013 ほんの一歩を進むために

『へぇ、風呂場に鏡があったんだ。ここの文明レベルはもっと低いと思っていたけど、輸入品かなぁ』

「その台詞、失礼なんじゃないか? この村に対してさ」

『まあ、良かったじゃない。簡単に帰れる方法があって』


 少女は呑気そうに笑う。

 確かに、帰る手段があるというのは嬉しい。元居た日本に帰ることが出来る。それは望んでいたことだ。


「…………」


 でもまあ、自殺を図った手前でノコノコと家に帰るのは何と言えば良いのか。格好が付かない? ダサい? まあ、そんな卑下が似合う気がする。

 それに日本に帰ったところでこの体はどう説明付けるのか。これでは家に帰ることも叶わないだろう。

 ……まあ、そんなことは一度帰ってから考えよう。そう考えて風呂場のあった宿に向けて足を進め――馬小屋を出る直前に“異変”を感じ取る。


「……ん? なんだ?」


 ……何か騒がしい。

 夜も更けて真っ暗なはずの村に、突然燃え広がるかのように明かりが付き始めている。まるで村を丸々巻き込んだ騒動でも起きたかのように。


「なんだ……どうしたってんだ」


 馬小屋を出てみると、案の定村の人々が外に出て集まっていた。

――ザワザワ、ガヤガヤ。

 そんな喧噪の中に聞き耳を立てて、俺は聞こえてくる言葉を断片的に聞き盗む。


「――今夜到着する馬車がまだ来ない」

「――うちの旦那が! あの馬車に乗ってるんです!」

「――まさか、街道にまでモンスターが……」

「――緊急! 緊急! 戦闘員は至急ギルドへ集合を!」

「――ギルドだけじゃなくて俺達も探しに行くべきだ!」

「――だけど、こんな夜間に森の探索は危険すぎる!」


 ……村は一言で例えるなら混乱に陥っていた。

 どうやらこの村に到着する筈の馬車が何かのアクシデントで来ないらしい。そしてそのアクシデントとやらは恐らく、俺を襲ったような怪物の仕業の可能性があるとか――


『都合が良いわ。今なら宿に人気が無いから忍び込めるわよ』

「……そう、だな」


 少女の言うとおり、今なら帰るのに都合が良い。

 金銭の無い俺では宿に入ったところで門前払いされる。ついさっき風呂場に入れたのは、リヴィアさんが一緒に居たお陰だ。だからこっそり忍び込むのなら今が良い――


「――誰か! お願いします……! 家族を助けて下さい……!」


 喧噪の中で、叫び声のような申し出が聞こえた。

 さっき聞き耳を立てた時に聞こえた、旦那が馬車に乗っていると言っていた老婦の声だろう。


「…………」


 その声が耳に残ってしまった。助けられるなら力に成りたいと思ってしまった。


――――どうしてリヴィアさんって戦っているんですか? なんであんな危険な怪物に挑めるんですか……?


 少し前にそう尋ねた機会があった。その答えはこうだ――守る為だと。

 あの時――怪物に襲われた時、臆病にも逃げることしか出来なかった俺が、もしも何かを守る為なら、もっと“強くなれる”のだろうか?

 こんな俺でも、何かを守ることができれば“自分を好きになれる”のだろうか……?


「……命を投げ捨てようとした男が何を言っているんだか……!」


 自虐の言葉を吐く。

 でも、気になったものは仕方ないんだ。出来ることがあるなら、やらなくちゃ後悔する……!


『? おいこら、どうしたのよ。きな臭くなってきたし脱出には私も賛成よ』


 踵を返して宿から離れ、村人の集まりの方へ歩みを始めると少女が横槍を入れてくる。どうやら彼女は今すぐこの異世界から脱出するべきだと考えているらしい。うん、それには俺も賛成だ。だけど、


「なあ、武器ってのは何処にある? 怪物に襲われたあの時戦えって言っただろ? なら戦う手段があるんだろ?」

『……どういう気の変わりよ』

「この村を守りたくなった」


 受け答えを聞いた少女は、小さく溜め息を吐く。呆れかえったような反応だ。


『それはどうしてよ』

「どうやら人の命が掛かってるみたいだろ。だから――」

『ハッ、自殺志願者がなに命を語っているんだか……それに近くには雑魚の気配しかないわ。馬車を襲ったのもきっとジャバウォック以下ね。そいつらを倒したところで戦力にはならないわ。だから――』

「それでも良い。戦わせてくれ……それに、ここで戦い慣れておいた方が今後のためになる、だろ?」


 胸を張って手でポンと叩き、少女を言いくるめてみる。

 俺の言っていることは多分間違っていない筈だ。バトルロワイアルは戦いを避けられない。ならばそもそも俺自身が戦力に成らなければならない。


『チッ、口は良く回るみたいね……仕方ない。でも帰る方法はどうするの? 今を逃したら他に無いわよ』

「その時は魂石を売る。そしてちゃんと金を払って風呂場に行く。それで解決だ」

『はぁ!? ちょっと何勝手に決めてんのよ! それは大切な戦力でしょうが!』

「その戦力がどうとか説明受けてないから分からないし。そんなこと言うなら俺とお前の契約とやらを破棄するからな! 二度と戦ってやらないぞ!」

『なっ……!? っ、ッ~~~! し、しかたない、わね……クソッ、他に都合の良い契約候補が現れた時は覚えてなさいよ!』


 少女から大きく反感を買ったものの、今の一押しで説得には成功したらしい。少女の姿は消えて、俺の頭の中から声が聞こえてくる。


『あんな人混みのところへ集まったって意味ないわ。助けに行くなら左の方向に真っ直ぐ。その方が早く着く!』

「! ありがとう……!」

『フン、契約で脅しておいてフツーお礼言う奴が居るもんですか』


 左の方向――暗い森の中だ。僅かに恐怖心を感じる――けれど、


「俺だって、守ってみせる……! そうすれば……!」


 そうすればきっと、俺は初めて一歩前進できる――そんな気がしたのだ。


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