002 性別を裏返して

 風はぬるいが、静寂が寒い。

 俺はぱちくりとまばたきをしながら、少女の言葉を反芻するように考え込んでいた。


(この子は……なんだ? どういう……なんなんだ一体?)


 いや、なにもどうもこの少女が語った短い自己紹介が全てだ。良くも悪くも簡潔な言葉――"物語の登場人物"。それが彼女の正体だというが――


「ま、そんな話はどうでもいいの。それより、今アンタはその命を捨てようとしたわよね?」

「…………まあ、そう、だな」


 そんなこと、だなんて片付けられるのは腑に落ちないが事実を言われたので頷く。

 そうよねそうよね、なんて様子で――少し嬉しそう? ――少女はうんうんと俺以上に頷いて俺の近くへ歩み寄ってくる。


「んじゃ、命を捨てようとしたのだから、その命は拾った私の物で良いわよね?」

「……は?」


 まるで当然の権利のように言うもんだから、俺も思わず声を出してしまった。その反応を聞いた少女の方が不思議そうな顔を浮かべている。


「だからぁ、私は死人みたいに扱いが自由で生きている人間が欲しかったの。じゃないと都合がね……で、アンタみたいな死ぬ気満々な人が私にとって都合が良いの。どうせ死ぬのなら役に立って死んでみない?」

「おま、何を言って――ああいや、えっと……」

「ふふん、納得した? 納得してなくても貸しはあるんだから、言うことを聞いてもらうわよ?」


 ……彼女の言い分はこの上なく滅茶苦茶だ。

 滅茶苦茶、なんだけど――


「…………はぁ」


 でもまあ、どうせ彼女の言うとおり――死ぬ気満々だったし、助けられたのなら貸しがある――なのだから、物語の人物だなんて馬鹿げた話にある程度まで付き合っても良いと思えた。これは死ぬ前に見た変な夢だと思えば、まだ付き合える。


 どうやって橋から落ちる大の男をこんな少女がどうやって助けたのかとか、そんな疑問は些細なことだ。この子は俺を助けた。その事実だけで十分。それ以上に関心は無い。


「……それで、人の命なんかを自分の物にしてどうするんだよ」


 でも無視できないのはその部分。

 この子は"命を捨てようとしたのだから、その命は拾った私の物よ"と言ったのだ。俺は少女の等身大の願い事なら付き合えると思うが、犯罪のような大馬鹿なんかには付き合えきれない。

 要するに、彼女の目的が聞きたかった。


「うーん……まあいいわ。とりあえず私も情報・・が欲しいし……うん、ちょっとだけ手伝って貰おうかなってね……はい、握手」

「情報? 握手……? ……ん」


 はい、と目の高さに少女の手が差し出される。

 少し呆気をとられたがズボンで土汚れを払ってから、俺の手よりも一回り二回り小さなその手を軽く握り返す。

 ……繊細な腕だ。人形細工のようでそれ以上に儚く壊れやすいもののように感じて仕方ない。陶器のような腕はガラス細工よりも柔らかく、綺麗だった。


「はい、コレで仮契約は成立。語り手ほどじゃないけど、立ち読みぐらいには成れたでしょ……ちょっとついてきて。多分そう遠くないから」


 繋いだ手を元気よく振り解かれてハッと正気に戻る。

 少女の切り替えははやいもので、そう言いながら水面を覗き込みながら川沿いに歩いて行くのだった。


「か、語り手……? 立ち読み? 仮契約ってなんだよ?」

「今のアンタの立場よ。見習いというか、仮契約の契約者を“立ち読み”ね……ま、私が勝手に名付けてるんだけど」

「????」


 少し遅れて俺は少女の背中を追いかけながら尋ねる……が、分かる返答は無かった。何を言っているのか全く分からない。


「……うん、街頭で水面が反射してて、流れが無い水たまり……ここなら行けそう」

「? 何処に行けるんだよ?」


 少女の呟きから意味を理解できない。何か自分の姿が映るものを探しているみたいだが、その目的も理由も訳がわからない。

 そんな時、またしてもあの陶磁器のような腕が目の前に差し出された。“掴まれ”と言いたそうな顔をして、少女は俺の手を取り、


「さあ――ようこそ、迷宮へ……!」


 まるで歓喜のような少女の言葉が聞こえたかと思うと、俺の視界はプツン、と。なんの予兆もなく突然真っ暗になってしまった。


 ■


 ……

 …………

 ………………


「……う、ん」


 ……青い匂いがする。草のあの青臭い香りが、自然と風に乗って流れてくる。

 体は……軽い。風で転がりそうなぐらいには軽く感じる。それにある程度体を動かすことだってできる。

 だけど視界は一向に真っ暗なままで、その上前には進めない。まるで目の前に壁が競り立っているみたいだ。一体何故だろう……?


『……おいこら、いつまで寝てんのよ』

「……寝、てる……?」


 少女の声が聞こえて、ピンと理解が追いつく。

 ……ああ、そうか、寝ているのか俺は。うつぶせで寝っ転がっていて、この真っ暗な壁は地面なんだな。


「……ッ」


 下敷きになっていたふわふわな布の中から体をよじ起こして、上半身だけを起こす。顔を上げると、そこは鬱蒼とした森の中だった。

 頭上以外は木々の葉で覆い被せられていて空が見えず、辺りを見回しても木と暗闇しか見えない。


『ここがフィールドかぁ……もっと拓けた場所とか高い場所だと嬉しかったんだけどなぁ』


 俺が目の前の現状――河川敷ではない空間に呆気をとられていると、そんな呑気な現状把握の声が聞こえてくる。


「なあ、さっきから何処にいるんだ……、よ……!?」


 流石に抗議というか、どういうことなのか説明して欲しいから声を荒げると、不自然に声が裏返った。いや、喉に違和感はない。なのに、が出た。


「……! !?」


 パッと喉に手をやる――その手に目が吸い寄せられた。

 俺の腕じゃない……まるで、まるでその、透き通った肌の“それ”は――


『……あ。やっと気がついた? 仮契約だから不十分ではあるけど、一応形は取っているから安心してね』

「な、ななな、な――」


 この俺の体から生えている陶磁器のような腕には見覚えがある。

 それと、布きれだと思って下敷きにしていた布――いや、正確には服、見覚えのあるドレスのスカート。人肌の温かく甘い匂い……


「俺、女の子になってる……!?」


 それが俺の姿なのだと理解した時には、叫び声のような状況把握結論を口にするのだった――


 ■

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