大人の責任

見ないほうがいいと思った。

だから、とっさに視界を遮った。

幾分か、遅かったかもしれない。

でもそれ以上、見なくてもいい。


未だに覚えている、本能の行動は

鮮明すぎて、たまに頭を殴るように。


はっと、自分を覚え

煙草の煙の燻りを見た。

たいして吸えてない割には、殆ど燃え尽きて。

その受け皿は、俺のデスクの前から差し出されていた。


「ぼーっとするの、やめてもらえます?火事になりますよ」

「…うるせぇ」


目の前にいたのは、長身の、少し長い白髪で

黒いスーツを着た無機質な青年。

見立てはいいが、自分自身が全く興味がない。

一つの「役割」以外は。


「今日はどうした、話したいことがあるって珍しい」

「はい。会ってきました。というか、会えました」


新聞を開き、煙草の無駄遣いを誤魔化して

今日の事件を出来事を、ああ今知ろうかとばかりに

嘘をつく。


「誰」

「間凪さん」

「…そっか」


その名を聞いた途端、何となく

肩が重たくなった。

すーっと、全ての巡りが口から流れ出るように。

気分はさほど、乗らない感じだ。


―責任、あんのにな。


「俺はこういうのが、あんまり得意じゃない」

「ですよね、分野相応ってありますし」


淡々と喋る、抑揚のない青年は

別に悪びれてもいないし、正解を言っただけと思う。

彼が会った間凪という名前は、たぶん記憶をさかのぼって

数えたらもう少年と呼ばれる域は過ぎてるのだろう。


「5年前の、スカーレットシンドローム患者です」

「…そうだな」

「どうしましょうか、話は入ってきているはずですが」

「…」


ついでの、「そうだな」が言えなかった。

そんなに簡単な相槌が、ぐっと手前でせき止められる。


―5年前。


遅かった。


あたまのない、夫婦の死体を

子供が見ていた。

まだ小さいから、ぼんやりとしているのか

声も出ず、反応もなく。

そっと、手を伸ばそうとして、その手が少し震えて


「だめだ」


それ以上、見るな。と思って。

俺の手は確か、あの子の視界をできる限り遮った。


「見るな、坊」


声は、震えていたか。


「5年前、一区にて□□□□の大量虐殺行為」

「…」

「我々は、英雄でした」

「…ちげぇよ」


結果は「英雄」だったが、結果は「糞野郎」だ。

つまりは、「糞野郎」だ。


「世間的には、英雄でしたよ」

「政治的にもな」

「でも、可哀想な人をたくさん作った」

「ああ」


―薄い膜を、オブラートに包むように

沢山の「可哀想」を、失態だと思われないように

包み込んで、今までずっと


―隠す。


「本当に大人は、隠すのが得意だよな」

「そうでしょうか。下手ですよ」

「下手でも隠せれば、得意なんだよ」


―間凪祭、今じゃ幾つになろうか。

まだ未熟な成長が続いてるぐらいか。

俺は、あの子に関わっているのに、本当に下手なんだ。

だから関与や監査を、そこにいる『楠木道成』という青年に頼んだ。

まあ元々楠木はそういう役目の管下にいる。


俺より、凄くうまくやるはず。


「別の子の様子を見に行ったのですが、たまたま予定外で間凪君と会いまして」


彼は向かいの応接用の椅子に、座って自分の煙草をトントンと叩いた。


「そうですね、見た限りでは。不安定でした」

「…そうか」

「スカーレットシンドローム…『SS』の患者は、あんまり世間に馴染めません」


その言葉にすっと、視界を下ろした。

糞重ぇなあと。


「そんな子を沢山見守って、でも幾分かは。生きるの放棄した子もいます」

「だろう、なぁ」

「あとは病気になったり、少しずつ。減ってます」


―お偉いさんの意向で

下の大人が、そういうのをうまく隠せ、何とかしろと。

勿論したいが、言葉でそんなに簡単に言えるほど、容易ではない。

そういうのを沢山、楠木は見てきたのだと思う。


そうだな、ひっそりと立つ

樹木のように日常を、不変のまま見つめる。

そういうのが彼の仕事だ。


―雨の日も、風の日も、どんな日でも。


「…どうするんです?」

「…?あ、ああ…あれか」

「手紙、書いたんですよね」

「書いたがそんなことは書かなかった」


ある日、一つの通達が俺たちの下に来た。

それを聞いて、少し激情になった。

でも、すぐに収まった。


「…僕のほうは、進めようかと思ってます」

「そうか」

「ついでですから、間凪さんの方も進めますか?」

「迷ってんだ、ずっとな」


そうして、頭をかきむしる。

何一つすっきりしないが、癖みたいなもんだ。

楠木から提案されている事例は、そうしていいのか俺にはあんまり

即決できていない。

おかしいな、俺はもっと面倒なことは粗暴に決めてしまうような奴だったのに。


「難しいなら、僕の独断でやりましょうか?」

「そうしてぇけどな」

「踏み切れないなら、会えばどうでしょうか」

「…」


俺は確か、

なんて書いたかな。

手紙は得意ではないが、字はそこそこに綺麗だ。

間凪に、あの子に手紙を書いて


どうしていいのかわからないから

その手紙の中に、壁をしたためた気がする。

上手くないんだ俺は。そういうの。

楠木の方が、もっとうまくやる。


「…どちらかが一歩踏み出さない限り、すこしも進まないですよ」

「うるせー」

「調べたんですけど、彼。まだ精神科に通ってます」

「…」


俺よりうまく、煙草を吸う楠木は

別に俺を見ていなくて、たぶん何も見ていないようで沢山の何かを

今でも見ている。


「彼は、自分でも気づいていない」

「…」

「気づきで身を滅ぼす前に、そうした方がいいと思います」

「…知ってる」


幾分か前に、確か

その病院に間凪がどうしているか、と聞いた。

俺の任ではないが、何となく「決まった」あの日から

どうするべきかぐるぐる思考が回り続けて。


聞いても、余計に

解決の糸口が見えない。


「診察室はよ…」

「…」


『年々、酷くなってます』



想像した、あの少年を。

それが一つの、症例だとしても。

きっと殴り書きのような、多分―


『突発的な』


―人間の力とは思えない位の、破壊の痕跡が

幾つもあったのだという。


それを坊は


気づいちゃいないんだ。


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