第八話:甘い考え

 「火器魔法の基礎は、4大属性である火属性魔法を元に…」


「…」


「魔導短機関銃における一発当たりの魔力消費量は…」


「…」


朝食を済ませた後、一旦宿舎に自身の寝室がある第3室から座学に必要な教材を取りに戻り、今現在その座学を受けている真っ最中であった。


だが、その座学の内容は耳を塞ぎたくなるような痛々しい単語の連続だった。


『軍用基礎魔法学』と呼ばれる授業では「火属性」だの「闇属性」だの「魔法術式」だの、厨二心がくすぐられそういくつものフレーズが教官の口から真顔で発せられていた。


授業というものは基本静かに受けるものだが、厨二用語を真顔で語っていく教官を前にそのあまりの滑稽さに笑いを堪えると同時に、気恥ずかしさで身が捩れそうな思いになりすぐにでもこの教室を出たかった。


そんな集中力だからか、それとも滑稽で馬鹿馬鹿しいと思っていたからか、授業の内容は頭に全く入ってこなかった。


仮に真面目に聞いていたとしても異世界出身で途中編入の俺が授業の意味を半分も理解できるとは思わなかった。


そんなこんなで2時間近く続いた座学をぼーっとしながらやり過ごした。


勿論、表面上はプロジェクターらしきものによって映し出された画面を注視して真面目に取り組んでいるフリをした。


教室の出口付近には2名の教官が目を光らせていた。うたた寝しようものならまた怒声が響き渡りそうだ。


さいわいと身悶えそうな厨二病用語の連続で明朝に起きた事による眠気は吹っ飛んだ。


「それでは、今日はここまで。この後は休憩した後、通常訓練に戻ります。10分後、グラウンド集合だそうです。」


そう言って「魔法学」とやらを教えていた教官は教室を後にした。他の教官達と違い、軍服ではなくスーツな事から外部の講師なのだろうか。


それと同時に教室のうち2つの出口を塞いで立っていた教官が出口を開け放つ。


「次はグラウンド集合だ!!貴様ら遅れるなよ!!」 


教官の掛け声と同時に訓練兵達も足早に教室を後にした。


俺もその流れに倣って教室を出る。


次の時間から本格的な訓練が始まるようだ。


時刻は8時半。ここから昼まで3時間ずっと訓練か。


軍隊の訓練だ。かなりキツいだろうと想像しておくが、こっちも中学時代は運動部に入っていたのだ。引退で半年近いブランクはあれどスタミナも筋力もそこそこあるはず。なんとか耐え切ってみせよう。






 「ハァ…ハァ…」


今、人生最大の生死の危機に陥っていた。


…もう…死にそう…


俺は先頭を走る集団の列からはみ出し、集団からかなり離れた最後尾で既に棒になった足を必死になって動かしていた。


「アキト!!歩くな!!貴様にとってはそれが走っていることなのか!!」


「…ハァ…ハァ…いいえ!!…」


「ならちゃんと走れ!!遅れているのは貴様だけだぞ!!」


「………はい!!…」


ハートル軍曹の怒声になんとか答えながら乳酸が溜まり疲れで言う事を聞かなくなった足をなんとか動かす。


……あと5周…あと5周て…あと…


頭の中で残り何周で終わる事だけを考え、がむしゃらに走る。


事の始まりは座学が終わりグラウンドにやってくると


「まずはグラウンド50周から行う!!」


その言葉に俺は一瞬思絶望しかけたが、周囲の反応は意外と涼しいものだった。


その反応を見て、「50周なんて走った事ないから実感湧かないがペース配分さえ間違えなければなんとかなるのでは?」なんて思ってしまったのが最後である。


結果として先頭集団から3周以上の差をつけられ、最後尾でなんとかこれ以上周差をつけられないよう踏ん張る事が精一杯だった。


1番後ろの列の集団にさえ1周近く差がついている気がする…


先頭集団を見ると1番前をニャロメが走っていた。流石獣人種ワービーストというだけあって涼しい顔をして走っている。それどころか笑っている…


ニャロメの後ろに着くのが数いる体格の良い男子達を抑えて走るルナマリア。汗はかいているものの彼女もニャロメ同様涼しい顔をして走っている。亜人という例外を抜きにすれば現在先頭は実質ルナマリアという事になる。


ルナマリアのすぐ後ろには男子集団が走っている。2人に敵わないまでも追いつこうと先頭の1人がルナマリアにピッタリとくっついていた。男子集団の中にはマイクも混ざっていた。


ロックは決して速くないものの後方集団の前方で息を切らさず走っていた。あの屈強な身体だ、体力は桁外れにありそうだ。


ニーアは俺のすぐ前、後方集団の後ろで若干息が上がりながらもペースを乱さず走っていた。


対する俺は息も上がり、振る腕の力すらなくなんとか足を動かすのが精一杯の状態だった。


「ゼェ…ゼェ…」


口の中の鉄を飲み込みながらあと何周走れば良いかのみを頭の中で考えていた。


あと2周……あと2周……


そうこうしている内にようやく50周走り切る事ができた。


「ゼェ…ゼェ…」


今までにかいたことないほどの汗が地面に滴る。


今この場で倒れてしまいたかったが、流石に教官に怒鳴られると思いなんとか立っていた。


俺以外の訓練兵達は既に水道に群がり水を飲んだり浴びたりしていた。


俺も水飲も…もう口の中が鉄と痰が混じり合って気持ち悪い。


「貴様ら!!次は対人格闘訓練だ!!休憩が終わった奴から第2グラウンドに集合だ!!」


ハートル軍曹の声を聞き、訓練兵全員が声のした方向に向き直る。


「ただし13班はアキトが遅かった連帯責任としてあと10周追加!!」


え…?


頭が真っ白になっていく。やっと終わったと思ったのに…もう足が動かないよ…


他の訓練兵達からヒソヒソと囁かれているのが聞こえたが、多分嘲笑されているのだろうがそれよりもまた走らなければならない現実に絶望していた。


数秒思考が停止していると、ルナマリアを始め13班のメンバーがまた走り始めようとしていた。


彼女らには俺のせいでまた走らされて申し訳ない気持ちでいっぱいだ。肩身が狭い…


そう思うも彼女らから俺に対する恨みのような視線は一切感じず、黙々と走り始めていた。


ただ1人を除いては。


ルナマリア、ニャロメ、ロックが走り始めるのを見て1人足りないと思い辺りを見渡すと俺同様10周追加と聞いて絶望して立ち尽くしている白髪の少女が1人いた。


ニーアは呆然としていたが、俺の方を向き恨めしそうな鋭い視線を送ってきた後、ルナマリア達に続いて走り始めた。


本当にごめんなさい…後で皆んなに謝ろ…


そう思いながら俺も走り出す。






 「ゼェ…ゼェ…」


なんとか10周走り切った…


俺は今、グラウンドの地面に倒れ込んでいた。


最初は教官に怒られると思い立っていたが、足に限界が来てしまい立っている事も出来なかった。


なんとか顔だけ上げて他のメンバーを見る。


ニャロメもロックも全く疲れた様子を感じず、ルナマリアも汗をかいているもののまだ体力に余裕がありそうだ。


ニャロメとロックは亜人だからで片付けられるが…ルナマリアさん、あなた化け物すぎません?


3人の横には、地面に膝をついて息を切らしているニーアがいた。他のメンバーと比べて後方を走っていた彼女だが、流石に10周追加で走らされれば体力の限界が来たか。


俺のせいで10周多く走らせてしまった13班の面々に申し訳なく思うも、体力の限界で立ち上がれないため、首だけ前に向け


「…ごめん…俺のせいで多く走らさせちゃって…」


それを聞いて俺の方に向き直るニャロメ、ロック、ルナマリアの3人。


「別に。私達はもう3ヶ月やっているけど、初めは誰でもヘトヘトになる。気にしてない」 


「アキトは初日だし、仕方ないさ。ボクはそんなに疲れてないしね」


「ワタシはまだ走ってる方が良かったニャ!!もうロックとの格闘訓練は飽きたニャ!!」


「そう言うなよ。ボクらが他の訓練兵達と手合わせしたら怪我じゃ済まないかもしれないんだ。仕方ないよ」


そう言って3人は、第2グラウンドがあるであろう方向へ歩いて行った。


皆特に気にしていないようで良かった…編入初日から班員に迷惑をかけて嫌われるのは悲しいからな。


そろそろ身体が動くようになり上半身を上げた時、疲れて一緒に地面に手足をついていたニーアが立ち上がり、こちらに向かってきた。


ニーアは不気味なくらい笑顔でこちらに近づき


「次やったらコロす」


奈落の底のように冷たく、鋭く低い声でそう言い放ち、第2グラウンドへと歩いていった。   


「…………はい」


数秒の沈黙の後、既にニーアが去っていたにも関わらず返事をしてしまった。


そりゃあの3人が異常なだけで普通の人なら怒るわな…


ニーアに対し申し訳ない気持ちになりながら、身体を起こし自分も第2グラウンドへ向かった。






 「ヘブッ!!?」


「遅い」


「グヘッ!!!」


「しっかりとガードする」


「……は、へい…」


「じゃあもう1ラウンド」 


俺は今、拳を構えたルナマリアにタコ殴りされていた。


勿論いじめなどではない。対人格闘訓練の一環として班ごとにボクシングのような事をやっていた。


13班は5人中3人が亜人という事でニャロメとロックはペアが固定、身体構造が人間に近いニーアは俺とルナマリアと3人交互に対戦していた。


最初ルナマリアが基礎を教えてくれるという事だったが、ルナマリアの教え方は「体験して覚えろ」というもの。


結果、ガードの仕方も含めて実践形式で行うという事になり、さっきのグラウンド60周の疲れが溜まった中でルナマリアの拳をくらっていた。


こいつ…やっぱり10周増えたこと根に持ってるんじゃないか?と一瞬考えたが、ルナマリアと少ない時間ながらも共にいた経験から本人はこれが1番効率的と思ってそうという結論に行き着いた。


ルナマリアの拳をくらいながら地面に体育座りしているニーアを横目で見る。


俺が殴られ倒されているのを見てご満悦といった表情だ。


「ウッ!!!」


ルナマリアの拳から強烈な一撃が放たれる。


ガードするもその衝撃は今も腕に残っている。


グローブをしながらやっているのになんつうパワーだよ…


「よそ見しない」


「わ、悪い。気をつけるよ」


そう言ってルナマリアの前に向き直る。


男として女子に防戦一方のこの状況は、高くないプライドも傷つく。


だが疲れからか手も足も力が入らない。それでもルナマリアからは容赦ない一撃が飛んでくる。


俺はそれをなんとかやり切り(ただボコボコに殴られていただけだが)、午前の訓練は終了した。






 「30分の昼食の後、午後は射撃場に集合だ!!」


ハートル軍曹の掛け声と共に訓練兵達は食堂に足を運び始めた。


俺と13班の面々も同様に昼食を取りに食堂へ向かう。


「アキト、ルナマリア、ちょっと待て」


後ろからハートル軍曹が引き止める声が聞こえる。


俺とルナマリアは後ろを振り返りハートル軍曹の前に向き直る。他のメンバーも足を止め振り返る。


「何でしょうか?」


ルナマリアがハートル軍曹に対して聞く。


「ヴェーダから手紙を預かっている。お前に渡せとな」


そう言ってルナマリアは軍曹から封筒を受け取る。


「ありがとうございます」


「うむ。それは置いといてアキト!!午前中貴様の訓練をずっと見ていたが、軟弱すぎる!!」


「!!…は、はい!!申し訳ありません!!」


突然怒鳴られたので反射的に誤ってしまった。


まだ初日なんだ、大目に見てくれと言いたい気持ちもあるが、実際問題他の奴らより体力がないのは確かだ。


軍隊の訓練なのだ、中学部活の運動量とは比較ならないほどキツい事は覚悟しておくべきだった。


「基礎訓練期間はあと20日足らずだが、今のまま通常通り訓練をこなしていても基準値には満たないだろう」


「はい」


「よって午後から貴様には特別メニューをこなして貰う!!私がマンツーマンで監督してやるから覚悟しておけ!!」


「は…い?」


特別メニューとは何ぞ?それよりハートル軍曹と一対一で訓練…


元の世界に帰りたくなってきた。






 「ゼェ…ゼェ…ゼェ……」


「今日の訓練はここまでだ!!明日からも午後は特別メニューを行なって貰う!!」


「ゼェ……はい…ありがとうございました…」


「今日みたいに足が止まるようなら貴様だけ休日返上で訓練を行なってもらう事も考えねばならん。明日に疲れを残さぬよう今日はしっかり休むように!!」


「………はい…」


そうハートル軍曹は告げ、グラウンドを去って行った。


昼食後、俺とハートル軍曹のマンツーマンでの訓練が行われたが訓練内容自体は至って普通の筋トレや走り込みだった。


だが、ハートル軍曹の怒声を浴びながら、休憩も許されず約5時間半動きっぱなしで俺の五体は悲鳴を上げ、手の指すら動かすほど億劫なほど疲れ切っていた。


グラウンドに大の字になりながら寝そべって暗くなっていく空を眺めていた。


…家に帰りたい…




早朝の訓練ではメンタルは弱くないと言っておきながら、初日にして根を上げてしまう。


目頭に涙が溜まってくる。


明日も同じような過酷な訓練が待っていると思うと「いっそ死にたい」と思うほど心の中に絶望が押し寄せてくる。


何故訓練兵として編入する事を承諾してしまったのだろうか…今からでも少佐に頼めばもっと楽な身分でこの世界で暮らせるだろうか…


…いや、俺のこの帝国での戸籍を入手するのにかなりの手間を有したのだ。今更この立場を簡単に変更する事は難しいかもしれない。


…ダメ元でも今度少佐が来た時にお願いしてみるか…


「大丈夫?」


俺が早々に訓練兵を辞めたいと考えているとルナマリアが顔を覗かせて来た。


その顔は無表情だが、声音から若干だが心配してくれている事は感じ取れた。


「…ああ…大丈夫。けど、疲れて身体が動かそうにない…」


そう冗談めかして言うも、実際に身体は今までにないくらい疲れ切っていて動かせる気がしなかった。


するとルナマリアは手を差し出し


「手、貸そうか?」


無表情であまり抑揚のない声で話す印象がある彼女だが、決して冷徹な訳ではなく案外優しい。


「あ、ありがとう…」


俺は彼女の手を掴みなんとか引き上げて貰って立ち上がる。


「歩ける?」


聞いてくる彼女の顔は美少女と言っても差し支えないほど綺麗だった。


その上頼れるものがないこの世界で優しくされると昨日の裸の一件も含めて何か特別な感情が湧き上がりそうだ…


「いや、まだちょっと無理かも…」


「なら食堂までボクがおぶってあげよう」


「うおっ!」


突然、後ろから大きな腕で胴体ががっちりと掴まれ俺は浮遊した。


そのまま持ち上げられ、大きな背中が抱き止められるようにあぶられた。


声でわかっていたがロックがおぶって運んでくれるらしい。


「ありがとう…」


若干の気恥ずかしさを覚えながら礼を言う。


「いいよ。それに食事は班全員揃わないと取れないからね。アキトだけ置いてはおけないよ」


横を見るとロックの隣にはニーアとニャロメもいた。


なるほど…俺がだらだら寝そべっていたせいで彼らの貴重な時間を奪ってしまっていたか…


今日だけで色々と迷惑を掛けてしまい身が縮まる思いだった。


「皆んな…ごめん…俺のせいで迷惑かけちゃって…」


自然と口から漏れていた。今までの人生こんな弱気になった事はなかったが、これから過酷な訓練に耐えて行かなきゃならない不安や他人に迷惑掛けている罪悪感から心が若干折れかけていた。


「迷惑なんて誰も思っていないさ。なあ?」


ロックが笑いながら他の3人に問いかける。


「朝も言ったけど初日なんて皆んなこんなものよ。気にする事ない」


「ワタシはいつもどーりだったニャ!」


「次からは気をつけて欲しいけどね」


「ごめん…」


少し上擦った声が出てしまう。


「あーあ。ニーアが酷いこと言うからアキトが泣いてしまったよ」


「え?私のせい?え…あーそのーごめん…まさか泣くとは思ってなくて…」


ニーアが慌てて謝ってくる。


「いや…泣いてないから、大丈夫。今日はごめん。次からはもっと頑張るよ」


「…ならいいけど」


そう言ってニーアはソッポを向いてしまった。


泣いてしまいそうになったのは事実だが、別にニーアに嫌味を言われたから泣きそうになったわけではない。


……


突然異世界にやって来て、何も分からずここまで来て、何故こんな辛い訓練を受けているのだろうと思ったが、


彼女ら13班のメンバーの優しさに触れて少し気力を取り出せた。

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