第5話 「山の上のヤオワオ②」




「無事だったんですね、よかったぁ……こんなわけの分からない場所で一人だったら、もう、目も当てられないですよっ」


 怯えが常に目に宿っているような会社員の男が、静岡を見つけるなり言った。


「もう一人がいねーんだよな」


 ホストっぽい男が頬にかかる髪をかきあげる。


「その子は……? あ、その前に僕ら名乗っておきませんっ? 僕は立石みつるです。君は?」

「……佐久間リョーマ」

「それって源氏名かな……?」

「いいだろ別に」

「君は……?」


「静岡……」


 名前を答えようとして、ふと詰まる。

 下の名前がどうしてか出てこない。思い出そうとすると、真っ白いモヤに頭が包まれてしまう。


「しずおか君だね、さくま君としずおか君。よろしくねっ」


 にこにこ愛想を振りまく立石をすり抜けて、少女が赤壁に映える藍色のドアを開いた。


「ヤオワオ、お客さん」

「そのようだね。……入りなさい」


 扉のすぐ向こうに、客を待機させる小さな卓と椅子があって、老婆がそこに座っていた。


 玄関の向こうに大広間があるのが、短い廊下ごしに見える。

 老婆ヤオワオは大広間から差す日の光を背に、立ち上がった。


「さあて、あんたたちは何を無くしていなさるかな」


「どういう意味?」


 静岡が不審そうに聞く。ヤオワオの後について、三人は大広間ではなく、大広間を抜けた隣の書斎に通された。


 中央に一枚板の大きな卓があり、壁際はぐるりと本棚に囲まれている。

 三人はうながされるまま、椅子に座った。


 少女とヤオワオは向かいに座る。

 慣れた手つきで少女が書類のようなものに、何かを書き出した。

「プーシャオ、お茶を持っておいで」

「分かった」


 立ち上がって書斎を出て行く少女を、佐久間はじろじろと眺めていた。


 お茶を運んできたプーシャオが、三人の前に湯呑みを並べると、分かりやすいほどに佐久間がドギマギして、湯呑みを倒した。


「あ、ごめんっ」


 ホストらしくない態度に立石はにやにやして、「こういう子がタイプなんですか?」などと言っている。


「あっはー」

 佐久間の赤面した顔を見て、ヤオワオが金歯の埋まった歯を見せながら笑った。


「あんたはどうやら、ここへ来る前女の子にひどいことをしたね。あんたはどうだい?」

「え?」


 尋ねられた立石は首をひねった。

「何か思い出せないことがあるかい?」

「いえ、特には。……あ、でも僕って結婚してたのかな、独身かな。彼女いたかな……それが思い出せないです」


「あんたは?」


 ヤオワオがまっすぐ静岡を見る。

「俺は……何も、思い出せない。ここに人を探しに来て、そいつを連れ帰るってこと以外は」

 

「じゃああんたは不幸せだったなあ」


 断定するように言われて、静岡はヤオワオを睨むように見返した。


「嫌な気持ちになったかい?……しかしここじゃ、そういうものなんだよ。あちらの世界で罪を犯した者は、その罪に関するものを失くしてこちらに流れ着く。あんたたち、仲間がもう一人いたろう?」


「どこかにいるのか?」

 いや、とヤオワオは目を細めて静岡に答えてから、肩をすくめて三人を見た。


「死んでたよ」


「えっ?」

「なんだそれ」


「言ったろう。罪を犯した者は、その罪に関するものを失うんだ」

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