第3話 連れられて、その先で
体が、とてつもなく重い。
少し気を抜いて倒れてしまったなら、そのまま眠りに落ちてしまいそうな睡魔も断続的に襲ってきている。
今何とか両足で歩けているのは、先の戦いの緊張がまだ続いているからだろう。
……こんな極端な疲労困憊は、久しぶりだった。
「ふう……」
できるだけ大きく、肺の底で淀む空気を入れ替えるように吐き出しつつ、俺――刃鳴斬哉は、山を下るように歩く。
人にとってそれは猛毒であったのか、黒竜の返り血を受けた場所が焼け爛れるように痛い。
――常識外れな巨体と超重量が生み出す暴力。
正に天災。
嵐が肉体を持ったならあのような形になるだろう。
その力によって破砕、飛び散らされた木片や石塊が生み出した擦過傷へと黒竜の血が染みる事で生まれる激痛。
まるで自分のものではないような息苦しさを覚えさせる、心臓の違和感。
疲労と睡魔、それらすべての要因が重なって気絶する未来を想像するのは容易かった。
――結果から言えば、眼球などを狙った戦い方が功を奏して黒竜を撃破。
何とか少女を助け出せた。
だが、このまま暗い森の中に留まっていては、いつまたあのような怪物に襲われるとも限らない。
ショックから言葉を出すのも覚束ない、まだ5、6歳前後の金髪碧眼の少女を抱きかかえてその場から離れて――現在に至る。
辛さを顔に滲ませないように、一歩一歩踏み出す。
「……っ」
今はまだ無理に体が付いて来てくれているが、一体いつまでもつか。
少なくとも先程のクラスの竜が更に2体でも出てきてしまったら、彼女を守り切ることは不可能だ。俺には対処できない。
だが、見捨てるという選択肢も有り得ない。
……今振り返ると、あれは薄氷の勝利だった。
一手でも体の運びを間違えていれば、跡形もなく血の霧になって消し飛んでいただろう。
不調をおくびに出さないよう抑え、とにかく歩き続ける。
右も左もわからない今、どんな想像しても詮無い事だった。
ただ土地勘は全くないので、途中からは少女に手を握って引かれ、先導される形で歩いていた。
それにしても……。
黒竜は生物として自分のしるものとかけ離れたものだったが、少女もまた自分の知る"人間"とはかけ離れていた。
まず、耳が長い。自分の4倍はある。美醜に疎い自分にも分かる整った顔立ち。
こういった外見的特徴を持つ人種を全く知らない訳ではない。
友達から借りた漫画で見た事がある――確かエルフという架空の種族だ。
……いや、目の前にいるのに架空も何もないか。
ファンタジーと呼ばれるジャンルで広く認知されている、眉目秀麗にして長命を誇るとされる森に住まう亜人。
いや、亜人という呼び方は人類社会側からの呼び方であり、失礼にあたるかもしれない。
いや、そもそも言葉が通じないのでは聞こえたとしても失礼もなにもな――
「白騎士さま、大丈夫ですか…?」
「えっ。あっ、ああ。大丈夫、だよ」
普通に通じた。
いや、というか。それどころか――
「けが、してませんか? しんどくないですか?」
「だ、大丈夫。大丈夫だよ」
――普通に、日本語だった。
応答した時の口の形も、日本語の発音のソレだった。未知の言語ではない。
だが言葉は通じても違和感が大きい。
顔立ちが日本人の基準でいう白人系で、東洋系のそれとは違うからだろう。
……分からない事、だらけだ。
「少し、いいかな?」
「なんでしょう、白騎士さま?」
「ええと、その白騎士っていうのは? 俺は騎士でも何でもないんだけれども……」
「だって、白騎士さまは白い服を着てて、邪悪な黒い竜を倒されたでしょう!? それも剣も使わずに、凄いです!! お父様は『いつか邪悪になってしまった竜を白い騎士様が倒しに来てくれるんだ』ってフェリンに教えてくれました!」
両手を目一杯振って、全身で感謝と喜びを表現している少女。
誰が見ていても微笑ましくなる画だろう。
助けた人間としても、これだけ元気な様子を見せてくれるのは、とても嬉しい。
自分が着ている白衣を指差す少女――フェリンに、なるほどそう見えるなと頷いてしまう。今は黒竜の血で赤黒く汚れてしまっているが、確かに何も知らなければ、父親が言った通りの人物にしか見えないかもしれない。
「これは白衣といって、本来はお医者さんが着る服でね。本当は――」
そこまで続けて、フェリンが俺が言わんとしている何かを察してしまったのか少しだけ涙ぐんでる事に気付く。
……まずい……。
"お前は一々何でも生真面目に答え過ぎなんだよ。
そんなんじゃ肝心なトコで損こくぞ……あー、そうだな。一日一回、笑わせられなくても冗談を言う。これでいけ。ちょっとした積み重ねから始めていくんだよ! その内アメリカの映画みたいなキレのあるジョークになってくからよ!!"
……そうだな。そういう事もあるかもしれない、
人を笑わせる事が重要なんだよな。
親友の皮肉気な顔を浮かべながら、取り繕う台詞を必死に考える。
少なくとも今ここは、別に事実を語るべき場ではないだろう。
怖がっていた少女をまた泣かせてどうするんだ、馬鹿。
「――本当は、騎士ではなくて剣士なんだ。さっきは石と枝で戦ったけれども、今は刀……剣が折れて、新しいものを捜している最中なんだ」
……どうだ?
あ、笑ってくれた。
俺も笑い返す。
見知らぬ土地。
訳の分からない状況――ここに来てやっと、安心できた気がした。
その安堵は、他ならぬこの子にもらえたのだと思う。
◆
……黒竜の血で濡れた場所が酷く痛む。
少し前から獣道から人の通る道に出る事ができたのか、足場が安定してきた。
まだ進む事自体はできそうだ。
だが、少しづつ始まった眩暈が限界を知らせていた。
もう足取りも覚束無くなってきており、フェリンに状態を隠してはいられなくなってきている。
度々転びそうになる俺に気を遣い、早く人里に行こうとして、でも俺の為に速足になるわけにはいかなくて……という繰り返しだった。
――傷の痛みと彼女の気を紛らわせるために話している最中、幾つか分かった事がある。
まず彼女が、フェリン・シェルヴィラントという名前である事。
ここが竜連盟という国であるという事。
使っている言葉は日本語ではなく、連盟語と呼ばれている事。
ここがネイヴァーヘイルという地方で、エレフィーリアという市にある山である事。
そして気付いたら、何故か森の中で一人眠っていたという事。
(気付いたら森の中で、か……)
子供は疲れたら、どこでだってぱたりと寝てしまえるものだ。
前後の記憶がないのは、仕方ない事だといえた。
だが――
「……」
彼女の服は利発そうでいて、しかし可憐な少女に似合う衣服……とでも、言えばいいのだろうか。フリルの多いスカートに、結構綺麗に仕立て上げられた上着は一目見て高級品だという事が分かる。
……結構意匠が凝らされていることが分かるのだが、上手く表現できない。
こういう時に、自分に文章の表現力がない事が悔やまれる。
つまるところ、それは言うなれば森の中を歩くには少し――いや、かなり適していないように思える服装だった。
すぐに枝に引っかかり、解れてしまいかねない服を森に遊びにいかせる子供に着せるというのは何だか想像がしにくい。
「フェリンはどうして、こんな深い森の奥に? 俺は――まあ、旅の者で迷い込んでしまっただけなんだけれど」
「うーん、と……フェリンもね、本当はお父様に『森の奥に行ってはいけないよ』って言われてたんです。
でも気付いたら、あんな所にまで行っちゃってて……でも、ついでだからあそこはおいしいキノコがとれるから、それを持って帰って、皆に食べてもらって元気を出して欲しいなって、思ってて……」
「そうか、フェリンは優しい子だな」
「えへへ、そうでもないですっ」
俺が土汚れを拭った手で頭を少し撫でると、フェリンが満面の笑顔を浮かべてくれる。
……なるほど。
2018年の時点で地球には国家同士の連合や連盟はあっても、一個の国家として連盟を号する国は存在しなかった。
完全に聞いた事がない都市の名は知らないだけだったとしても、洋名の国で日本語……に、近い言葉が国用語になっている国家は、少なくとも地球には存在しなかった筈だ。
深い森を抜ける前に、歩いてる周囲の均衡や重さを感じにいく。
目で言うなら見開く、耳で表するなら傾けるほどのごく自然な行為。
普通の人にはない種の感覚の延長であり、俺だけにできる特技だった。
その感覚で精査した結果、見えてきたのは――踏み固められた大小、無数の足跡。
ちらほら、成人大の足跡がそこかしこにある。
フェリンのような小さな足跡はない。
大きなものだけである。
初めてその姿を見た時、彼女の靴に泥汚れらしいものはほぼついていなかった。
それは、つまり。
「……」
いや、邪推はよそう。
今はまだ。
路を遮る大きな枝が人工的に伐採されている、人の手が入っている気配がしてきた。
目的地はもうそんなに遠くはない。
「づっ……!!」
何らかの施設まで、もう少しだけ粘ろう――そう、俺が改めて軽く奥歯を食いしばるやいなや、人の気配が近づいてきた。
フェリンを見て一度立ち止まった、その人物の足取りは少しよろめいている。
何かを受け止め切れていないかのようにも伺えた。
――長い金髪、碧眼に……彼女と同じく、長い耳。
長身に堀の深い顔立ちは美形といっていいだろう。随分と走り回り――何か、もどしてしまったのだろうか、口の端に少し吐瀉物が付着しているように見えた。泥の付いたブーツに俺と手を繋ぐ幼子を見るソレは、信じられないようなものを見ている様な表情だった。
俺はその人物の事を全く知らない。
だが直感的に彼がフェリンとどういった繋がりを持つ人物なのかは分かった。
「さあ、お父さんだろ? 行っておいで」
「ぁ――おとうさま!! おとうさまぁああああっ!!」
フェリンがその顔を見て、俺に背中を押されて俺の手を離れて走り出し……その腰に思い切り抱き着いて、その胸板に顔を埋めた。
抑えていた不安が、爆発してしまったんだろう。
それはフェリンに父と呼ばれた彼にしても同じだったのか幼子の頭を掻き抱き、恥も外聞もなく娘の無事に涙を流していた。
俺を白騎士と呼んでいたのは、やはり強がりでしかなかったのだ。
「良かった……」
肺に残った息を絞り出しつつ、小さな声でそう呟く。
……俺が見たかったのは、こういう光景だった。
ずっと、ずっと。
頑張った人が当たり前のように報われて欲しいという、こんな景色だった。
その光景を見届けながら、俺は暗くなり始めた視界と体を引く重力にに身を委ね、地面に倒れ伏し、意識を完全に手放した。
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