第7話 指名客、律華②

「ふう……。お兄さんのシャンプー気持ちよかった。特にホットタオルがよかったね」

 手腕を褒められたわけではなく、アイテムを褒めてきた律華。ツッコミ待ちと言わんばかりにニヤニヤとした顔をしている。


「あ、なんだか手が震えてきました」

「ちょ! それ冗談でも言っちゃダメだって!」

 彼女と軽口を言い合う現在、カットの開始している。


「って、カット中は喋っててもだいじょぶ? もしあれなら静かにするから言ってね」

「自分はコミュニケーションを図りながらの方が嬉しいですよ。律華さんが相手でもありますし」

「ありがと。じゃあお言葉に甘えるね」

「はい。伸び伸びどうぞ」

 この間も手を止めたりはしない。

 笑みを浮かべながら答え、櫛で毛量を確認していきながら髪を梳いていく。


「ねえ、お兄さんって髪スマの二つ星受賞者さんなんでしょ?」

「あ、髪スマのことお知りなんですね」

 カミスマ。それは『カミカリスマ』と呼ばれているアワードで、美容院と美容師個人を対象に全国調査されているもの。

 大雑把に美容師個人であれば三つ星が10人。二つ星が20人。一つ星が70人。

 美容室あれば50店舗ほど。

 名誉な賞であるのは間違いなく、貴重な賞でもある。


「お兄さんの予約画面見た時、その賞が載ってたから。予約が全然取れなかった理由に納得したよ」

「ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」

「お兄さんの成長速度って尋常じゃない? 美容の専門学校を最速で卒業しても20歳だし、そこから賞を取ったってことだよね?」

「練習時期を含めると10年にはなりますから」

「え? 10年も!?」

 これは聞いた者全員が驚く話題である。


「お兄さんって今22歳じゃなかったっけ? プロフィールにそう載ってたような」

「そうですよ。実家が美容院を経営している関係で、小学校6年から指導を受けていました」

「ええー。よく続いたね? そんな小さい頃から今も」

「将来の夢でしたからね。と言っても指導は鬼のように厳しかったので、泣いたり逃げたりしてしまいましたけど」

「でも、ちゃんと『ごめんなさい』して闘ったんでしょ? カッコいいじゃん」

「わ、わかりますか……?」

「んっ」」

 最終的には我慢強く頑張り、今には至るわけだが子どもの頃はそれなりに苦労した。父親はプロでその道を目指す者には真剣に当たるわけである。

 中途半端なことをすれば怒られるのは当たり前。


「そうじゃなきゃ、あんなに凄い賞も取れてないだろうし、この有名な美容院で働けてもないだろうし」

「あはは、確かにそうかもしれないですね。今になって思えばいい思い出です」

 ヘルプとして支店に配属されたのは父親の意向。力が及ばなければもっと別の人物が配属されていたことだろう。

 認められたのは今まで練習を頑張ってきたおかげだ。


「っと、律華さん。この段階で髪を控えめにきましたけど、もう少し減らしますか?」

「もうちょっと攻めて大丈夫だよ。ごわつきのないようにガガッでOK」

「わかりました」

 一度目の確認が終わり、再度作業に戻る。


「なーんかお兄さんが眩しく見えるなあ。お年寄りみたいなこと言うけど、ちゃんとやり甲斐のある仕事をしててさ」

「律華さんはそうじゃないんですか? 今やられているお仕事は」

「実は違うんだよねー。私の場合はただの仕返し」

「し、仕返し……?」

 予想外の言葉にですます口調をつけ忘れてしまう。目をパチパチさせながら聞き返すと、彼女はケロッと答えた。


「そうそう。これはもう割り切ってるから軽く聞いてほしいんだけど、私、中学までイジメられてたんだよねー」

「っ」

 思わず動かしていたハサミを動かしていた手を止めてしまう。すぐに手を動かし始めるが、動揺はなかなか消えなかった。


「イジメって言っても無視とか、一人ぼっちにさせるとか、私にだけ態度を変えるとか。暴力はなかったからマシな部類だったけど……本人にとってはやっぱり嫌じゃん?」

「当然ですね」

 正直なところ、乃々花と少し問題を抱えている修斗である。少し共感しながら言葉を待つ。


「だからモデルを目指すようになった理由がこれ。もちろん憧れもあったけど、『お前がイジメてたヤツはこんな風になってるぞ、ざまあみろ』ってしたい部分の方が大きいし」

「……」

「この前なんかイジメてきた相手から『綺麗になったね』とか『今度会わない』とか目の色変えたことメールで届いてさ? 無視決め込んでスッキリしちゃった」

 チョキチョキとハサミを動かす音が聞こえる中、律華は言葉を続ける。いや、今度は綺麗な顔を曇らせてこう言った。


「……たださ? スッキリしたあとに毎回思うんだよねー。変なことに気持ちが傾いてるなーって。そう思ったら私自身がちっぽけになるんだよね。……って、今『子どもっぽいこと相談されてるなー』とか思ったでしょ!」

「学生さんらしい悩みだなとは思いましたね」

「ほらー! それ子どもっぽいって言ってるようなもんじゃんっ」

『割り切っているから』のセリフ。さらには彼女の性格から、変に気を遣われることの方がツラいのではと判断した修斗だった。


「それにしても一回驚くくらいなんだね。私がイジメられてたこと聞いて。かなり意外なんだけど」

「可愛い子ほどイジメられるとは言いますからね」

「おっ? 嬉しいこと言うじゃん」

 褒め言葉は聞き慣れているのだろう、照れるわけでもなく、ニヤリとして目を細める律華。


「まあ、ここで真面目な話をさせてもらうんですけど、個人的には仕返しと言うより自分のためにモデル業を取り組んでいく方がもっと楽しくなるとは思いますけどね」

「と言うと?」

「仕返しの目標がある程度達成されている今、モチベーションも下がってきていると思います」

「……う、うん。でも上手く切り替えられないんだよね。子どもっぽいこと言うけど」

「気持ちはわからないでもないですけど、仕返しをするとの考え方はもったいないな、とは思います」

「なんで?」

「なんと言いますか、自分の場合はイジメとはまではいきませんでしたけど、馬鹿にはされていたことがありまして。その時の経験を踏まえてですけど」

「お、お兄さんが馬鹿にされてた!? なんで? 意味わかんないんだけど」

 律華は猫目を丸く変化させた。凄い驚き様に食いつきだ。

 そんな彼女を見て『はは』と、苦笑いを作った修斗は掻い摘んで話す。


「友達と遊ぶよりも美容師になるために時間を使っていたので、『変なことに時間を使うなんて意味わかんない』みたいな感じですね。小中学校の頃でしたので、そう思うのは無理もないですけど」

「それめっちゃイライラしたでしょ?」

「まあ、本気でその道を目指していたので。でも、自分は『見返してやる』と言う気持ちを持つようにしてました。ここは傷つけられた度合いにも寄るとは思いますけど、律華さんもこちらの気持ちでいてほしいなと思ってます」

「……」

 優しい口調を意識して言い聞かせる。少しでも心変わりをして欲しいなと言う思いを持って。


「仕返しをすると考えていたら、律華さんが言ったように嫌な気分が残ってしまいますし、自分を貶めてしまうこともあります。逆に見返すと言う気持ちであれば、それなりに自分を高めていくのは絶対ですし、モチベーションも高まるばかりです」

「……」

「ですので、『もっと有名になって見返してやる!』なんて気持ちを持っていた方が前向きに取り組めるとは思います。詳しいことはわからないので主観ばかりになってしまいますが、仕返しに労力を割くのはもったいないです。イジメてきた相手は『悔しい!』なんて思わないかもしれませんしね」

『仕返し』と『見返し』は意味が違う。

 仕返しとは、嫌なことをしてきた相手に嫌がることをして返すこと。

 見返しとは、見下された仕返しに自分が立派になって相手に見せつけること。


 自分にとって有意義に働くのはもちろん後者である。


「……ふーん。お兄さんがなんでそこまで成長できたのか納得した。私もそんな心持ちになれるかなぁ」

「気持ちを切り替えるのは難しいので、なにかしらのキッカケは必要だとは思いますけどね」

「キッカケ?」

「はい」

「例えばって聞いていい?」

「そうですね……。例えば……」

「例えば?」

「例えば…………」

 ここで思わず眉を顰めてしまう。時間をかけてしまう。

 自分から促したものの、そう簡単には思い浮かばないものだが、なんとか捻り出す。


「律華さんに彼氏がいたら申し訳ないんですけど……恋をしてみる、とか?」

「ぷっ」

 白い頬が一瞬膨らんだと思えば、口から息を吹き出させた律華。


「笑わないでくださいよ……。恥ずかしいんですからね? こんなこと言うの」

「ご、ごめんって! めっちゃ真剣な顔でそんなこと言ってくるとは思わなかったからさ? 普通は『お客さんを喜ばせたい!』とかじゃないの?」

「お仕事一つするだけでその目標は叶いますから」

「……ぁ」

 どんな仕事をしていても、喜ぶ誰かは必ずいる。世界はそうして回っているもの。

 いきなり無言を作った律華だが、そこには納得したような表情が浮かんでいた。


「と言うことなので、見返せるようにもっと自分を磨いて有名になる。最終的には磨いた自分を武器に素敵な男性とお付き合いをする。このような形でどうでしょうか。有名な俳優さんを狙えるかもですよ」

 イジメてきた相手からのメールを無視。そしてスッキリする。

 こんなことをするよりも有益だ。

 新たな目標を立てるだけでも仕事を楽しむキッカケになる。


「……なんかありがと。いろいろ考えてくれて。確かにお兄さんが言ってくれたのは私の性格に合ってるかも。ぶっちゃけ彼氏ほしいし」

「はい。応援していますよ」

「え? お兄さんが彼氏に立候補してくれるわけじゃないのー? 私、まだまだ若いし伸びしろあるよ? ダイヤモンドの原石ってやつ」

 冗談めいているが、彼女の立ち位置からすれば言っていることは正しいだろう。

 18歳で桜蘭ガールズコレクションのトップバッターを務めたほどなのだ。これからはもっと羽ばたいていく可能性が高い。


「まあ、自分は年上が好みですので」

「いや、その流れでぶった斬らないでよ。もう」

「では律華さんが今まで以上に仕事を楽しめるようになった時、立候補させてもらいますね」

「うわ、言いやがった」

「その時には自分以外の誰かとお付き合いされてると思いますので」

「それはどうだろーね。これでも一途なんだよ? 私」

「にわかに信じられません」

「さすがにそれは失礼だしっ!」

「あはは、すみません」

 彼女が相手だからこそ軽口が言える。お互いに冗談だと理解していながらのやり取りだ。


「と、このくらいで梳く量はどうでしょうか?」

「ん、ありがとう。ちょうどいい感じ」

「それでは次は長さを調整していきますね」

「あい、よろぴ」

 そうして自然と入ったお悩み相談も終わり、次の段階に移るのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る