記憶売りの少女・3/5
雪が深々と降りしきり、人々が年越しの準備に追われる頃。町の通りから少し外れた所。建物と建物の間、その薄暗いところに、座り込んでいる女性がいました。
皆速足に通りを歩き抜けてゆくこの季節。目に見えない、なにか大きな人の温もりやつながりの輪といったものから外れた彼女には、誰も気を向けません。
しかし、彼女の前で、歩みを止めた男がいました。男は濃紺のハットを軽く直すと、彼女の前でしゃがみ込みました。
「どうしたんだい。お嬢さん。こんな肌身霜切れる季節に、そんな薄着でうずくまって。なにかあったのかい?」
「あ……あ、あ、何……?あなたぁ、だあれぇ?あれ?誰だっけなぁ?」
男は彼女の目を見て問いましたが、彼女は言葉を理解していない様子です。いや、言葉は理解しているのかもしれません。ただ、彼女は何も状況を理解していないように見えます。
「お嬢さん。まず、君は誰だい?自分の名前、分かるかい?」
「私?私は……」
彼女は黙り込んでしまいました。男は、深刻な雰囲気を肌で感じながら、質問を続けます。
「そうかそうか。ではお嬢さん、君は、ここで座り込む前に何をしていたのかな?」
「私……。ここに来る前、は、売ってました……」
「何を売ってたんだい?」
「売ってました……。何を……?えっと、お金のために、そう、お金です。お金……?なんでお金?そう、お母さんのため……です。お母さん……?お母さんって誰だっけ?お母さん?誰?あ、あああ!」
彼女は、急に頭を抱えて取り乱し始めてしまいました。それを見た男は、手に持っていた木のステッキを地面に置き、少女の肩に手を置いて、彼女の気を静めようとします。
「大丈夫、大丈夫、落ち着いて。お嬢さんは、少しばかり記憶を喪失しているらしい」
男の制止を受けて、彼女は少しばかり落ち着きを取り戻します。フ―、フーと荒く息を吸ったり吐いたりしています。
「大丈夫だよお嬢さん。私の屋敷に来るといい。こう見えて私はここらでは有名な資産家でね。君が記憶を取り戻すその時まで、私が匿っていよう」
そう言うと、男は彼女の手とステッキを手に取り、通りの表まで出ました。そして、そこに停めさせていた馬車に乗り込み、屋敷へと帰っていきました。
「お待たせ。ここが僕の屋敷さ。足元に気を付けて降りてくださいな」
屋敷についた馬車から、彼女の手を取って彼女を降ろします。彼女の目は像をハッキリと結ばず、ただただ辺りの景色を反射しているだけのようです。
男は、彼女を馬車の前で待機していたメイドたちに引き渡し「彼女を客人室に。しばらく匿う」と告げました。彼女がメイドたちに囲まれ屋敷へと入っていくのを見届けると、男は再び馬車に乗り込みました。
「いつもの広場まで」
男は馬車の手綱を引くメイドにそう声をかけました。メイドは慣れた手つきで馬を操り、すぐにその広場に到着します。
「うん。ありがとう。ここでいいよ。1時間しないほどで戻って来るから、このまま待っていてくれ」
「承知いたしました」
「ああ、じゃあ行ってくる」
「……ご主人様!」
馬車を降りようとする男を、メイドが呼び止めました。
「ご主人様、いつもここらで馬車をお降りになられますが、ここから歩いてどこかの商店へ行かれていらっしゃいますよね?ですので、その商店の近くで馬車を停めて待った方がよろしいでしょうか?」
「いや、ダメだ」
男は、メイドの提案をきっぱり断りました。
「気を遣ってくれてすまないが、ここで待っていてくれ。特に、今日は大事な日だから」
「過ぎた真似を、申し訳ございませんでした。ここでお待ちしております。いってらっしゃいませ」
男はメイドの返事を聞いてから馬車から降りると、細い裏路地の方へと向かいました。裏路地に入ると、さらにその奥、建物の背同士が人ひとりがギリギリ通れるほどの隙間で隣り合っている、道なき道を通っていきます。
その通路を、男は体を時折半身にしながらしばらく進みます。すると、その道の突き当りに、一見錆びて崩れ落ちそうな金属の扉がありました。男は慣れた手つきでその扉を開けると、その奥に続いている、地下へと降りる底の見えない階段を下り始めました。
階段を降りきるとそこにはさらに扉があり、その扉の前には、ガタイの良い、スーツにその身を押し込めた屈強なガードマンが立っています。男は、ガードマンに小声で何かを告げると、ガードマンは胸ポケットに入れていた名簿らしき手帳を取り出しました。
ガードマンは手帳のページをパラパラめくった後に、何かを確認すると、手帳を胸ポケットにしまい、男に「どうぞいらっしゃいませ」と言い、扉を開けました。男は「どうも」と返事をすると、扉の奥へと歩いていきます。
扉の奥には数メートルほどの薄暗い廊下が続いていて、その廊下の突き当りにもまた金属製の扉があります。男はその扉を開けると、その奥にある大きな空間へと入っていきました。
その扉の奥の空間には、異様な、いや、一言でいえばサーカスのような空間が広がっていました。しかし、そこで行われていたのはサーカスではありません。円状の、満席の観客席に取り囲まれた中心の舞台に立つ司会が、声高らかにこう叫びました。
「さあーて!皆さんお待たせいたしました!今夜も、取り立て新鮮なものが大量に入っておりますよ!それでは、『記憶オークション』の始まりです!」
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