027 朝焼けに逃げる
「ッ――――あ」
スライムが迫ってくる。ジワリジワリと俺の腰ぐらいの大きさのゼラチンが流動するように襲い掛かってくる。
すでに全身が麻痺してうまく動けない俺は無抵抗に吞まれるしかなかった。
「ゴポッ……!?」
――って、まさか生きたまま吞み込むやつがいるか……!
抵抗したいが何もできない。そのまま流動体の中をゆっくりと浮かんでいく。
『多分だけど、よほど強力な毒を盛られてるわ! 致死的な麻痺毒なんかを!』
(ッ、まさか……毒矢だったのか……ッ!)
矢は直撃こそしていないが、何度か掠りはしている。その時に毒が体内に入り込んだのだろう。
……油断した。毒矢の可能性なんて微塵も考えていなかった。その結果がこれだ。
(ッ、気持ち、悪い……!)
冷たくドロドロとしたものが服の下でうごめいているのは気持ちが悪い。
酸性を含んでいるのか肌がわずかにヒリヒリするし、服の端――スカートのフリルなんかが黒く変色して溶けている。
「――ぷはっ! ハァ! ハァ……!」
ゆっくりとスライムの体内を浮上していた体がようやく液面の外に出た。
……危なかった。あと数十秒ぐらい液面から体が出るのが遅ければ、窒息死していたかもしれない。
『スライムの体内は酸性の溶解液を含んでいるわ。私の体は毒耐性はあるけど、その手の薬品耐性が無いからそのうち溶かされるわよ!』
「ッ、そんなこと言われても……!」
そんな注意喚起をされてもまだ体は上手く動かない。このままでは万事休すか――
「――《アタック・スキル「ウルフズ・スタンプ」》!」
奇妙な掛け声――詠唱とやらが遠くから聞こえてくる。
「ッ、切り開いたわ! 2番隊は左に回り込んで残党を狩って! 1番隊は私と共に直進! スライムには灰を散布して!」
今の声は、聞き覚えがある。以前にも同じく助けられた時に聞いた声だ。
「リヴィアさん! 人です! 子供が一人スライムに呑まれかかっています!」
「ッ――! か、カタルちゃん……!?」
……ああ、俺はまたあの人に助けられたのか。
また迷惑をかけたことによる罪悪感のようなものを感じながら、俺は第三者による救助を待ち続けるのだった。
■
「――で、どういう訳なの」
救出されたのち、残存しているスライムは全て狩りつくされた。
その後俺は救助者として村に送り届けられる――前に、リヴィアさんに捕まって現在、こうして問い詰められていたのだった。
顔が……リヴィアさん顔が怖いです……マジでキレてる人の顔だ。既に毒が抜けているというのに、緊張感で四肢がうまく動かせない。
どういう訳……どういう訳、かぁ。なんて言えばいいんだろう。嘘も思いつかないし、こうなったら素直に謝るしかないのかもしれない。
「えっと、村に攻めてくるモンスターと戦ってました……ただ、毒矢を掠めたせいで動けなくなって、狩り残したスライムに襲われてしまいました」
「…………」
ち、沈黙が痛い。
これは謝罪も併せてしなくてはならないだろう――いや、絶対必要だ。間違いない……!
「だからその、ごめんなさい! また迷惑をかけてしまって――」
「……私が言いたいのはそこじゃない」
「え――」
頭を下げて口にした言葉を止められる。
顔を上げると――ああ、リヴィアさんは、なんて言うか……酷く心配するような、そんな顔を浮かべていた。
「私はね、カタルちゃんが危ない目に遭ったことが心配なの。迷惑だとかは全然思っていないし、関係ないわ」
リヴィアさんは……多分、諭すように俺に語り掛けてくれている。だけど、その言葉の大半は耳を通り抜けていく。抜けてしまう。
……その顔は、苦手だ。なんだか嫌なものを思い出してしまいそうになる。
「別に戦ったことを怒ってる訳でもない……でもね、カタルちゃんってなんだか自分が危ない目に遭うことを何も思っていないみたいに感じるの」
「……それ、は」
胸の中が痛い。
古傷がジクジクと痛みを訴えかけている。
頭の奥が痛い。
蓋をして奥底にしまいこんだ筈の記憶がフラッシュバックする。
「……ごめんな、さい」
悪いと言われたらいくらでも悪く思える。反省しろと言われたらいくらでも反省できる……だから、その顔だけはやめてほしい。
その心配するような、俺のことを憂うような目を向けられるのは、苦しくなる。
「私の気のせいならいいんだけど、それに関しては本気で怒ってる。カタルちゃん自身が自分を粗雑に扱うのは絶対に良くない。それじゃあカタルちゃんを心配して守ってくれる人が浮かばれないって私は思う」
ああ、きっとリヴィアさんの言う通りなのだろう。実際俺は自分の命に執着がない。それは間違いなく他人から見れば悪いことだ。
「だからカタルちゃんはもっと自分のことを好きになってあげてって――」
だから俺は、もっと自分のことを好きにならないと、いけないの、だ、し――
「ッ、ごめんなさ、い……ッ!」
最後にはもう何に対して謝っていたのか、自分ですらわからない。
俺はただこの場から逃げ出したくて逃げ出したくて、逃げ出したくて仕方なくなったから背を向けて走り出した。
「! カタルちゃん!?」
逃げ出す。
逃げ出す。逃げ出す。
目的はない。向かう宛てもない。それでもこの場には居られなかったから、リヴィアさんの顔を直視できなかったから逃げ出した。
「ハァ! ハァ! ハァ!」
森の中は寒い。でも喉は呼吸で熱かった。
走って。走って。走って。走って――その果てで、気が付けば俺は足を止めてうつむいていた。
目の前には小さな湖が揺れていて、鏡のように俺を映している。森の中にこんな湖があるのは初めて知った。
「……ハァー、ハァ……ハァ」
『……アンタ、大丈夫? 酷い顔色よ』
……ああ、本当に酷い。
少女の言う通り、酷い顔だ。玉や宝石のような顔も瞳も、ぞんざいに扱えばこのザマか。
『だから言ったのよ、アンタは肩入れしすぎだって。良い気にならない言葉を言われても、ただの原住民の言葉だって捉えれば良いのに。真面目過ぎんのよ、アンタは』
「…………」
言葉こそ荒いが、一応俺のことを心配してくれているらしい。
良い気にならない言葉を言われた……という訳ではないのだが、それでも彼女なりの解釈で慰めの言葉をかけてくれている。
「……どっちが子供なんだろうな」
今この瞬間は、こうして気遣ってくれている少女の方が大人に思えて。
こうして顔を歪めて涙を流している大人の自分は、ずっと子供のように思えた。
何も理由がなければいまここで死んでしまいたくなる自分が居て、そんな相変わらずそんな自分を大切にしない自分のことをやっぱり好きにはなれなかった。
■
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