第2話 覚醒と疾走

 明滅。

 反響。

 浮遊。

 墜落。

 いくつもの不快な感覚をないまぜにされた、不快感の嵐の中を通り抜けるのを感じる。

 本来の体の左右、裏表が文字通り裏返るような気味の悪い感覚の後。


 ――自分が生きている、という事に気付いた。


「……!?」

 目を見開き体を起し、首を左右に振り辺りを見渡す。

 意識を喪う前、致命傷を受けていた心臓の上を撫でまわす――何ともない。

 服は――愛用していた白衣に黒ジーンズ、紺のシャツのまま。

 意識を失くす直前に着ていたものだった。

「ここは……?」

 頭上には高い木……深く茂った葉で日当たりが良くない為か、雑草の類は余り茂っていない。

 何の変哲もない森の中に、斬哉は倒れていた。

 直前まで何をしていたか、頭に手を当てて必死に状況を整理する。


 ――俺に逆袈裟の一刀を受け、地に倒れ伏す友。

 ――心臓に開いた穴からの出血。

 ――渾身の一太刀を放った疲労から倒れ伏す自分。


 そこまでしか思い出せない。

 いや、そこまでの筈で……その記憶通りならあの街のあの草原で、自分は死んでいる筈だった。

 なのに、こうして森の中で横たわっている。

 確認はしたが疑り深い性格である為か、青年――刃鳴斬哉が、もう一度体調を確かめる。

 呼吸ができている、血の巡りもある。

 つまり心臓は言うまでもなく、異常がない。

 全身は若干の疲労、倦怠感がある位でむしろ健康そのものといっていい位だった。

「……どういう、事なんだ?」

 思わず独り言を口してしまったが、当然答えてくれる者がいる筈もない。

 答えてくれる友人どころか他人も、もう全員死んでしまっているのだから。

(……ここで考えていても始まらないか)

 といっても、一体どこに歩き出せばいいのかの検討もつけてはいないのだが。

 立ち上がろうとして、手の甲をくすぐるように這っている虫の存在に気付く。

 摘まみ上げ……殺生をする気にもなれないので、近くの木にとめおく。

 必要なのは周囲を散策だろう……とはいっても、方位も何も分からない今の状況でどう歩くべきか、余りに無策であった。

 顎に手を当て、改めて周囲を観察し始めた――その時だった。

 樹木が根元から引き千切られるような轟音が響いてきたのは。

「……?」

 力任せなもの――重機によるものや、自然な倒木の音ではない。音のする方向へ感覚を向けると、そちらから絹を裂くような悲鳴まで聞こえてくる。

(こどもの声っ)

 確信を持った瞬間一も二も無く走り出した。

 それが正しいか、など考える事も無く、音のする方へ。


  ◆


 斬哉が木にとめた虫。

 それは、日本でもよく見かけるコガネムシによく似ていたが――脚が4対で小さい複眼が背部にもあったという事にまでは、流石に気付けなかった。


  ◆


 轟音のする場所は自分よりも低い位置にあった為、偶然にも高台から現況を見下ろす形となった。

 それは、四足歩行をし襤褸の被膜となった翼を地に這いずらせ緩慢な移動をしている――溶けかけの黒い鱗を纏う、全長30メートルはあろうかという巨大な竜だった。 

 それは、一体どんな原理を持つ生命なのか。

 流れ、溶けているようにしか見えない体表だったが、その鱗は黒竜が自身が前進する度に跳ね返ってくる砂利や折れた鋭い木々をものともしない硬質である。

 頭部には三対、形の異なる六つの瞳。

 その四肢は雑草を踏みつけるように大木を割いて潰し、平らにしていく。

 正に生ける重機で災害。

 どう考えても尋常な存在ではない。

 ……!)

 刃鳴斬哉という青年がその生涯で動物園や水族館でも見た事が無い、途方もなく巨大で重い生物だった。

 ――斬哉にはあらゆるものの重さやを感じ取れる、第六感ともいえる特異な感覚がある。

 感覚を通して観察した黒竜、その体は――まるで小島。

 その質量が圧縮され、竜の体を為して動いているという形容が最も近い。

 それは意味不明な密度の高さを誇る超重量生物だった。

 余りの自重により、その体が大地へと沈みこんでいないのは――一体、どういう理屈なのか。

(地面に立つ時は重さが消えている、のか? ……分からない)

 分からない、分からないことが多すぎる。

 常ならば危険を避けるべく、見過ごすべき相手だった。

 構うべきではない。

 だが――

(超重量と装甲で、隠しきれない場所……狙う場所を、違えなければ……いい)

 ――その手は足元の尖った石を拾い上げ、全身の筋肉を撓ませるという逃走とは程遠い行為を選択していた。

 咢を開いた黒竜の前には、恐怖に顔を歪ませる一人の少女。

 彼が最も恃みとしていた得物、刀はなかった。

 だが、勝機はある。

(――硬いのは、あの鱗だけだ!!)

 石片を握り全力で疾走。

 斬哉が今、子供が引き裂かれる未来を止める為に大きく跳躍した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る