040 宣戦布告
『……! アンタ、構えて。何か部屋の前に居る』
「え――」
憂鬱に浸っていると、突然そんなことを少女から言われて、俺は上半身を起こした。そんなことを言われても何もわからな――いや、待て。
――チチチッ、チチ。
小さな鳴き声が聞こえてくる。
カリカリカリ、と木材を削るような齧る音もする。何か小さな生き物が戸の前に居るらしい。
――《ウェポン・スキル「金の鍵」》
敵襲を警戒して、武器を召喚して戸に近づく。
コツ、コツ、コツ。
ヒールの音をできる限り小さくして、武器を右手に構えて左手で戸を押し開き――
「――ジジッ! ジジジッ! ジッ!」
「……ネズミか? しかもモンスターじゃない小さなやつ」
戸を押し開いた瞬間、小さな悲鳴が足元から鳴って遠ざかっていった。
……どうやら、ドブネズミぐらいの大きさのネズミが居たらしい。しかし、突然押し開かれた戸にびっくりして逃げてしまった。
『みたいね……、! ねえ、あのネズミ何か落としていったみたいよ』
「あれは……紙?」
少し離れた廊下に何か白いもの――一枚の小さな紙が落ちていた。
恐る恐る近づいて手に取ってみる。そこには文字が書き込まれていた。
「……“語り手の少女よ、君に勝負を挑みたい。今夜、森の湖の元まで来るように。道案内なら使役したネズミを村のすぐ外に待機させてある”……だって?」
手にした小さな紙には、粗雑な文字でそう書き込まれていた。
俺のことを“語り手”だって……? これは察するに、送ってきた相手は同じ語り手――それも、ネズミの使役から予測するに俺が交戦したモンスターの軍勢の主……ハーメルンの笛吹き男だろう。
『これは罠ね。武装を消費した今挑むのはやめておきましょう』
「…………」
『……? 何よ、どうしたのよ固まっちゃって』
……自分の勘の良さを恨む。嫌な予感をヒシヒシと感じ取る。
俺は手にした紙を摘まんだまま、動けずにいた。
「この紙、見覚えがある――」
紙の表面を摘まんだ手の指でなぞる。
……名刺サイズの紙。一度触ったことのある――そんな気がする紙。
固唾を呑む。俺は慎重に慎重に、その手にした小さな紙の
――“無視してもいい。この女がどうなってもいいのなら”
「……!」
表に書かれていた文字と同じ粗雑な文字の下に、聞いたことのあるフレーズが書き込まれていた。
“ハンターズギルド フリーランス リヴィア”
綺麗な印字で書き込まれている文字を見て、緊張で固まっていた俺の体は小さく震え出した。
『ッ! アンタ、挑むのは絶対にやめなさいよね! 完っ全に罠だわ!』
「でも、でも、これはリヴィアさんの……名刺だ、受け取ったことのあるからわかる……これは本物だ……」
『だとしても! 仮に本当に敵がその女を人質に取っていたとしても、乗り込むのは危険だわ!』
震えで粗雑な文字がよく読めない。
リヴィアさんが、人質にされている……だって? いや、まさかそんな――いやでも、そんな――
『この際ハッキリと言うけれど、この世界はあくまでステージなのよ! この世界の人間もステージの一部! 危険に身を晒すようなことじゃないわ!』
「それでも……」
俺は、彼女に報いなければならない。これは俺の招いた結果だ。俺のために自ら危険に赴いた彼女を、俺は助け出さなければならないんだ。
――ふと、自分の命を天秤にかけてみる。頭の中でそれを皿の上に乗せてみるのを、何度も、何度も。
もう片方の皿に乗せるのは、リヴィアさんについてだ。命、身の安全、未来――彼女の何を乗せても、天秤は彼女の方に傾く。
……ならば、優先するべきは彼女に違いない。俺の命なんて二の次でいい。
「俺よりも彼女を優先するべきだ。俺は今から彼女を助けに行く」
『……どう、して、よ』
「だってそうだろう。俺の命と比べても、彼女の方が大切で――」
『――ッ!』
強引に体を引っ張り起される感覚。
直後にパン、と乾いた音。
……その音が自分の頬から鳴ったのだと理解して、ようやく俺は少女にビンタされたのだと分かった。
「……ぇ」
『このッ……馬鹿ッ! 大馬鹿たれ! なんで自分の命を天秤にかけてんのよ!』
痛みは無い。けれど、途方もない怒りを感じた。
『アンタは絶対に生きる! その上で助けたい人も助ける! どうしてそういう欲を持つことができないのよアンタは!? どうして自分の命を犠牲にする前提で話を進めちゃうのよ!』
初めて見る激情で、少女は俺に対してまくし立てる。
普段から何度も見せる合理性が微塵も無い、ただ感情だけを乗せた言葉。なのにその言葉の一つ一つが、妙に耳に残った。
『人を助けたいのなら好きにすればいい! でもね、それが“自分のためになる”って前提だけは間違えないでよ!』
……少女の宝石みたいな瞳が波打つように揺れている。
俺の両肩を掴んだ少女の腕はさっきの俺以上に震えている。肩に食い込んでいる指には力がどんどん入って、少し痛い。
でもそれ以上に少女の方が痛そうな顔を浮かべていた。
『言いたいことはもう散々言ったわ! もう……ッ、知らない!』
「ぁ……」
ドン、と俺をわずかに突き飛ばして少女は姿を消してしまう。
止める暇も無く、呼び止める言葉も思い浮かばなかった。
……間違えているのは確実に俺の方だ。
けれど、俺にはまだわからない。彼女があそこまで怒った理由も、涙を目に貯めていた理由も。申し訳ないけれど、わからないままでいる。
「……難しいな、本当に」
叩かれた頬に手を添えながら、無責任にもそう呟くしか俺にできることはなかった。
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