第5話 指名後の乃々花
モデル、律華からの指名がされた翌日の朝。
指名されたという話はすでにスタッフ間で広がっていた。
美容師というのは日々、トレンドの情報や最新のヘアスタイルを押さえるための勉強をしている。
その勉強の教科書として利用されているのがファッション誌や女性誌などで、そのモデルの一人として律華も起用されている。
その職業柄、名前を知っている、聞いたことがある、顔を見たことがある、というスタッフが多かったのだ。
『修斗くんがあの律華さんと知り合いだったって本当!?』
『さすがは本店所属の美容師……。人脈が広い……』
『さてさて、お二人は一体どういう関係なんですかねえ? 実はイチャイチャしてる関係だったり?』
『あんな若くて可愛い子に手を出してないわけないよな』
『だよな。そうなんだろ?』
修斗は話題の中心になっていた。
女性の美容師からは関係性を聞かれ、男性の美容師からはからかわれ、『あはは』と苦笑いで返すのが精一杯。
『友達じゃないですよ』
『この前、偶然知り合っただけですから』
なんて事実を伝えても誰も信じてくれない。そして、この現状は修斗にとっていいことばかりではなかった。
「……」
「の、乃々花さん?」
「なに」
現在、営業前。二人で外掃除を行っている真っ最中。
ふんわりパーマのかかったオレンジのポニーテールに、頬まで伸びた触角。左目の斜め下にある小さなほくろがある二つ年上の美容師。
修斗のお世話係でもある乃々花はどこかムスッとしていた。
「あ、その……」
話しかけておいて肝心の話題がない。雰囲気を少しでも変えたかったために会話をしようとしたが、そう簡単に上手くいかない。
(なにか話題を、話題を……)
なんて必死に頭を回転させて考えていた矢先、声を返してきたのは乃々花だった。
「もしかして褒めてほしいの?」
「え?」
冷たい声色に冷たい目線で見られる。
「だからモデルさんに指名されたこと、褒めてほしいのって言ってる」
「えっと……」
最年少で働いている修斗だが、『褒めて』と要求するほど承認欲求は高くない。だが、ここで否定すれば『じゃあなに?』と聞き返されるのは目に見えている。
それでいて、『褒めてほしい』と返しても嫌な印象を与えることだろう。
(自分で撒いた種とはいえ、一体どうすれば……)
またまた悩ませていると、乃々花は怪訝そうに瞳を細めながら口を開いた。
「勘違いしないで。別に凄くないとは言ってないよ、わたし」
「あ……」
褒めてほしいのだと受け取ってしまった乃々花は言葉を続けた。
「モデルさんでも、そうじゃなくても、それが友達でも、友達じゃなくても、指名されること自体凄いこと。お客様から腕を信じてもらってお金を払ってもらっているんだから」
「……」
「その凄いことを毎日こなしているんだから、褒めるようなことはしない。慢心させることもしない」
ホウキを動かす手を止めることなく、当たり前と言わんばかりに言う彼女は尻目に視線を送ってきた。
「それより……さっきみんなが言ってたこと、聞いていい?」
「指名のこと以外ですか?」
「だ、だから……アレのことだよ。変なこと言うけど、あなたが律華さんの彼氏みたいな……」
「えっ? そんなこと言ってました!?」
この時だった。修斗は普段と違う彼女を見ることになる。
少し言葉を詰まらせ、チラチラと視線を送る乃々花を。
話題が話題だったのか、今だけは冷たい態度を感じなかった。皆と似たような態度であるように感じた。
「本当に違いますよ。みなさんが冗談を言っているだけで」
「ふーん。それにしては満更でもないような様子だったような」
「あ、あんなからかいを受けるとは思わなかっただけですよ……」
「そう。まあ仕事に支障がでないならどっちでもいいんだけど」
「あはは……。心配ありがとうございます」
さすがはお世話係というような言葉。
思わず苦笑いで答える修斗は、ふと思う。この雰囲気なら、乃々花が少し取り乱している今なら少し会話ができるんじゃないかと。
そう感じた時、勇気の一歩を踏み出して話題を返すのだ。
「……えっと、乃々花さんはいらっしゃらないんですか? 彼氏さん」
「わ、わたし? いないよ。そんなの」
「そ、そうなんですか……」
実際のところ乃々花と親しいわけではない。彼女同様に曖昧な返事になってしまうが、勇気を出した今、会話を続けることができる。
「正直、いらっしゃると思っていたので意外です。(自分以外には)人柄もいいですし、優しいですし。お誘いとかよく受けるんじゃないですか?」
「それは……ぼちぼちだけど」
濁される。
口には出さなかったが、乃々花の容姿はかなり整っている。それだけでなく腕もいい。
この店で一位二位を争うほど男性人気の高い美容師であることは修斗だって知っている。
「だからって甘えたことはしないよ。そんな人達と遊びにいく暇があるならわたしは練習を優先する。それが一番仕事のためになるし、周りのスタッフには負けたくないから」
「……」
「伝えておくけど、あなたもその一人だってことはちゃんと覚えておいてね」
「っ!」
プロ意識というのか、息が詰まるほど力のこもった瞳を向けてきた乃々花に意識を奪われる。
「ほら、手を止めてないで早く手を動かす」
「あっ、すみません」
「謝るくらいなら手をもっと動かす」
「はい……」
そこからの乃々花は元の姿に戻ってしまった。
ただ、ほんの少しだけ彼女との接し方がわかったような気がした。
どのように仕事に向かい合っているのか理解することができた。
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