047 本当のちから

「……アリス」


 小さな背中に声をかける。反応こそあるが、彼女は決して振り返らない。

 俺は静かに、でも堂々と彼女の隣に向かって足を進める。その道中で彼女は肩を震わせながら口を開いた。


「私も、失敗したんだ……アンタと同じ。せっかく物語の主人公になったのに、失敗したの」


 失敗した。失敗した。

 あの時流れ込んできた暗い感情が、彼女のものだったのだと今更理解する。


「異世界に移転して、冒険して……その果てに失敗して、異世界から追い出されちゃった。可笑しいわよね、こんな失敗の物語なんて」

「……そんなことはない、と思う」


 彼女の物語――不思議の国のアリスは、最後は夢オチのように冒険が終わる。確かに、見方によれば彼女の冒険譚は失敗の物語とも思えるだろう。

 だが、それが悪い話かと聞かれれば違うと思う。

 具体的な理由を挙げるなら、彼女の物語は実際に多くの人々、子供たちに愛されているのだから。


「ああ、そうか。君がこの戦いで欲しかったのは願いを叶えることじゃなくて――」

「――ええ、私が欲しかったのは異世界そのもの。もう一度異世界を冒険する主人公になって、成功した物語を綴りたかったの」


 それが少女、アリスの願い。

 彼女が欲しかったもの。それは願いそのものではなく、願いを叶えるチャンスを――もう一度異世界を冒険する機会を欲しがっていた。

 直接成功した物語を願うのではなく、成功するチャンスを願うあたり向上心があると言うべきか、頭が固いと言うべきか……


「……どうして、そこまでして成功したいと思ってるんだ?」

「人間だって同じでしょ。失敗するよりは成功したい。誰だって思うことじゃない」

「それは……そうだな。俺だって失敗するよりも成功したかったさ」


 そう言いながら彼女の隣に立つ。少女はうつむいているから表情は見えなかったが、目の前の池には彼女の表情が映し出されている。

 俺は……どうするか少し迷って、慰めの気持ちを込めて彼女の肩に優しく手を置いた。


「ぅ……私も、ッ、成功、したがっだ……!」


 ポロリ、ポロリと決壊する感情。

 今まで見せたことない少女の明確な弱さ。姉に失望された悲しみか、あるいは失敗したことへの悔しさか。鼻水を垂らすほどにグジュグジュに顔を濡らして、少女は絞り出すように叫んだ。


「……厄介ごとに巻き込まれたとは思うけど、それ以上に何度も君には助けられたと俺は思っている」

「……? ぁ……」


 俺は腰をかがめて視線を合わせ、少女の涙を指でやさしく拭い払う。

 ……ハンカチやポケットティッシュでもあれば良かったものの、あいにく俺はそんな清潔野郎じゃない。格好がつかないなぁ、と自分を笑いたくなった。


「だからさ、今度は俺が君を助ける番だ」


 彼女の小さな手を握る。ほんのりと温かくて、涙で少し濡れている。

 本当はこんなにか弱い少女なんだ。戦える強さを持っているとか、そんなのは関係ない。


「君の願いを一緒に叶えよう、アリス」


 だから俺は、彼女のために戦うとこの場で誓った。


「……いいの? そんな理由で戦いに身を投じるだなんて」

「ああ。それに、もっと貪欲になれって言ったのは君の方じゃないか。これが俺の欲望なんだ」

「……は、あはは、なによそれ。やっぱりアンタ、どこかおかしいわ」

「む……」


 そんなおかしいだなんて言われることは言っていないつもりなのだが。

 でも少女はおかしそうに笑顔を浮かべるもんだから、本当に俺がおかしいのかと思ってしまいそうになる。


「……ありがとう、本当の本当に、ありがとう。そして、これからもよろしくね……カタル」


 ……暖かな光を感じる。世界が徐々に白く霞んで遠くに行ってしまう。

 それも当然だ。これはきっと一時の幻。契約の狭間に見た白昼夢。

 けれど、俺たちは確かにこうして結ばれている――


 ■


「……!? な、何の光だ!?」


 目を覚ますと、そこは暗い森の中だ。どうやら意識が現実に戻ってきたらしい。

 今の俺は“私”だ。傷ついた体を起こして、激痛に耐えながら立ち上がる。


「……何!? 契約の光だって……!? あの男、物語と未契約だったのか!?」


 目の前で男が驚愕した表情を浮かべているが、関係ない。俺はカードホルダーから一枚のトランプを取り出し、腹部の傷口に当てた。


――《マジック・スキル「縮小化」》


 魔法が働いて傷がどんどん小さくなる。徐々に小さくなり、出血も止まって――最後には見えなくなるほどにまで小さくなった。

 ……傷を治したわけではないから痛みはまだ残ってはいるが、これで動ける。まだ戦える。


『……カタル、戦い方はわかっているわよね』

「ああ……やり方が頭の中に叩きこまれたよ」


 いつぞや少女から口頭で教えられたものよりも詳細に、かつ鮮明に情報が脳内に叩きこまれる感覚。これが本契約というものか。

 奇妙な感覚だったが、おかげで使い方もその応用も理解できた。


「……待たせたな、笛吹き男」


 ……これで俺はもう一度戦える。いや、あの語り手に勝てる――!


「ここからが本編だ……!」

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