記憶売りの少女・4/5
「ただいま。待たせてしまったね。今日はもう遅いから、屋敷に帰ろう」
男は、馬車に帰って来ると、待っていたメイドにそう告げました。メイドは、またも慣れた手つきで馬車を操り、屋敷へ向かいます。その途中、メイドが男に声をかけます。
「ご主人様」
「なんだい」
「ご主人様は、いつもあの辺りのお店で、何をお買いになっていらっしゃるのですか?」
「興味があるのかい?」
男は、その手にある数個の小包をちらと見ながら応えます。
「ええ、ご主人様はよくあの場に行かれますから、ご迷惑でなければ」
「そうか。でも、申し訳ないけどそれは教えられないな。これは、とても大事なものなんだ。これは、その人をその人にするものだから」
「さようでございますか。変なことをお聞きして申し訳ございませんでした」
「いや、いいことさ」
そんな男とメイドの会話が終わって少し経つ頃には、男を乗せた馬車は屋敷に着きました。男は馬車から降りるとメイドに「おつかれ」と一言声を掛け、足速に寝室へと姿を消します。
コンコン、とノックの音が響きます。
「失礼。入っていいかな。おはよう。目は覚めたかい?」
翌朝、男は昨日町で出会った彼女を匿った部屋に来ました。部屋に入ると既に彼女は起きていて、ベッドの上で上体を起こしたまま、どこか遠くを見つめています。
「朝食を準備したよ。お腹が減っているだろう?食堂へどうぞ」
男がそう言うと、彼女は何も言わずに、ベッドから降りて男のもとまでゆっくりと歩いてきました。まだ、その目は像を結んでいません。
男は、彼女をリードしながら食堂へ向かいます。食堂に着くと、そこにはパン、スクランブルエッグ、キッシュ、サラダ、スープ、そして香り高いコーヒーなど、完璧とも言える朝食が準備してあります。
「さあ、席についてお食べ。口に合ったら嬉しいのだけれど」
男がそう言うと、彼女は「はい」と小さく返事をし、席に着きます。それから、パンを手に取り、小さくちぎって数口食べ、サラダを数口食べ、すると今度はキッシュを数口食べ、彼女は口を休めることなく準備された朝食を食べ始めました。
やはり、お腹は空いていたようで、彼女はすぐに朝食を食べ終えました。その間、男はゆったりとコーヒーを飲んでその様子を見ていました。彼女が朝食を食べ終わったのを見ると、男は話を切り出します。
「で、だね、お嬢さん。昨日お嬢さんは、どうやら記憶を喪失した様子だったね」
「……。」
彼女は何も答えず、ただコーヒーの入ったマグカップを見つめています。
「でね、昨晩、記憶を買ってきたんだ。ほら、この小包。それを開けて。君の記憶が戻るはずさ」
そう言って、男は数個の小包をテーブルの上に置きました。小包は、どれも黄色やオレンジ、青など、ハッキリとした色の紙で包まれています。
「は、はい……」
彼女は、まだその目に像を結ばず、それによって脳内でもはっきりとはものを考えられていない様子です。それでも、彼女はそう返事をすると、包を手元に引き寄せ、包装を解き、その中の記憶を取り込みました。
男が買ってきた記憶を全て取り込んだ後、彼女はしばらくどこか一点をみつめて、心ここにあらずといった様子でしたが、突然、バッと天井を仰ぎました。そして、その両の目の目じりからは、はらりと涙が
「あなた……だったんですね……」
彼女が、天井を仰いだままそう言いました。
「あなたが……私の……命の恩人だったのですね……」
彼女は、首を戻して、じっと真っすぐに男を見つめます。その目は、ハッキリと男の像を結んでいます。
「ああ、そうさ」
男は、なんのためらいもなく、自然体でそう応えます。
「あなたが、私を虐待していた私の父を倒し、そして、同じように私をいじめていた母の元から私を救い出し、この屋敷に連れてきてくださった方なのですね……!」
「ああ、そうだ」
「あなた様が、私の命の恩人……。ここにもう何年も住まわせていただいているのに、そんなことも忘れてしまっていたなんて!なんとお詫びして、そしてなんてお礼申し上げれば良いことか……!」
彼女は、大粒の涙をばたりばたりと
「いえ、命の恩人に、なにもお礼せずに、しかもその記憶も忘れて、このお屋敷に住まわせていただくわけには参りません。どうか、私をこのお屋敷のメイドとして、使役してください」
彼女は、涙でより一層服を濡らしながら、男に懇願します。男は彼女の提案をすんなりと受け入れました。
「そこまで言うなら、そうしてあげよう」
男は、淡々と答えます。
「あ、ありがとうございます!この御慈悲、一生忘れません!あなた様のメイドとして、一生涯あなた様について行きます!」
「ああ、そうか。それでは、励んでくれたまえ」
彼女は、今も男の屋敷で働いています。そう、もちろん彼女は、男に嘘の記憶を入れ込まれたことなんて、知る由もありません。ただただ、命の恩人の下で、その命の恩人に使えるという、幸せに満ちた生活を送っているだけです。
そう、記憶はその人自身なのですから。
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