第6話 指名客、律華
「はあ……。大変だ……」
それから数日後のこと。
客の出入りが続きに続き、休憩なしで迎えた15時。
「つ、次のお客さんは……」
カット後の掃除を終わらせ、険しい表情をしながら仕事用のスマホを開く修斗。指でなぞりながら15時のスケジュール帳を確認すれば——。
「あ……、次は
仕事のことで頭がいっぱいいっぱいになっていたことで今、思い出す。
偶然出会い、指名をもらうことができた彼女のことを。
「もうこの時間だし来店されてるかな……」
そんな一言を呟いた矢先、個室のドアがノックされる。
「修斗さん、次のお客様がこられました」
「あっ、ありがとうございます。すぐに向かいます」
ドア越しに声をかけてきたのはエントランスで受付をしているスタッフ。
すぐに返事をしてスマホをポケットに入れる修斗は早足でエントランスに向かう。
そして、受付口に向かうとソファーに座ってスマホを弄っている律華がいた。
黒の厚底ブーツに網タイツ、黒のショートパンツにブランドの名前が入った長袖。太ももを出した全身黒ずくめの服に、赤のストレートキャップを合わせた格好で。
座っているだけでもスタイルの良さは目に見えてわかるほど。
そんな彼女を驚かせないようにゆっくりとした声で話しかける。
「お久しぶりです、律華さん」
「ん? あっ、久しぶり〜」
返事はかなりラフなもの。スマホから顔を上げた律華は、にんまりと笑顔を浮かべながら立ち上がった。
「大変お待たせしました。本日はご指名ありがとうございます」
「ぷっ、失礼なこと言うけど本当に美容師やってるんだね。サマになってんよ」
「そ、そんなに笑わなくてもいいような気はしますが」
どうしても変なのか、白い歯を見せている彼女に苦笑いを返す。
さらにはこの会話を興味深そうな顔で見聞きしている受付嬢。
居た堪れなくなるのは修斗で、早めに避難を選択する。
「……っと、お時間もアレですのでこちらにどうぞ。ご案内いたします」
「うん。ありがと」
そうして律華をセット台にまで案内すると、彼女はキョロキョロと内装を楽しんでいる様子。
「では、こちらになります」
「おー! ネットで見たまんま綺麗だね。雰囲気イイじゃん。ここで一対一なの?」
「そうですね」
完全個室。その名の通り、美容師と客の一対一でカットからシャンプー、ヘアカラーまで施せるようになっている。
同じ時間に来店した客に見られることなく、人目を気にせず美容師とやり取りしながらヘアカットできる。これが大きなメリットだろう。
修斗は律華をカットチェアに座らせると、隣に立って早速カウンセリングを始める。
「さてと、本日はどのようなヘアメイクにいたしますか? イメージがありましたら教えていただけると助かりますが」
「んー、そうだね。とりあえず全体的にさっぱりしたいかな。髪にボリュームが出てきたからすいてもらう感じで」
「な、なるほど……」
白い頬を膨らませながら意見する彼女に、目を大きくしながら相槌を打つ修斗。
「あ、もしかして意外? 口で説明すること」
「あはは、バレてましたか。おおよそはスマホでの写真説明が多いもので」
イメージをしっかり伝えたい場合、写真を元に説明することがベストだろう。
さらにはモデルは人一倍、容姿に気を遣うもの。
常連ならまだしも、初めてカットを受ける美容師に口頭で説明するのは珍しいこと。
「まあ、裏を返せばお兄さんの腕を信じてるから口で説明してるだけなんだけどね?」
「プレッシャーのかけ方が酷いような……」
「ふふっ、そんな狙いはないってー」
なんて言いながらあざとくウインクする彼女を見れば、『絶対に狙ってる』と確信できる。
「ではとりあえずこの髪型はキープ気味という形でよろしいでしょうか」
「うんうん。……あ、でも、次の仕事で『イメチェンしてほしい』みたいなこと伝えられてるんだよね。だから美容師さんのオススメがあれば少しそっち寄り目にしてほしいかな」
「となると……こちらの原型は残しつつ、少し自由の効くセットができる髪型にいたしますね」
「えっ。すっご。私が言うのもなんだけど、今の説明で伝わるんだ?」
「なんとなくですけどね」
意外そうに驚いている様子だが、普段からカウンセリングをしていると大体のことは感覚でわかってくる。
「それで律華さんにセットのこだわりはありますか? 『これは嫌だ』みたいな意見がありましたら」
「ううん、私に似合うならなんでも平気。お兄さんもその方がやりやすいでしょ?」
「正直に言えばそうですね。自由にすることができるので助かります」
「そのかわり可愛くしてね?」
「先ほどプレッシャーをかけられたのでハサミを握る手が震えていますよ」
「ご、ごめんってば! 謝ったからちゃんと頑張ってね?」
謝罪からの切り替えが早すぎるが、冗談を口にしていることは彼女に伝わっているようだ。
まだ二回しか顔を合わせたことがない相手だが、ここまで軽口が言えるのは彼女の性格や人柄によるものだろう。
「頑張りますね。では、少し髪の方を失礼しますね」
カウンセリングも一段落つき、
注文にしっかり答えられるように、その顔は真剣そのもの。
確認時間は1分ほど。この時間でインプットされている情報から一つを抜き出していく。
「……そうですね。前髪は流すようにして、後ろ髪は現在よりも一センチほど短くしますとセット方法も広がるとは思うのですが」
「じゃあそれでお願い! お兄さんのお手並み拝見ってね〜」
「頑張りますね」
イメージをしやすいように一センチを指で挟んで説明するが、こちらの顔を見ながら許可を出す律華である。信頼に近い気持ちがあるのは間違いないだろう。
「それでは最初はシャンプーからしますね」
「はーい」
この美容室の便利なところは個室になっているためにシャンプー台も併用されていること。この場から出てシャンプー台に移動することもない。
こうしたサービスが著名人からの指示を得ている理由でもある。
修斗は撥水性のあるクロスを出し、律華の首に巻いていく。
「……それにしても凄い変わりようじゃない? 正直、ビックリした」
「えっ?」
「お兄さんの顔。さっきまではふんにゃりしてたのに、今は仕事の顔になって頼り甲斐があるって感じ」
「それ同じ従業員さんからも言われたりしますね」
貶したような言い方でも悪気を感じるような言い方でもなかった。修斗は軽く流しつつ話を広げていく。
「まあ、ビックリしているのは自分も同じですけどね。ナンパだと勘違いされた相手のカットすることになっていますから」
「ちょ、その出会いは忘れてって……。案外恥ずかしいんだから。その件は誰にも言わないでよ? ね?」
「律華さんをからかう時にだけ使わせてもらいますね」
「う、うわ。大人げないことする」
律華が話しやすい雰囲気を持っているからか、修斗も軽口で対応することができる。
「その分、精一杯腕を振るいますので安心してください」
「本当!? じゃあ満足できたら私の連絡先あげるね」
「ありがとうございます」
「……」
「……」
3秒ほどの無言に包まれる個室。
「ちなみにマジの方だよ? プライベートのあげる」
「え?」
軽口と思っていたばかり不意を突かれる修斗だが、すぐに我を取り戻す。
「えっと、遠慮しておきます」
モデル活動しているのにも拘らずこんなにも軽く連絡先を渡すものだろうか。
その答えは否。
なんか怖い。裏がありそう。それが理由だ。
「私、断られたら意地でも交換したくなるタイプだよ?」
「……それではシャンプーを始めていきますね」
とりあえず無視してカット台を洗面台の方に倒す。
「お兄さん覚えてろ〜?」
「怖いこと言わないでください。タオルかけますね。はい」
キリッとした律華の目にホットタオルをかけ、すぐに視線を閉ざすことにする。
見た目はかなり大人びている彼女だが、中身は年相応の子だった。
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