訓練学校編

第五話:少佐からの提案

 イワヤト基地北部訓練場で人生初となる人とは異なる特徴を持った『亜人』との邂逅から早一週間弱。


あの後、俺はワーウォルフ少佐とその隊の人たちと共に飛行艇でネノカタス帝国帝都マガハラに連れてこられた。その間、帝都につくまでの空の旅で俺は死にそうな思いをすることになるのだが、その話は当分記憶の中に閉まっておこうと思う。


そんな体験をしてしまったからか、もう俺の中にはここが異世界でないという疑問は微塵も残っていなかった。夢の中ではあって欲しいとは思ったが…


今現在、俺は帝都法務省本館の前に座り込んである人の帰りを待っていた。


赤レンガを使って建てられたであろうその建物は趣のある雰囲気だが、炎天下の空の下で待たされている身としてはその建物の色は暑さを倍増させているように感じて鬱陶しかった。


この世界では今は6月らしい。日本と違い梅雨もないし特段暑い季節もないらしいが今日だけは日差しが強かった。


なんでも変則的に気候が狂うのだとかなんとか。


元いた世界は4月だったが、何故か異世界では2ヶ月弱のズレがある事も謎だ。


待ち人というのはもちろんワーウォルフ少佐である。彼にはここ一週間色んな所に連れられた。なんでも俺のこの国での身分を保証するための手続きを行うためだとか。いきなり異世界に放り込まれた身元不定の身からするとありがたい話だ…とは素直に喜べない。


日差しがきつい中待つこと数十分。ようやく入り口に見知った人影がやってきた。


「遅くなってすまない。手続きが思ったより長引てな」


少佐は頭を掻きながらこちらに近づいてきた。


「本当に遅いですよ少佐。というか、俺も建物の中に入ってはいけなかったのですか?」


「こちらも中々グレーな手段を使っているのでな。お前本人がその場にいるのは色々と都合が悪い」


「さいですか…」


ため息をつく俺を見て少佐は笑いながら右手に持っていた紙とカードをこちらに渡してきた。


「これがこの世界でのお前の戸籍だ。こっちは個人番号が書かれている」


紙とカードを受け取る。まだこの世界の文字は読めない。カードには十桁の番号が羅列されているが数字も読めないので渡されたところで俺には意味がなかった。


「お詫びと言ってはなんだが、氷菓子でも買ってやろうか?」


少佐と俺は法務省館に背を向け、街中を歩きだした。


「いらないですよ。しかもあれすごい高いですし」


氷菓子というのは言わずもがなアイスのことである。この世界では50円アイス(値上げしたらしいが)レベルのものが10ベルン(1ベルン=100円ぐらいの価値)で売られている。


「アキトの世界の常識で話されてもなあ」


「それよりも早くホテルに戻りましょうよ。喉が渇きました」


「ん?あのホテルにはもう戻らないぞ」


「え」


「言ってなかったか。今から午後の補給列車に乗ってイワヤトに戻る」


初耳である。だがこの1週間、この人に振り回されてきたがこんな事の連続だったと思い出す。こんなんで大隊長とか大丈夫なのか少佐…


「お前もやっと身元が保証され、晴れて帝国軍人というわけだ。よろしくなアキト訓練兵!」


「先に言ってくださいよそれ…」


「すまん、すまん。色々と立て込んでいて忘れていた」


軽い口調で謝る少佐を見て、ため息をつくと同時にある日のことを思い出していた。


思えばこの1週間で俺と少佐の関係性もだいぶ変化した。初めて会った時は「少佐」などと呼んでいなかった俺が何故ワーウォルフさんをそう呼ぶことになったのか。


話はイワヤト訓練学校への帰りの車での出来事まで遡る。








 「アキト、君にはこの世界の人類進化の礎になって貰いたい」


黙ってワーウォルフの話を聞いていたが、いきなりの衝撃の告白に唖然としてしまった。


「…それって…」


「勘違いするな。前にも言ったが、私は君を解剖して人体標本にしたいわけじゃない。そういった物理的な実験の段階はとうに過ぎている」


俺が口を挟む前に問いかけようとしていたことを先回りして答えられた。


「人間が魔力を獲得するために、君には軍として協力を願いたい。その間の身は保証しよう」


「具体的に…何を協力すればいいんですか?」


ここまで具体的な話が一度も触れられなかったので恐る恐る質問してみた。


「そうだな…現状言えるのは定期的な検診と薬物投与を受けてもらうことになる」


薬物投与という言葉に背筋が震えた。


「薬物投与って…それって結局はさっき言った人体標本になる事と変わらないんじゃないですか?」


「心配は要らないと胸を張って言う事はできないが…断じて薬漬けにしたいわけではないと言っておこう」


「…」


その言葉を最後に、二人とも口をつぐんでしまった。


今の話を聞き、この世界が異世界だ現実だという問題を置いといたとしても、俺にはこの男を信用することは出来なかった。


時間にして1分もなかっただろうが、体感では永遠に感じられるほどの長い沈黙が続いた。


「…アキトは、この世界で暮らす気はないか…?」


沈黙を破ったのはワーウォルフであった。


「なんですか?…いきなり」


「この世界で骨を埋める気はないかと聞いたんだ。それとも元の世界に帰りたいか?」


唐突な質問だった。


「今すぐ帰りたいですよ…元の世界というか自分の家に…」


そうだ。自分の家…もう1日以上無断で家を空けてしまっている。普通の家庭に比べたら厳しい家で門限もある。盛大に破ってしまっている。しかも学校をサボって。そうでなくても今頃家族は大騒ぎだろう。時間が経てば経つほど大きなニュースになることは間違いない。


どうにかして帰らなければ。ここが本当に異世界かなんて関係なかった。


「そうか…それは残念だな」


ワーウォルフの言い方に疑問を覚えた。額面通りなら俺がここに残る意思がなくて残念という意味だろうが、俺には別のニュアンスに聞こえた。


「ワーウォルフさん…ここが異世界だったとして…俺が元の場所に帰る方法はあるんですか?」


今までここは異世界じゅないと言い聞かせ目を逸らしてきた事を聞いてみた。


「ない」


ただ一言、はっきりとそう言った。


それを聞いて俺は絶望やら怒りといった感情は特に芽生えず、ただただ底知れぬ不安が積もるばかりだった。


「ただ、君をこの世界に呼んだ連中には心当たりがある」


「本当ですか?」


声の上では興味がなさそうな反応をしてしまったが、心の奥底には一抹の光が差される。


「ドミニオン教団という破滅願望的思想を持った新興宗教団体が存在する」


「ドミニオン教団…?」


ドミニオン…さっき聞いたような気がする。


「この教団の教義では亜人は神の使いとされ、人類は亜人に殺されることによってパラダイス…つまりは天国に連れていってもらえるというイカレた思想を持っている」


「はあ…?」


「問題はこの教団の前身にあたる黒魔術教団が100年前の亜人襲来の当時、『亜人は我々の魔法により召喚したものだ。』と豪語し出した」


「当時、教団の幹部のこの発言は世間から大バッシングを受け、教団は解体された」


「実際に亜人を召喚したかの真偽は不明だが、当時の数少ない資料から実際に教団は転移・召喚魔法の研究を行っていた記録が残っている」


「黒魔術教団の解体後、その思想は後に登場する様々な新興団体に継承され、今はドミニオン教団という名前で活動している」


「何が言いたいんですか?」


話が見えてこない。俺は少しイラだった口調でワーウォルフに結論を急かした。


「いいから聞け」


「10年前、帝都で自爆テロが起きた。実行したのはドミニオン教団の構成員。政府は直ちにドミニオン教団のアジトへ対反乱作戦を決行した」


「ん?10年前って…」


それに「テロ」って言葉も最近聞いた気がする…


「そうだ。教団のアジト、正確には研究施設だがそこで例の少女は発見された。そして当時、私の隊はこのテロ鎮圧に参加していた」


「そして現在、魔力を宿した少年がまたもや同じ施設、今は施設跡だがさらに発見された」


「それって…!!」


つまり俺が初めて目覚めた場所は…


「ああ、君が初めて目覚めたという廃墟は当時のドミニオン教団の研究施設があった場所だ」


やっと線と線が繋がった。


「つまり俺はその教団によってこの世界に召喚されたって言いたいのですよね?」


「そうだ。あくまでも可能性の域を出ないがな。それに、仮に召喚に成功したとしても君が帰れるとは限らない」


100年前に実際に亜人を召喚したかはさておき、その思想を受け継いで現在も研究を行っていた可能性は高いということだ。


「という事は10年前に発見された少女も異世界人なんですか?」


「いや、彼女にはこの世界でのはっきりとした身元が特定できている。異世界人という可能性はない」


「そうですか…」


もしかしたら今の俺のような境遇の先駆者がいるならば…と思ったがどうやら違ったらしい。


肩を落としていると、


「10年前のテロ鎮圧から今日まで、私はドミニオン教団の残党を追い続けている。彼ら教団の技術は私たちの計画に深く関わってくるかもしれないからだ」


「初めは気づかなかったが、尋問を受けている君の姿を観察して確信したよ。君は異世界からやってきたのだとね」


俺を異世界人だと思ったのはその恰好や言動だけではなく、ドミニオン教団の存在もあったからだったのか。さっき学校の射撃場でニーア達と話していた「亜人は異世界から来た説」もドミニオン教団の発言が発端なのだろうか。


「そういえば『ドミニオンの厄災』?でしたっけ。同じ名前が付けられているのも関係があるんですか?」


「ああ。正式には別の意味だが、当時の教団が世間を騒がせたことによる影響でそう名付けられた側面があることも確かだ」


一連の話が全て繋がりはしたが、結局俺が元の世界に帰れる方法が存在しないという真実は覆っていなかった。


「アキト、もう一度提案する。君の体を調べさせてもらう代わりに、君のこの世界での身の安全と元の世界へ戻る手伝いに全面的に協力する事を保証する」


改まった口調でワーウォルフは俺に提案してきた。


「…」


この世界について何もわからない以上、他者からの協力は必要不可欠だ。それが軍の人間ならばなおのこと良い。


ただ、ここで素直に「うん」と頷けるほど俺の警戒心は薄れていない。


だがここで停滞していても始まらないのは確かだ。どっちにしろこの状況下で俺に選択の余地などなかった。


しょうがない…


「…わかりました。あなたのことはまだ信用なりませんが、その提案を受けさせてもらいます。ですがあくまで暫定的なものです。少しでも不審に思ったらすぐにやめさせて貰います。」


ハッタリにもならないハッタリだった。仮にワーウォルフの元を離れたとして、この世界では道も分からない俺にとって死も同然だった。


ここから逃げて死ぬか彼に協力して死ぬか俺の選択肢はこれしかないのだ。


「信用していないか…こちらは信用の証としてそれなりの軍事機密を打ち明けたのだがな」


「それはそっちの都合でしょう?」


ワーウォルフは俺の返しに苦笑しながら


「そうだな。何はともあれこれからよろしく頼むアキト」


「はい。こちらこそよろしくお願いします」


ワーウォルフと話し込んでいる間にいつの間にかイワヤト基地に着いており丁度車を駐車場に止めるところだった。


車を降りて両者ともその場で向かい合った。


ワーウォルフが握手を求めて右手を出してきた。俺もその手を握る。


これにより俺とワーウォルフの奇妙な協力関係は成立した。

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