046 夢の国のアリス
「ッ、体が……」
どうにかして少女の元に近づこうとする――が、体が倦怠感のような重みで動かせない。痛みこそないがさっきのダメージが残っているのだろうか。
「ハァ――やっと会えましたね、物語の少女」
「ッ、うぅ……」
男は歓喜に身を震わせながら少女の元へ足を進める。投げたボールを拾いに行くかのように近づいてくる。
少女は……意識こそあるが傷が酷い。腹部の傷は彼女が請け負ったのだろう。うずくまっていて動かない。
「これでようやく、君を俺のものにできる――!」
……これは、マズい。
アイツの目的は恐らく少女だ。何をするつもりなのかは分からないが、奴の目的だけは止めなければと、本能が少女の代わりに警鐘を叩き鳴らす。
「ッ、ぁ……!」
「ん? お前に興味はない。さっさと何処かへいなくなれ」
腕を伸ばすが、届かない。
男は俺に対して関心が無い……なら、逃げればいい。敵の目的は少女だ。今から這いずってでも逃げれば俺だけは見逃してくれるかもしれない。
……それなのに、俺は逃げたくない。逃げる気が微塵もおきない。きっと、俺はあの子を助けたいと思っているんだろう。
「――――」
――――ええ、本契約――つまり、本当にこの戦いに身を投じることになるってこと。でも、そうなれば私たちは本当の力を得られるし、願いを叶える戦いに挑めるって訳。
いつかの少女の言葉がフラッシュバックする。
今この状況で彼女を救うには、貪欲に自分も少女も助けるには、本契約――それで得られる本当の力とやらに賭けるしかないと本能が告げている。
「――ハ、ァ」
ならば、覚悟を決めろ。責任を持て。
一度首を突っ込んだら、もう二度とやめることはできない。望んでいない戦いに身を投じることになる。
(それでも……あの子は、俺のために涙を流してくれたんだ)
激情に身を任せて俺にぶつかってくれたあの姿が何度でも思い浮かぶ。
……初めてだと思った。俺の心と真っ向から向かい合ってくれた人は、彼女が初めてだと感じた。
ああ、そんな彼女にきっと俺は惹かれているんだ。だから彼女を救いたい。それがきっと――
「――俺の、願いだ」
「ああ?」
這いずり、腕を伸ばす。
それでやっと手が少女の腕に届いた。力の弱まっている彼女の手を強く握る。
「……俺は戦う。お前みたいな、人のことを思いやれる誰かを助けるために、戦う! それが……俺の願いだ!」
「ッ……アン、タ」
“契約”を結ぶという強い意志を持つ。彼女との繋がりを胸の内に微かに感じる。
あとの手順は、彼女の名前を当てるだけ。
けれど、語り手は物語を読み間違えてはならない。推測こそできているが、いざとなるとやっぱり自信が失われていく。
「ッ……君と契約を結ぶ! だから俺の願いのために、一緒に生き残ってくれ!」
それでも、虚勢を張って宣言する。
ここはまさしく鉄火場だ。怖気ついている暇など俺には与えられていない。どんなに恰好がつかなくても、俺は虚勢の勢いに身を任せて――
「――――“アリス”!」
彼女の名前を呼んだ瞬間、俺の意識は何かに吸い込まれるのを感じた。
■
――失敗した。失敗した。
意識が暗闇に――森の闇よりも暗い世界に吸い込まれて感じたのは、大きな後悔だった。
――失敗した。失敗した。
何度も何度も、悔やむような感情。自身を戒める言葉。
俺のものじゃない。なら、これは一体誰の――
「ぁ……」
気が付けばそこは草原だった。
穏やかな空気。サラサラと揺れる青草。その真ん中にそびえ立つ木の陰で二人の少女が居た。
一人は見覚えがある、俺が何度も変身した姿の少女だ。もう一人の少女に膝枕されている。
もう一人の少女は少し大人びていて、容姿もそっくりだ。姉なのだろうか……?
「ねぇ! お姉さま! それでね――」
目の前の少女――アリスは、膝枕をされながら姉に向かって自慢のように語り続ける。
不思議な不思議な物語。その経験談をアリスは楽しそうに語った。
「それでね! 代用ウミガメのお話がね!」
「……アリス」
「なぁに、お姉さま?」
「アリス。つまり貴女は……失敗したのね」
……だが、その楽しそうなお話は、無慈悲な言葉で叩き伏せられた。
「え――」
「せっかく異世界に行くチャンスを得たのに、その世界で失敗して……何も成せずに追い出されたのね」
「わ、私は……」
「いいの。いいのよ、アリス」
姉は優しくアリスの頭を撫でる。だが、アリスの表情は曇ったままだ。
「ただ――残念だわ」
「……!」
その曇った表情が、絶望に変わった。
アリスは姉の手を振り払うように起き上がると、その場を振り返らずに走り去っていく。
「あ……おい! ちょっと待て!」
俺は咄嗟に走り去っていく少女を追いかける。彼女は森の中にへと走り去ってしまった。
……あまりに見ていられない表情を浮かべていたから心配になる。あの見捨てられたような絶望に染まった表情。それに近い感情を抱いたことのある身としては彼女を放っておけなかった。
「ハァ、ハァ……どこまで行くんだよ……!」
駆ける。駆ける。森の中を少女は駆けていく。
一心不乱に、何かを振り切るように、彼女は脇目も振らずに走っていく。背中を追いかけるので精いっぱいだ。少しでも足を止めたら置いて行かれてしまいそうだ。
……そうして、走り続けたその果てで、小さな池に到着した。
そこには一人、少女の背中がぽつりとあった。
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