日常のほころび

その日は、夢を見なかった。

起きたら、朝だった。


現実にまで干渉してきたのだから

夢に出る必要がなくなったのか。


顔をこすろうとしたら、昨日ぽつぽつと読んでいた

手紙がボロボロになって、それでも握りしめてたことに気が付いた。

感情こそ、沸き立つものはないが。何となく、掴んだままだった。


今日は、病院ではない。

何をしてもいいし、何もしなくていい。

寝てもいいし、出かけてもいい。


―そういえば。


「花…」


もらった花の事を思い出した。

彼岸花だっけ。

確かに、はい。と手渡されて、喜ぶ花ではない。

意味とかあんまり知らないけど、そんな気がする。


「たしか、えっと…」


玄関の、すぐそばにある

戸棚の上を見たら

すっかりしおれた、花があった。

元気をなくしている。可哀想なことをした。


「…これ、どうしようか」


正直花の知識はない。

でも、花屋なら。わかるはず。

昨日の「あの人」にまた会うかどうかはわからないけど

できる事なら会わずして、この花をどうにかしようと思った。


手紙と言い、花と言い

物が大切にできないのか、俺は。


「…」


今日は何でもしていい日だから。

自由に、どこへでも―


自由を脅迫していることが、自由ではないのに。





朝になってから、少しずつ

日の温かさを増す時間帯に

ようやく、昨日の場所付近まで来た。


すれ違う人の、関心は

無かったり有ったり、多方向であったり

その関心を視覚化すると、凄くこんがらがって。

少し、目を閉じて現世に戻す。


花はそのままでは、きっとだめだろうと思って

なんかの紙にくるんで、持ってきた。

確か、この付近で会ったのだから。多分この近くのどこかなんだろう。

そんな曖昧な情報だけで、良く外に出ようと思ったんだな。


「…ハァ」


ため息が出た。

いや、なんか無意識に息が漏れた。


人々が行き交うその、歩道に

どちらに行くのか決めかねている自分だけの時間が

ゆっくりと、スローで。


「確か、花のエプロン…をつけていたはず」


でも、そんな花屋なんて見かけただろうか。

知らなかったかもしれないし、

いままで見ていなかっただけでずっとある店なのかもしれない。


「あの子が走っていった方向は」


―向こう。

でも、人の波に逆らう形になるから、苦手だな。

ただここまで来たのだから、自分が許すまで歩こう。

できる限り、存在を消すようにして。


大丈夫、うまく歩けてる。


「…」


昨日、良く走れたな。

凄いな、俺。

体力関係の事、自分には皆無だと思っていたのに。

でも昨日と大して変わらないのに、今日は静かにしたい。

自分の中のポテンシャルが、どこまであるんだろうか。


―もしかしたら、できる事なんて気づいてないだけかもしれなくて。



トンッ



「っ!?」


歩いていることに集中していたら、何かに当たった。

ぶつかったと思ってびっくりして、前を見る。

そこには―


「あ…彼岸花…?」


不思議だった。

異様だったのかもしれないが。


店先に、たくさんの彼岸花を飾っている

小さな店があった。

そこには都会に似つかわしくない古臭さがあり、店の名前は


『古見フラワーショップ』


と、書かれている。



「…」

「あっ、え、す…すみません」


そうじゃなくて。

ぶつかったんだ、俺。

前も見ないから本当に、なんか。恥ずかしい。


視線の前を見れなくて、凄い失礼なことをしているのは

分かっているんだけど。


「かまわない」

「…え」

「別にいい」


恐る恐る、視線を上げると

背面に光があるせいで、少し薄暗く感じた表情は

そこそこに年を重ねた、適度なしわのある中年より少し上の男性だった。


「…何か用か?」

「え、あの。…」


落ち着け、花をどうするかだろ。


「そう、花を…」

「花?」


ふんわり、煙たさを感じた。

あ、この人は煙草を吸っている。

その副流煙だ。


「…ケホッ」


聞こえないように、咳をした。



「おじさん、いじめたらだめよ?」

「杏、俺はいじめてない」


煙にのまれそうになった俺は、まだ幼稚さが残る

昨日と同じ声を聴いた。

視線を向けるとそこには、確かに昨日俺に彼岸花をくれた

少女がいた。


「いじめてるみたいにみえる」

「そうか」

「ねえ、昨日のお兄ちゃん。どうしたの?」


―落ち着け、深呼吸して。


「えっと…昨日の花が…」

「あ、しおれてるの?」

「…そんなつもりじゃなくて、どうしたらいいかわからなくて」

「だいじょうぶ、少し元気がないだけ」


そういって少女は俺の持っていた花を

手に取り、店の奥へと消えた。

ついていかないとダメかなと思って、足を動かしたら

その進路を男性が遮った。


「…」


昨日とは違う人だ。

でも、昨日の人と同じ感じがする。


「…やめときな」

「…え?」

「物事はな、土石流のようにがぶがぶと飲み込もうとしても、溺れるだけなんだ。痛みを伴ってな」


―その瞬間、ぞわっとした。

変な感じがした。

黒のマジックで、乱暴に書きなぐられたような視界が

怖い、という気分に繋がって。

違う。そんなに変じゃない。でも、なんだろう。


―怖い。


「…てか、偶然にも会うもんだな」

「…え?」

「出かける用があった。でも、お前に会った」


ゆっくり、その声を聴いた。

どこかで、覚えがある。

間違いかもしれないが、そう―


「見るな、坊」



「…改めて、斎藤佑史。だ」

「…」

「これから出かけるところがある、お前も来るか」

「…で、でも」


あの、女の子は―


「心配すんな。後で来る」

「…」

「俺はお前と話さなきゃならん、そんな気がする」



手紙からは、どうか

自分の事など透明であれ、できれば無で―なんて

感じた気がするのに。


都合というのは、自分が用意するものではなく

突然顔面を殴る。


「…わかりました」

「…悪いな」


その店先を、俺は斎藤さんと通り過ぎようとして

一瞬感じたのは


「見るな」

「…」

「そういう事も、ある」


少し、震えるような

店の奥から漏れる、凄く真っ黒な。気配―

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