュニケーションを散っていた。
「やっぱり凄いなぁ、修斗くんは。わたしもどんどん見習っていかないと……」
「たまには力を抜かないと体を壊してしまいますよ」
「んっ? 心配してくれるの?」
「もちろんですよ。乃々花さんの器用さなら手が震えていてもちゃんとカットができるので、その辺の心配はしていませんけどね」
「それからかってるでしょ? わたしの方が先輩なんだぞー?」
「す、すみません」
『だぞ』の語尾にツッコミたくなったが、これ以上の軽口はリスペクトに欠けるだろう。
心に和やかさを覚えつつ謝る修斗である。
「もしかしなくても、修斗くんの素ってそっちでしょう?」
「そっちと言いますと……?」
「仕事場では紳士さんだけど、本当は意地悪さんみたいな」
演技をするように腕を組み、眉を中央に寄せて訴えてくる乃々花だが、元々が優しい顔立ちをしているために圧はない。
「まあ、あながち間違っていないかもしれないですね?」
「優しくしないとダメだよ。女の子には」
「そうしたいところなんですが、どこかの先輩に冷たくされてきた
冗談混じりに隣に視線を向けてみると、乃々花はゆっくりとそっぽを向いて人差し指を立てた。
「そ、それは酷いと思うなあ……? た、確かに責められるところはあるけど、わたしなら情状酌量の余地があると思う! 尊敬してる美容師さんがいきなり支店に勤められることになったんだから」
彼女自身のことを言われていると気づいているのだろう。
ちょっと慌てながらもしっかりと反論してくるが、心の中に秘めていたことを直接伝えられているようなもの。
「あ、あの……恥ずかしいのでそれを言うのは控えてもらえると嬉しいです。敬語も結構ですから」
「っ、た、たまに出ちゃうの! わたしだって恥ずかしいんだから……。そもそも修斗くんが言わせたのに……。本当に意地悪さんなんだから」
「そ、そんなつもりはなかったですよ。本当に」
再度、『尊敬』の気持ちを伝えたのは乃々花である。完全な自爆だろう。
そうして恥ずかしい空気に包まれた矢先、彼女は『よしっ』と呟く。
「っと、それじゃあそろそろ帰ろっか? 明日も早いから。体を崩しちゃうわけにもいかないからね」
「そうですね、わかりました」
「あっ、修斗くんはお車? タクシーとか利用するならわたしがお家まで送るよ?」
ポケットからキーを見せてくる乃々花に、こちらも同じ行動で返す。
「ありがとうございます。自分も車ですので」
「あちゃ。先輩らしいところ見せたかったのに残念だ」
「もう十分先輩らしいですよ、乃々花さんは。これからもいろいろ学ばせてくださると嬉しいです」
「ふふっ、そう言ってもらえると嬉しいです」
笑ったことで砕けた口調の意識が薄れたのだろう。丁寧な口調に戻っていた。
「では、いきましょうか」
「え? どこに?」
「乃々花さんのお車までですよ。夜も遅いので危ないですから、そこまで送らせてください」
「っ、もう……。いきなり優しくなるのはズルいと思うなあ……わたし」
「当たり前のことですから。ここは後輩の顔を立たせてもらえると嬉しいです」
「う、うん……。ごめんね、残業にも付き合ってもらったのに」
「いえいえ。気にしないでください」
最後はしおらしくなった乃々花と肩を並べ、車まで送る修斗だった。
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