第8話 指名客、律華③

 その後のこと。

 カットからシャンプーを施し、仕上げのドライヤーを律華にかけていた。

 15時から始めた施術はもう50分が過ぎ、終了まで残り少し。

 チェアに大人しく座っている彼女は時計を見ながらこう呟いていた。


「うわ、あと10分かあ」

「長く感じられました?」

「ううん、その逆。美容院に行った中で一番早く感じたかも。お兄さん話しやすかったから悩みの相談までしちゃったし」

「いえいえ、こちらこそ楽しい時間でしたよ」

 ドライヤーの音に負けないように少し声のボリュームを上げて会話をする。


「……気持ちの方は上手く切り替えられそうですか?」

「正直なところまだわかんない。ただ、そっちの方がいいってことくらい私もわかってるから、まずはそうなれるように自分で道を作るつもり」

「頑張ってくださいね」

「うんうん」

 ドライヤー中なのにコクコク頷く彼女に負けないように丁寧に仕上げていく。


「さてさて、これからの活躍ぶり期待しててね。バンバン仕事取ってくるから」

「期待しています」

「あとは、恋をするみたいなことだっけ?」

「あはは、そうですね。なにか困ったことがあればまた教えてください」

「んっ。じゃあその時は頼りにさせてもらうね。お兄さんのことだから絶対からかってくるだろうけど」

「自分は意地悪なので」

「はいはい」

『嘘つき』と言わんばかりに紅色の目を細めてくる彼女に対し、目を合わせないようにする修斗は髪に湿り気がなくなったことを確認してドライヤーの電源を落とす。


「律華さん、髪のセットはどうされます?」

「せっかくだからしてもらおうかな。お兄さんのセット方法気になるし、勉強になるんだよね」

「全て自由で?」

「特にこだわりとかないからさ。その代わりに今の私にピッタリなやつにしてほしいなー」

「と、言いますと?」

「セットにテーマを作ってほしい」

「テーマですか……。なかなか難しい注文をしますね……。ちょっとお時間くださいね」

 無茶ぶりに近いことだが、それでも全力で取り組むのも仕事のうち。

 修斗は一歩二歩、後ろに下がって律華の全体像を視界に入れながら頭の中で模索を始める。


「……」

「……」

 無意識に眉間にシワが寄る。だが、この間に少しずつ土台を組み立てていた。


「律華さん、ヘアアイロンを使用も……?」

「OK」

「ありがとうございます。それでしたら大丈夫そうです」

「思い浮かぶの早いね? かなり無茶ぶりしたからもっと時間かかるかと思ってた」

「器用じゃないので捻りはありませんけどね、あはは」

 ドアイヤーのコードを結び終え、棚を開けて収納した修斗は、次にヘアアイロンとピンクのヘアピンを次に取り出す。

 その時、彼女はなにかに気づいたように目を大きくした。


「あっ! それ『髪が痛まないZE』で有名なヘアアイロンじゃん」

「はい。当店は全部このアイロンを使用していますね」

「さすが有名美容院。お金持ってんね。それ5万円もするよ?」

「……えっ、そ、そんなにするのこれ」

「ぷっ、そんな強張こわばらなくても。タメ口にもなってるし」

「あ、あはは……。すみません。値段のことは知らなかったもので」

 素の反応を見た律華はニヤニヤしながらボディータッチをしてくる。

 そんな彼女のからかいに恥ずかしく思いながらコンセントに差し込み、電源を入れる。

 高級な代物だけあり、すぐに使用できる温度になるが、アイロンをかける前にすることがある。


「そ、それでは先にバックの方から髪を結んでいきますね」

「結び&アイロンね」

「痛みがあれば教えてください」

 と、前置きを入れて結びに取りかかる。

 修斗は彼女の耳から上の髪を上から順に捻っていき、複数重なったところでピンクにヘアピンで留め、編み込みのハーフアップを作る。

 そして、襟足ネープはアイロンを使って毛先を外ハネに。

 前髪に櫛をかけて整えた後、仕上げにヘアオイルを塗ってセットを完成させた。


「こ、これでどうでしょうか? インナーカラーのピンクも目立たせてみました」

「……」

「テーマはその、お仕事をもっと楽しんでほしいとの思いで遊び心のあるハーフアップに。ダジャレにはなりますが、これからもっと羽を伸ばしてほしいとの気持ちでの外ハネです」

「…………」

 三面鏡も持って説明する修斗。そこに映されるセットと睨みっこしている律華の反応を待つ。


「えーマジ……」

「っ」

 不満だと感じたような一言にビクッとさせる修斗だったが、それは余計なことだった。


「なんか女として嫉妬してきたんだけど」

「えっ?」

「めっちゃ可愛いじゃんこの髪型! ヤバっ! これ男が作れるって凄くないっ!? オリジナルでしょこれ!」

 途端、律華は綺麗な顔を近づけて明るく食いついてくる。


「セット方法もたくさんあるので似たような髪型はあると思いますけど、一応はそうなりますね」

「へー、ほー。このハーフアップ相当練習したでしょ? 本当可愛いし、外ハネもいいアクセントだし、ピンク色も目立ってるし完璧っ!」

「それはよかったです」

 反応を待っていた時間は寿命が縮まる思いだったが、こうしてわかりやすい反応が見られるだけで救われる。

 練習や勉強をしてきた甲斐があったと満足できる。


「ねっ、この髪型って今度から真似したりしてもいいやつ?」

「もちろん。自分と話したことを記憶の片隅に置いてもらえるのなら」

「なっ、なにそれ。もう……」


『仕返し』をするよりも『見返し』をする。

 今日話したことは忘れないでほしいと考えていた修斗だった。


「い、言っとくけど忘れないって。そもそも出会い方がアレだったわけだし……」

「ふっ、それもそうですね」

「じゃあ許可も取れたことだし、次の撮影はこの髪型にして可愛さ自慢してくる」

「シャルティエの宣伝もお願いしますね」

「やーだ」

 ドヤ顔を作った後、にへらと笑った律華。

 モデルらしい表情変化を見せてくる。


「なんかお兄さんがこのお店で人気になってる理由わかっちゃった。教えてあげないけどね」

「そこはいち美容師として教えて欲しいところなんですが……」

 褒めにしても指摘にしても、お客さんからの意見は参考になる。褒められたことは伸ばす方向性に、指摘箇所は直す方向性にできる。

 なんとか聞き出そうとするが、意味深な回答で逃げられる。


「とりあえず、お兄さんのセットに影響を受けて髪型を変えるお客さんはいそうだね。なにか意味合いを込めたセットなら特に」

「その答えで我慢することにします」

「我慢じゃなくて満足の間違いじゃない? ……モデルぞ? 私」

「そんな可愛らしくいっても効果はありません」

「その冷静なツッコミ恥ずいんだけど」

「それはすみません」

 時計を見れば15時59分。予定されていた時間が終わろうとしていた。


「お兄さんは次もお仕事入ってるの? なければ外で話そ?」

「残念ながら次も仕事ですね」

「そっか、本当残念」

 ワガママを言わず、『じゃあ頑張って』とエールを送ってくれる。


「本日はお疲れさまでした。エントランスまでお見送りしますね」

「この場でいいよ。今は少しでもゆっくり休む時間ってことで」

「ありがとうございます。わかりました」

「それじゃねー、帽子が被れないセットをした意地悪なお兄さん」

「あ……」

「にひ」

 最後にいたずらっ子な笑顔を見せた律華は、荷物入れから赤のストレートキャップを取り、個室のドアを閉めたのだった。



    ∮   ∮   ∮   ∮



「修斗さん、これ、とあるお客さんからのプレゼントです」

「え?」

 そして、今日の仕事終わり。修斗はエントランスの受付係の一人から手紙を渡される。


「きっといいことが書かれていますよ」

「あ、ありがとうございます。確認しますね」

 お礼を伝えて一人、手紙を開封する。そこにはこう書かれてていた。


『Lein ID Ri_kka1122 仕事終わりメッセちょうだい!』

 こんなお願いと丸っこい文字で。

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