第6話 救世主

 璃羽は硬直した。

 開いた扉の向こうは、龍を主題とした障壁画が辺り一帯に描かれ、要所にある飾金具で更に豪華さが増し、とても凡人の部屋とは思えない、目にしただけで萎縮してしまいそうな空間が大きく広がっている。

 そんな場所に平然と立ち、堂々たる姿でこちらを見据えてくる男――翠。

 たとえ彼が璃羽たちとそう変わらない年頃のようでも、一国をまとめ上げる者であると、妙に納得がいった。

 それほどまでに威厳のある立ち振る舞いと鋭く光る目。

 璃羽は思わず身構え、挑むような視線を向けると、翠はなぜかフッと小さく笑みをこぼした。


 「この私を睨み付けてくるとは、随分と勇ましい娘よ」

 「えっ」

 「何睨み付けてんだ、璃羽」

 「ええっ」


 そんなつもりではなかったのにと、璃羽は慌てて誤解だと取り繕う。

 するとそんな様子が気に入ったのか、またも翠がクスクスと笑うと、璃羽は戸惑いに言葉をつまらせ、いつなが呆れた。


 「どうやら昨晩はよく眠れたようだな。璃羽といったか、いつなが大層心配していたぞ」

 「え」

 「余計なことは言わなくていい。それよりも説明して貰おう、わざわざ俺たちをここへ連れて来た理由を」


 いつながそう言うと、翠はつまらなさそうに一息吐くが、すぐに真剣な双眸がギラリと二人を見据え、口を開く。


 「見たところ、この国の者ではないようであったからな。少々興が乗り、連れて来させたまでよ。もしやこの国の伝承となっている――“龍姫たつひめ”ではないか、と」

 「龍姫……?」


 初めて聞く言葉に璃羽たちが顔を見合わせていると、そんな様子をじっくり観察するように翠が密かに目を細め、いつなが訊ねる。


 「その龍姫というのは、いったい何だ? この国の伝承というのは?」

 「……この国には古くより言い伝えがあってな。国が妖魔によって災厄に陥る時、異世界より来られし龍姫が救世主としてこの国を救うと」

 「救世主? まさか私たちが?」

 「そしてそなたらは、まさに伝承通り異世界から来た。もしやと考えるのは、至極当然ではないか?」


 翠がそう言って璃羽を訝しく見ると、その視線に困り果て、彼女はいつなの方を向いた。

 突然救世主と言われても、どこにでもいるただの一般人の自分たちに、何ができるというのだろう。

 そもそもこの国のことなんて、何も知らない。

 ただでさえ自分のことで精一杯なのに、重大な役目を押し付けられてもどうしたらいいのか分からないのだ。

 それはいつなも同じだったようで、璃羽の考えに同意するようにコクンと頷くと、彼女は翠に向き直る。


 「翠さん、私たちは普通の人間だ。確かに別の世界から来たが、何か特別な力がある訳じゃない。どれだけ妖魔に悩まされているのかは知らないが、私たちが役に立てるとは思えない。世話になっておきながら言いにくいが、人違いじゃないか?」

 「…………」

 「あの……翠、さん?」


 璃羽の言葉に黙り込む翠。

 不安になってもう一度名前を呼ぶと、次の瞬間、彼が大きく声を上げて笑い出した。


 「はははっ!」

 「えっ、なんで?」

 「はは……いや、失礼した璃羽よ。くく……そうか、翠さんか。ふふふ……人違いか、くくく……」

 「……いつな、なんで笑われてるんだろう?」

 「多分、あれじゃねぇか」

 「え?」


 いつなの言葉に、璃羽は彼が向いている外を見ると、遠くの方で一人の女が衛兵らしき男たちにつまみ出されようとしていて暴れているのが見えた。

 この国の者にしては妙にヘンテコな着物で、何やら自分が龍姫だと騒いでいる。


 「救世主と言われるくらいだ、龍姫ともなれば随分と優遇されるんだろう。偽者が出てきても不思議じゃねぇ」

 「左様。これまでにも数え切れぬほど現れてな。だがどの娘も、当たり前のように龍姫の伝承を知っていたり、国の情勢に詳しかったりと、とても異世界から現れたとは思えぬ者ばかり。だがしかし」


 翠がじっと璃羽を見ると、嬉しそうに口角をつり上げはっきり告げる。


 「ようやく見つけた。璃羽よ、そなたが真の龍姫だ」

 「えっ」

 「なんせこの私を、気安く“翠さん”と呼ぶのだからな」

 「えっ、そこっ⁉︎」

 「良い良い。何ならこれからは翠と呼べ。そなたは龍姫となる者なのだから」

 「えっ、そう?」

 「待て。勝手に璃羽を龍姫にするな」


 翠の言葉に璃羽がつられそうになっていると、いつながさっと割って入ってきた。

 不機嫌そうに目をつり上げ、彼女を背にして前に出る。


 「さっきも言ったが、俺たちは異世界から来たってだけで、普通の人間だ。国を救うなんて大それたことできるとは思えねぇし、そこまでする義理もねぇ。ましてや妖魔と対峙することになるっていうなら尚のこと、こいつを龍姫にする訳にはいかねぇ」

 「ほぉ」

 「いつな……」


 彼の言葉に、翠は考え込むように口を閉ざした。

 暫く互いを見て、腹の内を探り合う。

 そんな急に静まり返った場で璃羽は困惑していると、翠がそれを破った。


 「無論ただとは言わん。この国での地位は保証する故、不自由はさせん。璃羽は勿論のこと、いつな――そなたのこともな」

 「……」

 「え? それって、どういう……?」


 翠の言うことに璃羽が首を傾げる。

 だがいつなは、その言葉の意図に気づいているようで若干目が据わると、翠がニタリと悪ぶった笑みで続けた。


 「いつな。そなた――妖魔なのではないか?」

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