第6話 動乱の気配
「忍く~ん」
大島
昨日、俺たちの秘密の会合に参加した未来は、俺のことをしたの名前で呼ぶようになった。もちろん俺だけじゃなく、健吾や亮太も同じだ。
「なんだよ未来、あまり大声で呼ばれると恥ずかしいだろう」
未来が近くに来てから、俺は顔を赤らめながら未来を名前で呼んだ。
もう心臓がバクバクして止まりそうだ。
「どうして、昨日みんなで名前呼びしようって決めたじゃない」
「いや、もし変な風に誤解する奴がいたら、迷惑だろう」
「私は全然平気だよ。忍君は迷惑なの?」
未来は必殺の小首傾げポーズで俺を上目遣いに見る。
あまりの幸せに脳内はパニックになっている。
「い、いや、全然平気だよ」
「じゃあ、いいじゃない」
あっさりと未来に言い含められてしまった。
俺は席についてもまだドキドキが止まらない。
幸せな学園生活の予感に浸っていると、今日も背後に鋭い視線を感じた。
振り向かなくても分かる。
九条薫だ。
なぜか彼女は俺のことを注視している。
まるで俺のことを見張っているみたいだ。
理由はさっぱり分からないが、元々薫がB組にいること自体が謎だ。
薫は見ただけで、かなり強くリーダーズスキルの影響が現れていることが分かる。
B組でお目にかかることはまずないその美貌は、俺を除くB組の男子全員の心を悩ましくしている。
これでB組男子の成績が落ちたら、責任の大部分は薫にあると言って過言ではない。俺と違って、みんなリーダズスキルが高い者が周りにいない、普通の家の出身なんだから。
その薫が、珍しく俺に話しかけてきて、気になることを言った。
ちょうど、昼休みが終わって、理科の実験をするために理科室に移動するときだ。
とろとろと歩く俺を、薫が抜き去るときに、俺の耳元でささやいた。
「大島未来には気をつけなさい」
薫はそれ以上何も言わず、俺を抜き去っていった。
俺は薫の抜群にきれいな脚を見ながら、今の一言はどういう意味か考えてみた。
言葉通り捉えれば、未来は危険ということだが、可憐で優しい心の持ち主の未来に危険な香りは全くしない。
となると、俺が未来にぞっこんという状態を見抜いて、骨抜きにされないようにということか。確かに世の中には、ハニートラップなどという言葉はあるが……
いずれにしても、これ以上考えても分からなそうだったので、思考を停止した。
この世の中、備えなくても憂いなし。なんとか成るもんだ。
気にしなければ何も起こらない。
この日も無事全ての授業を終え、俺は一人で教室に残って、眞守の自治会の仕事が終わるのを、ネット投稿された小説を読みながら待っていた。
俺のお気に入りはもちろんラブコメだ。ネットに投稿された様々な恋愛を疑似体験しながら、いつか出会えるであろう彼女との甘い日々を夢見る男だ。
安倍マリア、ネットなので本当に女性かどうかは分からないが、彼女の紡ぎ出すストーリーはコミカルな中に切なさがあり、俺は心の中でにやけたり泣いたり大忙しだ。
「……君、名代君」
俺は桃源郷から呼び戻す声に、はっと顔をあげた。
そこには同じクラスの森永由香里の顔があった。
「な、何だよ」
俺は虚構の恋愛の中に身を置いたことを知られたくなくて、動揺しながらもいつものクールだと、自分が思っている顔をする。
「うん、さっきから見てると、顔を緩ませたかと思うと、急に涙が出たりしてるから、スマホで何を見てるのか気になってさ」
うっ、見られてたんかい!
いつもクラスの中ではクールに決めてるはずなのに、ラブコメ読みながらにやついて、最後は泣いた姿を見られるなど一生の不覚だ。
「何でもない。ちょっとリアルなノンフィクションに心が揺さぶられただけだ」
「ふーん」
由香里の眼鏡の奥の目は明らかに疑っていた。
「名代君は結構一人で残っていること多いよね。部活もしてないし」
おっ、何だか普段から俺のこと、気にかけているように聞こえるぞ。
眼鏡に隠れて目立たなかったが、由香里は切れ長できれいな目をしている。
鼻筋もきれいな線を描いて、全体的にシュッとした顔だ。
未来がスミレの花とすれば、由香里はツキミソウか。
由香里が俺のこと気にかけてくれているなら、勇気を出せばつきあえるかも……
などと、勝手な想像をしていると、またもや入り口に人影が。
「おっ、由香里じゃん。忍と二人で何してるの?」
乱入者は亮太だった。そう言えば亮太はネットコミュニティ研究会、通称SNS研だったな。部室は校舎の三階奥だから部活帰りか。
由香里は顔を上げて亮太を見て、フルートを吹く手つきをした。
「なんだ、由香里も部活の帰りか」
吹奏楽部も普段の練習は、三階の奥にある音楽室だ。
うっ、ということは部活の帰りに俺を見てたということか。
早くも崩れかけたラブの予感――俺は少しだけ落胆した。
「亮太も部活帰りでしょう。一緒に帰ろう。じゃあ名代君またね」
由香里は、俺の心をもてあそんで亮太と一緒に帰って行った。
俺は一瞬とはいえ、未来から気持ちが離れた自分をきつく戒めた。
次の日、いつものように眞守と別れて教室に行くと、なんだかいつもよりざわついている。教室の外には誰かが吐いたゲロの跡がある。
ただならぬ雰囲気を感じて、教室に入ると、中央の机をB組の生徒が囲んでいる。
まだ朝が早いから生徒はあまり集まってない。
俺は、生徒が囲んでいる中を見ようと前に進んだ。
「森永!」
円の中央の机の上に、由香里が死体になって仰向けに乗せられていた。
俺は事態を把握して反射的に叫んだ。
「警察を!」
「もう呼んだわ」
薫が俺に冷ややかに答えた。
彼女はかがんで、検視官のように薫の死体を目視で調べている。
俺も思わず駆け寄って、由香里の額の中央に開いた丸い穴を見た。
「額の口径から言って九ミリ弾、至近距離から発射したのに、貫通してないからショート弾じゃないかしら。持ち運びに便利なコンパクトハンドガンだと思う」
薫の口から、いきなり軍人のような見立てが飛び出した。
相変わらず得体の知れない奴だ。
校庭の方からパトカーのサイレンが聞こえる。
「死後どのくらいだと思う」
「二時間たってないと思う。脚を見て」
机から由香里のきれいな脚がだらりとぶら下がっている。
「死斑が出ているけど、まだ全体的につながって大きくはなってない」
俺の見立てとほぼ同じだ。
一体薫はどこでこんな専門知識を手に入れたんだろう。
警察が教室に入ってきて、俺たちは教室の外に出された。
担任の有坂
教室が現場のため、今日一日はここでビデオ学習か。
学校も正直授業どころではないだろう。
警察やマスコミへの対応に追われるだろうな。
いずれにしてもとんでもない事件が起きた。
平和な学園に突然訪れた嵐が、俺たちの心に復旧しがたい傷跡を残した。
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