011 お風呂場は戦場
(……!? どうしてそんなところで、変に親切心を……!?)
一気に頭まで水面下に沈めながら、ぶくぶくと泡を吹き出す。
あの無警戒お姉さんは、背中を洗ってあげると言ってきたのだ。そう、背中を洗うと。何度だって言ってやる。背中を洗うだなんて言ってのけたのだ。
(それは……マズイッ! 精神の衛生上、大変に……!)
そう、俺は男。女の体になっていようと、男の象徴たるものが無くたって、心は男。それだけは譲らない。譲れられない……!
だけど、だけど――!
(背中、洗ってもらいてぇぇぇ……ッ!)
邪心、復活。
いや、ここまで来れば純粋な願いだ。あの理想体型の女性に背中を洗って貰いたい欲求が俺の中には存在する。
一度……一度だけでもあの人に背中を洗って貰えれば、きっとこの邪心は満足して引っ込んでくれる! そうだろうきっと! ああ、そうに違いない……!
「…………いいんですか」
「なんか出会って初めて聞く声色ね……いいわよ、だからお姉さんの元へおいで~」
「…………」
動けない。いやまあ、おいでと言われたら行きたいのだが、動けない。
どうした自分。何故、何故動けない……!? 自分でもよく分からない感情とプレッシャーで体が思うように動かせない……!
いや、何故なんかじゃない。浴槽から抜け出せない理由は初めから分かっている。それは――
「……? どうしたの? ははん、さてはカタルちゃん、“恥ずかしがっている”んだ~?」
「……!」
リヴィアさんに心の中を見抜かれてドッキリする。な、何故!? どうしてそうも簡単に心を見抜かれた……!?
そしてなにやら見えないが、ヒタヒタとこちらへ歩き寄ってくる足音がした……かと思うと、
「っ、それ~!」
「!? わ、あわわ……!?」
バシャーン、なんて豪快な音と共に沈んでいたはずの体が持ち上がる。
どうやら、脇の下から腕を通されて一気に持ち上げられたらしい。一体どんな腕力をしているんだと思ったが……そうだ、この人は足の長さほどある金属製の剣を羽ペンのように軽々と扱う人だった!
「あはは、軽い軽い! さあ、おいで~」
「ちょ、ちょっとリヴィアさん……!?」
そのまま軽々と持ち上げられて、抵抗する暇も無く鏡の前へ座らせられる。
ちょこんと鏡の前に正座で座り込む俺と、その背後に膝立ちで座るリヴィアさん。まさしく今から俗に言う“洗いっこ”というやつが始まろうとしていた。
「~♪ あらあら、カタルちゃんってお肌綺麗なのね~」
(あ、あわわわわわ……)
シャコシャコと、まるでスポンジと肌の間に泡のクッションを置いて間接的に擦る感じだ。痛みも引っかかれるような心地も無く、ただ肌が繊細に綺麗にされていく。
……今までは力を込めて垢を擦り落とすようにしてサッサと洗っていたが……なるほど、こうして時間をかければ力を込めなくても肌を洗い流せるのか。
「痒いところはない?」
「羞恥心で、痒いです」
「?」
「ああいえ、どこも痒くないです、はい」
「そっか。じゃあ正面はお願いね」
そう言ってリヴィアさんは俺に石けんで泡立ったスポンジ――植物の繊維のようだ――を手渡してくれた。
「はい――はい、はいっ。完了です」
「は、速いわね……大丈夫? ちゃんと洗えてる?」
「ええ、はい、問題なく」
鏡を見ないように肩胸腹股足、とサササッと擦り洗ってしまう。少々ヒリヒリするが、やむを得ない。こうするしか俺には手段が無いんだ。
「それじゃあ、今度はリヴィアさんのお背中を洗いますよ」
「あら、良いの? それじゃあ頼もうかしら」
受け取ったスポンジを片手に立ち上がり、リヴィアさんの背後へ――裸を見ないように――立ち回る。
ビキニアーマーだったから体のラインは既に見えている。だけど、裸の状態のその背中を見ると、やはり綺麗な曲線美だと――
「……ん?」
ふと、その背中のある部分に視線が止まる。
――傷だ。治ってはいるし、目立たないが古い傷跡が残っている。よく見れば二カ所、三カ所と薄ら傷跡が残っている。
「……あ、バレちゃったか」
古傷に気がついたことがリヴィアさんにも伝わってしまったらしい。彼女はこちらを振り向いて、申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
まるで、お見苦しいものを見せてごめん、とでも謝りたそうな表情だ。
「その傷はね、戦いの最中に付いちゃった傷なんだ。まだ未熟だった頃に戦場で戦って、戦って……それで付いた傷。今は治って目立たないけど、よーく目を凝らしたら見えちゃうよね」
リヴィアさんは背中に手を回して、古傷のうちの一つをなぞるように触れた。そして、俺でも誰でもない虚空を見つめながら口を開く。どうやら傷に触れながら彼女自身の過去を思い出している様子だった。
「……情けないよね。お姉さん、妹から「お姉ちゃんは剣術と見た目しか綺麗な取り柄が無いんだから」なんて言われてるのに、それを傷つけちゃうだなんて」
「リヴィアさん……」
自傷的な言葉と共に、リヴィアさんは笑みを浮かべて語ってくれた。
俺は何か慰めになる言葉を言おうとして――でも、戦場だなんて全く知らない俺には何か言う資格がないと思えて、口を挟むことは叶わなかった。
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