記憶売りの少女・2/5

 男が雑踏に姿を消した後も、少女はしばらくの間、その場に立ち尽くしていました。男が残していった小切手と記憶を強く強く抱きしめて。


 それからだいぶ時間が経って、少女の頬が乾いた頃、少女は男に言われた通りに、銀行の方へと向かいました。そして、銀行に着くと、窓口の受付の人に男からもらった小切手を渡しました。


 受付の人は、とても驚きました。おぼつかない足取りで銀行に入ってきた、みすぼらしい恰好をした少女が、3万サクトもの小切手を差し出してきたからです。3万サクトと言えば、慎ましく生きれば1年以上は何も働かなくても生きていけるほどの大金です。


 受付の人は、驚くと同時に怪しみもしました。継ぎはぎに継ぎはいで、もはやテセウスの船状態の服を身にまとった少女が、超高額小切手を出してきたのだから当たり前です。


 受付の人は、小切手が本物かを詳しく調べました。すると、これまた驚くことに小切手は本物でした。小切手に施されたサインは、ここらでは有名な資産家のものだったのです。


 小切手が本物では、銀行としてはお金を渡さないわけにはいきません。大人が両手でも抱えきれないほど大量のお札の束を、少女に引き渡しました。


 少女は、既に記憶の小包でいっぱいのバスケットを、さらにお札でパンパンにしました。そして、それでも入りきらなかったお札は、その様子を見た受付の人からもらった布に詰め込みました。少女は、両手に大きな荷物を抱える状態で、なんとかお金を持ち帰っていきました。


 少女の家は、町のはずれの森の中にあります。時は年越しを迎える頃の夕暮れ。少女は、吐いた白い息が自分の頬をかすめるのを感じながら、日が沈む前にと、家路を急ぎました。




 「ただいま……」


 少女は、ギィと悲鳴を上げて鳴く家の扉を、倒れ込むようにして開けました。ここまで、なんとか、途中からは引きずりながら運んできた袋とバスケットを、家の中に引き入れます。


 少女の家は、家と言うにはあまりに簡素な作りで、木で簡単に組んだ、小屋と言った方が伝わりそうな外見をしています。家の中も、あるのは今にも消えそうなオレンジ色の光を灯すライト、ふたり用のちいさなテーブルと椅子、そしてお母さんが寝ているベッドだけです。


 「おかえりなさい。だいぶ帰り……ケホッ、ケホッ……帰りが遅かったわね……大丈夫だった?」


 少女のお母さんが、咳まじりの返事をします。お母さんはベッドに臥したまま、顔だけを少女の方に向けます。


 「うん。お母さん大丈夫だよ。それよりもね、見て、このお金」


 少女は、袋に入った大量のお金を、お母さんの枕元に出します。お母さんは文字通り目の前に現れた大量のお札を目の当たりにして、目を見開きました。


 「ど、どうしたんだい?このお金は……。記憶、そんなに良く売れたのかい?」


 「違うよ、お母さん。すごく優しいおじさんがね、たったひとつの記憶を、こんなにも高いお金で買ってくれたの。だからね、他の記憶は、まだここにあるよ」


 少女は、バスケットの中身もお母さんに見せます。それを見て、お母さんは眼を少し潤ませて、消えそうな声で呟きました。


 「良かったねぇ、本当に良かった……。それにごめんね……。お母さんが動けないばっかりに、あなたにも迷惑をかけて……。本当にごめんねぇ……」


 「そんなことないよお母さん。このお金で、一緒に、楽しく暮らそう。私ももう少しで働ける歳になるし、私も頑張るから、ふたりで生きていこう」


 少女は、ベッドの縁にしがみついて、お母さんにそう語りかけました。お母さんは、その娘の力強い言葉を聞いて、ただただ「そうだね、そうだね」と、涙と共に言葉をこぼしました。




 それから数年の間、少女とお母さんは、男からもらったお金と、お母さんができる限りの仕事をして得たお金で、なんとか暮らしを続けていきました。少女が働ける年齢になってからは、彼女は町に働きに出て、家計を助けました。


 しかし、未来は明るくありませんでした。まだまだ若い彼女が稼げるお金は、ひとりが生きてゆくにもギリギリの額でした。さらには、お母さんの体調は日に日に悪くなり、ついにはとても高価な薬が必要なまでになってしまいました。


 もちろん、と言うには悲しい事実ですが、彼女にはそんな高額な薬を買うような余裕はありません。しかも、仕事で稼げるお金も、乏しいのです。彼女がお金を稼ぐには、何か、大切なものを犠牲にする必要がありました。


 そして、彼女はその大切なものを売るために、町へと出かけていきます。それは、雪が深々と降りしきり、人々が年越しの準備に追われる頃でした。


 

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