第六話:編入前の夜

 帝都マガハラを旅立ち早5日。列車の窓から山やら畑やらの代わり映えしない風景を眺め続けていた。


今日の夕方にはイワヤトに到着するらしいが、それまでの間俺は手持ち無沙汰だった。


というより、この列車の旅は全体通して暇だった。


スマートフォンがないのは当たり前として、本を読もうにもこの世界の文字が読めない。この世界のカード(トランプのようなもの)で遊ぼうにも数字が読めない。


仕方ないので少佐に頼んでこの世界の言語を教えてもらうことに。これで5日間の旅は乗り切れるだろう。






結果から言うと、言語に関しては半日も経たずにマスターしてしまった。


元々、発している言語は日本語と同じなのだ。文字が違うだけであとは五十音に当てはめてしまえば簡単に読める。数字に関しても同様だ。


おまけに帝国語には漢字もカタカナといった概念もないから普通の日本語より簡単だ。


そんなこんなで2日目からは少佐と一緒にカードゲームをして遊んでいたが、2人だけなのですぐ飽きてしまった。


今は負けた方が給湯室で飲み物を取ってくることを賭けてアスナス(ポーカーのようなゲーム)をして、少佐が負けて飲み物を取りに行っている。


少佐の帰りを待ちながら列車に揺られていると、少佐がコップを二つ持ってきて戻ってきた。


「ありがとうございます少佐」


少佐からコップを受け取る。ニガ二と呼ばれている飲み物に口をつける。ホテルの朝食で初めて飲んだが緑茶の見た目をしたコーヒーのような飲み物である。


「暇そうだな」


「こうもやることがないとですねえ…」


背伸びをしながら答える。


「暇なら貸すぞ」


そう言って少佐はジャケットの内ポケットから一冊の本を取り出してきた。


「それ、一昨日少し読んでみましたたけど戦術書じゃないですか。俺にはつまらないです」


「そうか…」


少佐は少し寂しそうな顔をしながら本をしまった。ここ数日行動を共にしているだけあり、その本が少佐の愛読書だという事はわかっていた。


流石につまらないは言いすぎただろうか…


「まあ、明日からお前も訓練兵として厳しい訓練の日々だ。暇な時間も今だけかもしれんな」


そう言って少佐は肘掛けに灰皿を置き、煙草コスイアを吸い出した。


俺は無言で列車の窓を全開にした。


少佐は特に気にせずに吸い続ける。


訓練兵か…


初め、俺は軍の研究所の外部協力者として軍施設の立ち入りが許されるはずだった。ただ、その目論見は序盤で破綻、紆余曲折あり訓練兵という形でイワヤト訓練学校への編入が決まった。


つまり軍人になったという事だが、俺にはその認識は薄い。


なんでも帝国では成人して1年後の男女共に兵役が課せられており、最低3年は軍に所属しなければいけないらしい。


ちなみに帝国での成人年齢は15歳。


最初の1年は訓練兵として訓練学校で集団行動、体力作り、武器の扱い、魔法の使用について学び、卒業後は新兵として戦場へ赴くことになる。


1年は訓練兵として過ごすとして、その1年の間に元の世界に帰る方法が見つからなければその後は戦場に出なければいけない。


少佐は実戦は行わなくて良いと言ってくれ、後方に置いてくれるよう手は回してくれるらしいが、それでも不安は残る。


前の席で煙を吹かしているワーウォルフのことも「さん」付けから「少佐」と呼び名を変えたのも軍人になったからという理由である。


こちらとしてはからかい半分で口にしていたが今ではしっくりきてしまって妙な気分だ。


そんなことを考えつつ物思いに耽っていると窓から見える空はオレンジに染まりつつあった。


本当に元の世界に帰れるのだろうか…


夕方になりつつある外を見る。


少し遠くには中継の駅らしき建物が見えてきた。もうすぐ着く頃合いだろうか。


列車が走りを止め、大きな蒸気音を鳴らしながら駅に着いたことを伝える。


「着いたぞ」


いつの間にか喫煙をやめ、読書をしていた少佐が本を閉じて声を掛けてくれた。


「はい」


俺は立ち上がり、少佐と共に列車を降りた。


駅には俺と少佐以外に降りる人間は居なかったが補給列車ということもあり荷物の運搬が行われていた。


外に出ようとして少佐に質問をする。


「ここからどうやって訓練場まで行くんですか?」


「迎えを寄越してある。もう来ている筈だ」


外に出ると荷物運搬用のトラックが数台の他に、1台のジープが止まっていた。


その隣には見覚えのある女性が立っていた。


「お待ちしておりました少佐、と…アキト…さん」


ブロンドの髪、蒼色の瞳に整った顔と白い肌。一度見たら忘れない美しさを持つ彼女はルナマリアだった。


ルナマリアは少佐に敬礼をしてから挨拶をした。俺のことを覚えてくれてるみたいだが反応が微妙だ。


ルナマリアが乗ってきたであろうジープを見ると誰も乗っていなかった。もしかして彼女が運転してきたのか?


彼女も訓練兵ということで同い年だと思っていたが年上なのだろうか。


「さん付けはいらないです。多分俺の方が年下なので」


「そう…なの?」


不思議そうに聞き返すルナマリア。


いや、車運転できるなら18以上だろうし


「いや、お前たち2人とも同い年だぞ。」


双方の疑問に対して少佐が答えた。


「あれ?」


車を運転できるからてっきり未成年ではないかと…と一瞬思ったがよくよく考えてみたらこの世界の、というよりこの国の成人年齢は二十歳はたちではなかった。


「ごめんなさい。俺の勘違いでした…はは…」


少しだがこの世界の常識を教わりはしたが、今だに元の世界の常識とごっちゃになって紛らわしい。恥をかいてしまった…


そんな会話の後、ルナマリアが運転するジープに少佐と俺は後部座席に乗り込み、訓練場までの道を走り出した。


「ここから基地までで2時間近く掛かります。もしお二人とも夕食がまだでしたらこちらをどうぞ」


そう言ってルナマリアから渡されたのは2本の銀の袋に包まれたバーだった。空は太陽が消えかかっており、時間的に考えれはもう6時であった。


一瞬嫌な予感がした。見た目が完全に軍用の保存食なのを見てこの世界で初めて食べたレーションの味を思い出した。


渡されたうちの1本を少佐に渡すと、


「私はいらん」


と言い、返されてしまった。


「基地に着いたとして、その時にはもう食堂はやっていないはずだ。そうなれば明日まで何も食べれんから食っておいた方がいいぞ」


「…」


正直気乗りはしないが、今日はこれしか食べるものがないのなら食べるしかない。レーションよりまずくないことを祈るばかりだ。


袋を開けて中に入っていた小麦色のケーキバーを食べる。



うん。見た目から砂糖のしっとりとした甘さを期待していたが、甘いは甘いがジェリーなビーンズのような味がする。だけどあのレーションの科学的な味に比べたら全然おいしいな。


黙々と食べる。


1本目を食べ終え、2本目に手を付けようとしているとき、


「少佐、約束通り事情を聞かせてもらいますよ」


運転席のルナマリアが少佐に話しかけていた。


「ああ、当分私もイワヤトにいる。数日中に時間を作ろう」


なんの話かさっぱりわからんが、一介の訓練兵と大隊を指揮する将校がここまで親密に接しているなんて普通はありえないことだろう。多分ルナマリアも大なり小なりの違いはあれど、俺と同じ特別な存在なのだと考えた。


2人の会話はそれ以降続かず、車内に静寂が訪れた。


外を眺める。走り続けて数十分。辺りは既に暗くなっていた。


最初の方はしっかり舗装された道路を走っていたように思うが、今走行している場所は一面砂の大地だ。


周りを見渡しても建物の影すら見当たらない。数分前まで走っていた場所はほぼ廃墟ではあったが町の建物が残っていた。


そして砂の大地と表現したが、草の根一つ生えていないいないことにも疑問を覚える。そういった土地だと言われてしまえばその通りだが。


「少佐。イワヤト基地で見た時から思ってたんですけど、どうしてこの辺り一帯なにもないんですか?」


別に車内の静寂に耐えかねていたところにちょうど話のタネが思いついたから聞いてみようと思ったわけではない。


腕を組んで前方を見ていた少佐はこちらの声に気づく。


「ああ、ここいら一帯は100年前の亜人大戦で戦場となった土地だからな」


答えになっていない。戦場になったから何もしない理由にはならない。縁起的な話だろうか。


「そんな昔の話なのに未だに基地と駅周辺以外は整備も再開発もしないのですか?」


「しないのではない。出来ないのだ」


出来ない?


「ここイワヤトの土地は約100年前、亜人達によって焦土と化した。それにより高濃度の魔力霊骸に汚染され、大地は朽ち果ててしまった。数十年前まで人間すら住めないほどにな」


「魔力霊骸とはなんですか?」


初めて聞く言葉だった。


「ん?そうだったな。アキトにはまだ魔法について詳しく話したことはなかったな」


「大気の魔力を集めて、それを何らかの事象として発現される技術とは聞きましたよ」


「そうだ。それにより使用された魔力は魔力霊骸と呼ばれる残滓として大気に漂流する。木を燃やした時に排出される二酸化炭素のようにな。そしてこの魔力霊骸は人間含めこの地球上の生物に有害だ」


「そういった要因があったからこそ、長らく魔法は禁忌の技術として表社会には出てこなかったらしい」


「それだけ聞くと魔法は物凄く危険な技術に聞こえるのですが…」


初めて少佐達に遭遇した時、ルナマリアさんに魔法のようなものをかけられて眠らされた記憶があるんですが…


「現在の魔法は技術革新により魔力霊骸の約80%は大気に漂流させない仕様になっている。大規模な魔法行使を除いて1回魔法を使用した程度で特に害はない」


「それに人間にも個人差はあれ魔力霊骸に対する耐性を持っている」


「耐性?」


「ああ。でなければ魔法という技術は生まれすらしなかっただろうな」


「耐性力の高さは生まれつきや遺伝に左右されやすい。魔導師の才能の七割型はこの耐性力によるものが大きい」


微弱なら害はないはということか。話を聞いているとこの世界の魔法にファンタジーな雰囲気は微塵も感じられず、かなりケミカルチックなものだ。前に科学と魔法は融合を果たしたなんて言っていたからなるべくしてなったという感じだろうか。


魔力霊骸という存在については理解したが、肝心の汚染された経緯を聞けていない。


「結局、どうしてイワヤトの土地は汚染されたんですか?亜人と戦った際に大規模な魔法行使をおこなったということですか?」


「いや、違う。勿論人類側の魔法行使も多少は影響を及ぼしているのは確かだが、根本は亜人達によるものだ」


亜人によるもの?確か亜人は体内に魔力を宿しており、大気の魔力を吸収して活動していると聞いた。


人間が息を吐くのと同じように亜人も魔力霊骸を排出している?それだと同じ魔力を宿すと言われる俺も危険ということになってしまうが、ここまでくる間に何かしらの処置は受けていない。眠っている時にされていたらわからないが。


「亜人が魔力霊骸を出すのであれば俺がこの場で普通にしてるのは危ないってことになりません?」


俺の疑問を聞いて、少佐は一瞬きょとんとした顔をしてその後笑いながら


「勘違いするな。魔力霊骸は魔法行使の結果でしか発生しない」


つまり、


「亜人が魔法を使うということですか?」


「少し違うな。彼らからしたら単なる身体機能の一部だからな」


そう言って少佐は長々と話し始めた。


「亜人が通常の生活で魔力霊骸を発生させることはない。逆に魔力を吸収すると同時に魔力を放出し続ける特性により空気や動植物は異常な促進を受け、亜人が長く生活する地域では天然資源が豊富に採れる。」


「例えば火竜種サラマンダーなら鉱物資源や石油、緑人種エルフ巨人種ジャイアントならば森林資源といった形で種族によって自然にもたらす影響は異なる。逆に全く何も生まない種族もいる」


「ならばなぜ魔力霊骸を発生させるのか。結論から言うと、彼らは魔法と同等の行為を行うことができる。だがさっき否定したように魔法とは違う」


「魔法は術式を構築し、魔法陣、詠唱、等価交換といったプロセスを踏み効果を発現させる。現代ならデバイスによる演算処理だな。彼ら亜人はそういったプロセスを踏まず魔法を発現、肉体の特性として効果を発現できる。肉体、遺伝子に刻まれた術式を体内の魔力を使い発現させる行為、我々はこれを『固有魔法』と呼んでいる」


「この固有魔法は種族、個体によって能力は様々だ。火竜種サラマンダーの火炎放射、鳥人種ガルダの暴風といったように種ごとの特性としての面もあれば、かの『龍神レーヴァテイン』の『滅炎』のように特定の個体のみが持つ特殊能力の面もある」


「亜人の強靭な肉体、そして固有魔法により人類は手も足も出ずに敗れ去ったというわけだ。」


少佐は一息入れるように煙草コスイアを取り出して火を付けていた。話を終えると吸い出すのはもはや少佐の癖みたいなものだった。


普通に四六時中吸っているから違うかもしれないが。


固有魔法…遺伝子に刻まれた術式と言っていたが、身体機能の一部というのならその表現はしっくりくる。


少佐の話にはわからない単語もいくつか出てきたが、大まかな内容は理解した。


そして聞いたうえで一つの質問を投げかける。


「亜人がその固有魔法によって魔力霊骸を発生させてたとして、亜人自身はその魔力霊骸の害からどうやって身を守っているんですか?」


「亜人にとって魔力霊骸は有害ではない。さっき耐性力の話をしたろ。体内に魔力を持つぐらいだからな。100%の耐性力を持っているようなもんだ」


「…それってつまり俺にも…」


「ああ。まだ詳しいことはわからんが、魔力を持つお前も魔力霊骸による害はないと言っていいぞ。」


その話を少佐がしたとき、一瞬運転席のルナマリアが反応したように思えた。気のせいだろうか。


「まだ俺は自分に魔力があるって言われてもどうもしっくりこないんですよね。今までそんなものとは無縁の普通の人間として生きてきましたので」


「元の世界のことはわからんが、次期にお前にも自身に特別な力があることはわかってくるはずだ」


そう言って少佐は煙草コスイアをふかした。


実感は湧かないが、今の話を聞くと魔力を持つ俺にも固有魔法はあるという事にならないか?


異世界に来て何か特別な力を貰えるのが昨今の定番だが、この世界に来てから魔力があると言われた以外特に何もない。


が、もし俺も固有魔法という特殊な力が使えるなら…と健全な男子高校生の至極真っ当な期待をしてしまう。


長々と話し込んでいたからか、気づくと前方に見覚えのある施設の影が見えてきた。







 ルナマリアの運転するジープに揺られ約2時間。ようやくイワヤト基地が見えてきた。


辺りは既に真っ暗ではあるが、空を見上げれば星々が輝いていた。


そして一際大きく見える半球に目が行く。


半月だ。どうやらこの世界にも月はあるらしい。


夜空を眺めている目の端でイワヤト基地を通り過ぎていくのが見えた。このまま訓練場まで直進だろう。


訓練場に近づいていくにつれて徐々に緊張してきた。


以前来た時は特に何も思わなかったが、今日からここで生活し訓練に励まなければいけないことを考えると不安が募る。


やがて、乗っているジープは訓練場の正門の前まで来ていた。門の警備兵が詰所から出てきて運転席のルナマリアに確認を取っている。


確認が取れたのか門が開かれた。そのまま直進し境内に入って行く。


「私は車を止めてきますので、お二人とも先に降りていて下さい」


運転席のルナマリアがそう言って車を一時停止させる。


「わかった。行くぞアキト。教官殿が待ちかねているはずだからな」


少佐に促され、俺と少佐は席を降りた。


ルナマリアが運転する車が発進するのを見送った後、少佐が歩いて行く方向について行った。


学校のような建物の入り口に着く。もう夜ということで外から見える建物内の明かりの数はまばらだ。


建物の中に入ると玄関の前で1人の男性が腕を組みながら背中を壁に預けながら立っていた。


こちらに気づくと、近づいてきて仁王立ちをしながら少佐と俺の前に立ち


「遅いぞ!!貴様ら!!」


建物内の通路に響くような怒号で歓迎された。


焦茶色のハットに黄土色の軍服。映画で見たことあるような軍隊の教官の典型の服装をしていた。


「いやいやすまない軍曹。こっちは補給列車で移動してたのだ。多少の時間のズレは勘弁してほしい」


そう笑いながら答える少佐に男性は


「全く貴様はそのいい加減さはいつになったら直る…」


男性の声に怒りは篭っているものの、少佐との会話の雰囲気から付き合いの長さが感じられた。


「紹介しよう。彼はハートル•ベルトマン軍曹。ここイワヤト訓練学校の教官だ。今はこんなだが昔は私と共に火竜種サラマンダーの戦場を生き抜いた凄腕だ」


と少佐から紹介を受ける。


「初めまして。アキト…ノーネムです。本日からよろしくお願いします


こちらも自己紹介して頭を下げた。ノーネムというのはこの世界での俺の偽名だ。少佐が俺の身分を偽装する際に適当につけた名前だ。「Noname」から安直にもじられているのは目をつぶろう…


「そうではない!!上官に対しては敬礼だ!!」


早速軍曹に怒鳴られてしまった。


「も、申し訳ありません!」


慌てて頭を上げ敬礼のポーズを取る。


つい日本人の癖で頭を下げてしまったが、俺ももう訓練兵なのだから立ち振る舞いに気をつけなければ。


「うむ。ハートルだ。貴様がヴェーダの紹介だからといって手を抜くつもりはない。この時期の編入だ、何処ぞのお坊っちゃんかは知らんがこのイワヤト訓練場に来たからには厳しく指導して立派な帝国軍人にしてやる!!覚悟しておけ!!」


そう言ってハートル軍曹は返礼を返してくれた。


どうやらどこかの貴族か富豪の子と間違われてしまった。


まあ、こんな変なタイミングでの編入だから兵役逃れしようとした何処かの金持ちの息子だと思われても仕方ない。


「わかりました」


「それと、ここから先上官の質問には『はい』か『いいえ』で答えろ。わかったな」


「はい」


「声が小さい!!」


「は、はい!!」


「よし」


また怒鳴られてしまった…ハートル軍曹は鬼教官のイメージが定着しそうだ。


「どうやら上手くやって行けそうだな。私は基地の方へ戻らせて貰う」


どこを見てそう思うか…


少佐はそう言って笑いながら外に出て行く。


「少佐!!ここまでありがとうございました!!」


出て行こうとして背を向ける少佐に挨拶をした。少佐にはここまで色々と手助けをしてもらった。少佐に会っていなかったら俺はこの世界で最悪もう死んでいただろう。


たとえ少佐の計画のためだったとしてもお礼を言うのが礼儀だろう。


「近いうちまた会うんだ。そう畏まらなくていい」


そう言って少佐は手を振りながら出て行ってしまった。


玄関には俺とハートル軍曹のみとなった。


「よし。アキト訓練兵、とりあえず今日はもう遅い。宿舎の案内だけしてシャワーを浴びて寝て貰う。案内はルナマリア訓練兵に任せてある。」


「はい」


「それと明日までにこれをやって貰いたい


そう言って軍曹が手からニッパーのような道具を渡してきた。


「頭を剃っておけ」


「…」


「返事は!!」


「はい!!」


「よし。私はもう戻るが、貴様はルナマリアが来るまでここで待っていろ。もうすぐやって来るはずだ」


「…はい」


「それでは、おやすみ。明日からよろしく頼むぞ。ああ、それは使ったら更衣室の洗面台に戻しておけ」


そう言って軍曹は去ってしまった。


俺が軍曹に渡されたのは所謂バリカンだ。ニッパーのような持ち手の先には数枚の鋼の刃が縦になって並んでいる。自分の知る電動バリカンではなく、一昔前の手動式と言われる物に見える。


よく新兵は最初に丸坊主にされるようなシーンを海外の映画やドキュメンタリーで見たりするが、自分自身で体験する事になるとは…


別に髪を剃ること自体に抵抗はない。今の俺はナチュラルマッシュのような髪型だがそこまで髪に執着がある訳じゃない。


だが、いかんせんこのバリカンの使い方がわからない…


どうしたものかとその場で立ち尽くしていると、


「何してるの?」


背後から女性の声がする。


振り向くと車を置いて戻ってきたルナマリアだった。


「いや…教官に今日までに髪を剃れって言われたんだけど使い方が分からなくて…」


さっきまでの状況を説明した。


「ふーん」


ルナマリアは興味がなさそうな無表情でそれを聞いていた。まだ今日会って2回目だが、彼女はあまり表情を変えないクールビュティといったイメージだ。


「私が変わりにやってあげようか?」


「…え?


思いもよらない返答が返ってきて数秒遅れて反応してしまった。


「あまり他人の髪を剃った経験はないけど、使い方はわかるから」


どうやらルナマリアが俺の髪を剃ってくれるらしい。


第一印象で悪い印象を持たせてしまったしもっと無関心な人だと思っていたが、思ったより優しい。


「あ、ありがとう。…それじゃあよろしくお願いします」


という事でルナマリアに俺の髪を剃って貰うことになった。






 イワヤト訓練学校第2棟。


ここには訓練兵の宿舎とシャワー室があるとついさっきルナマリアに案内された。


で、今俺は更衣室の洗面台の前で椅子に座らされていた。


後ろにはバリカンを持ったルナマリアが立っている。


幼少期以来の坊主だが、まさか同年代の女子に刈ってもらうことになるとは…しかも金髪の外国人美女に。


少し緊張してきた…


「始めるよ」


ルナマリアがそう言って背後から声を掛けてきた。


「うん。ばっさり行っちゃってください」


そう言うと同時に後頭部の首筋辺りに冷たい物が当たる感触がした。


そのまま髪が刈られていく音が聴こえる。自分の髪が短くなっていくのがわかる。


髪を切る前は躊躇してしまうが、いざバリカンが入ったらもうどうにでもなれと思えるのは一度切ったら後戻りができないからだろう。


ザッザッ


しばらく髪が切られていく音を聞く。


ガッガッ


………


ガ、ガガッ!!ガッ!!


…最初は痛くなかったのだが途中からもの凄く痛い…頭皮が切れているのではないかと思うほどに…


まあ…現代のバリカンはプラスチックのアタッチメントが付いているが、今使っているバリカンは鋼の刃がモロ出ている。痛そうだとは覚悟していたが…


「…あ、あの…」


「何?」


「…ちょ、ちょっと痛いからもう少し優しくしてくれると…」


「そう?」


ルナマリアに力を緩めるようお願いすると?マークをつけた返答が返ってきた。


ガッガッ!!


………


ガッ!!ガガッ!!


痛い痛い痛い痛い!!


さっきとあまり変わらなかった。


そんな痛みに耐えながら数分。ようやくルナマリアによる散髪が終わった。


剃り残しなく綺麗に坊主に出来ているので自分から引き受けてくれるだけの自信はあったようだ。


洗面台の鏡で自分の顔を見た。


誰だこのハゲは?と思う前にまず頭皮をよく見てみた。


赤みは差しているものの特に頭皮が切れていたりはしなかった。今も頭皮がヒリヒリして痛いが…


「ありがとうルナマリア。助かったよ」


お礼を言う。ルナマリアがやってくれなかったなら明日軍曹にまた怒鳴られていたであろうことが目に浮かぶ。


「別にいい。もう遅いし、シャワー浴びて寝ましょう」


ルナマリアの素っ気ない返事が返ってくる。


「ところでシャワーはどっちから先はい……ってうわッ!!!!」


「こんな時間まで特別に空けてもらってるのだからわざわざ別々で入るなんて時間の無…何?」


シャワーはどちらが先に入るか聞こうとしたら目の前のルナマリアが突然上着を脱ぎ始めた。


既にシャツを脱いでおり、ノースリーブのシャツからノーブラなのはわかっていたが乙女の柔肌どころか乳房までガッツリ見えてしまった。


即座に後ろを向く。


「何…?」


ルナマリアが不思議そうに聞く。


「い…いや、突然脱ぎだすから…見ちゃまずいと思って…」


「…別に見てもいいけど」


マジですかい…


ルナマリアはいつも通りの落ち着き払った声で答える。


「こんなことで恥ずかしがっていたら兵士としてやって行けない。実践では数日、数週間男女で衣食住を共にするなんてザラなんだし」


「だからっていきなり脱ぎだすのも……で、俺は君が出るまで外にいればいいかな?」


「一緒に使えば良いじゃない。さっき言ったけど、特別にこの時間までシャワールームを解放してもらってるのだからさっさと入ってしまいましょう」


「は…はい…」


そう言ってルナマリアはズボンに手を掛けようとしていたので咄嗟にルナマリアの姿が死角で見えなくなる所まで移動した。


いくら本人が見ても良いと言っていたからといって、それに甘んじてマジマジと見るのは変態の取る行動である。


というか俺自身が彼女に着替えを見られるの事が恥ずかしい…今は坊主だし人に見せられるほど屈強な体でもない。


それよりもルナマリアさんのおっぱい…服越しでも知ってはいたけど流石外国人だけあって大きかったなあ…それに同い年の女子のピンク色まで……


って何考えているんだ俺。あまり下心を表に出してしまうとさらに悪印象を与えてしまう。


そうこう考えているうちにシャワー室のドアが開く音がした。


「あなたも恥ずかしがってないで早く入りなさいよ」


そう奥からルナマリアの声が聞こえ、ドアが閉められた。






…ええい!ままよ!!


俺も服を脱ぎ、更衣室のロッカーに閉まった。備え付けのハンドタオルを取ってシャワー室へと入った。


中には数十のシャワーが備え付けられておりそれぞれに仕切りがされていた。


その一角でシャワー音が聞こえる。ルナマリアが浴びているのだろう。


ルナマリアがいる場所から離れるように奥のシャワーへ急ぎ足で向かった。


蛇口を捻り、シャワーを浴びる。さっさと浴びて出てしまおう。


そう思い頭を洗おうとしたがついさっき坊主にしたことを頭を触った瞬間思い出した。


当分髪乾かす必要ないな…やったー(棒)。


そうこうして身体を洗っている内にルナマリアが浴びていた方向から蛇口が閉まる音がした。


早っ。女子の入浴はもっと長いイメージがあったが。


これは俺も待たせてはいけないなと思い、さっさと身体を洗い上がろうとする。


いや、待て。


今シャワー室を出たら彼女が着替えている所に出くわしてしまうのではないか。



……


さっさと上がるか。


とさっきの自制心はどこに行ったのやら、シャワー室のドアを開ける。


そこには既に着替えを終わらせ、ドライヤーで髪を乾かすルナマリアの姿があった。


……


見れなくて悲しいような、邪な企みが果たされなくて良かったような、そんな相反する気持ちがせめぎ合った。


健全な男子高校生なので許してください…






 シャワーを浴びてお互いに着替え終わった後、今夜から自分が寝る寝室に案内された。


「ここが第三共同寝室よ。中に入って左側の1番奥、2段目のベッドがあなたの寝室になるから。もう遅いから静かに移動してよ」


「わかった」


「じゃあ、女子は2階だから。おやすみ」


そう言ってルナマリアは階段のある方角へ歩いて行く。流石に寝室が男女共同はないか。


「今日はありがとう。おやすみ、ルナマリア」


ルナマリアにおやすみの挨拶を返し、彼女から特に反応もなかったのでそのまま共同寝室のドアを開けた。


室内の明かりは既に消えていて、左右に並ぶ十数の2段ベッドには訓練兵達が眠りについていた。


時刻にしてまだ夜の10時前なのにもう消灯の時間とは。軍隊の厳しさがこれだけで感じ取れる。


俺は言われた通り左側の1番奥、2段目のベッドに向かった。


今日からここが俺の寝床になる訳だが、この共同部屋には見た限りベッドしかない。彼ら訓練兵の私物はどこに置いているのだろうと疑問に思った。


そう思っているとベッドの横にトランクボックスが置かれているのを見つけた。ここに私物を入れているのかな?


そんな事を考えた所で自分の荷物なんて物はない。唯一、初めてこの世界に来た時に来ていた寝巻きはあの廃墟を出る際に汚れてしまったので捨てた。


もう寝ようと2段ベッドの階段に足を掛けた時、


「君が新しく編入してきた子かな?」


下段のベッドで寝ている青年が小声で話しかけてきた。


暗がりで顔はわからないが声の雰囲気から優しい感じの表情が連想された。


「そうだけど。悪い、起こした?」


俺は小声で申し訳なさそうに聞いた。


「いや、新しい訓練兵が来るって聞いてどんな奴が来るかと思って待ってたんだ。まさかこんな時間に来るとは思わなかったけど」


青年はクスクスと笑いながら小声で答える。


「そうなんだ。俺はアキト、よろしく」


「僕はマイケル。皆んなからはマイクって呼ばれてる。明日からよろしく」


「よろしくマイク。それじゃあおやすみ」


「うん。おやすみ」


マイクと名乗る下段の住人に軽い挨拶を交わした後、俺は2段ベッドの階段を登った。


ベッドに寝転がる。普段なら眠気は来ないが明日に備えてさっさと寝なければ。


下の人は優しい雰囲気の人で良かった。初の寮生活?なので同じ部屋の住人と仲良く出来そうか心配だった。


最もマイク以外にあと数十名同室の人間が居るのは置いといて。


瞼を閉じて本格的に眠りに就こうとした。


この時は思いもしなかった。


軍人になるという事の過酷さに。

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