第八話
「あ、そういえば、宗一役の政夫君に話しかけた時、彼からセリフがなかなか出てきませんでした。『今日は野菜が売れました。大根や、かぶが』というセリフですね。
それで奈緒役の典子さんが『今日は野菜が売れたんじゃないですか?』と助け船を出しました。それで政夫君は、セリフを言いました。
でも琢朗は不満がって『やれやれ、宗一、しっかりしろよ』と言ってましたけど」と琢朗を見ると、無言で頷いた。
「うん、それから?」
「はい、それから僕と琢朗が将棋を指し始めたんですけど……。あ、そういえばその時、雷が落ちました」
「雷? そういえばそうだったね。私と近藤さんは、こことは別のスタジオで打ち合わせをしていたんだけど……」
「それで一瞬、停電になって真っ暗になったんですよ」
「ああ、そうだったね」
「それで政夫君が『あっし、ちょっと見てきましょうか?』って言ったんですよ。
多分、スタジオ内のブレーカーを見てこようと思ったんだと、思いましたけど……」と政夫を見ると、答えた。
「はい、そうです。でも少ししたらスタジオの天井のライトがついて、琢朗さんが
『まあ、大丈夫そうだな……』って言ったので僕も、ブレーカーを見に行くことはやめました」
俺は説明を、続けた。
「ライトが再びついた時につい琢朗に、『おいおい竹次郎、もしかして今、雷が落ちて暗くなった時に駒を動かさなかっただろうな?』って聞いちゃいました。
琢朗には『何、言ってんだよ! あんな一瞬で駒なんか動かせねえよ! それにまだ序盤なんだから駒の配置ぐらい覚えとけよ』って言われました。
僕は確かにそうだなと思って『それもそうだな、悪い……』って返しました」
宇梶は説明を、促した。
「なるほど、それで?」
「はい、それ以降は普通にセリフを言っていき、『うーん、名前までは思い出せねえなあ。確かに一度、聞いたんだが、駄目だ、思い出せねえ……』まで言いました。
台本でお侍の名前は『右近』だと知っていたので、何だか変な気持ちになりましたけど。もちろん皆、台本で『右近』の名前は知っていましたけど」
「うん、そのセリフで、そのシーンは終わりだね。それからどうしたの?」
「はい、僕も取りあえず練習はこれでいいかなと思ったんですけど、優子さんが
『さあ、それじゃあ、一段落したところで今日は派手に行きますか!』って言ったんですよ。
皆が呆気に取られてると典子さんが、おでんが入った鍋を持ってきて、優子さんと一緒に『今日は銀兵衛さんの誕生日でーす!』、『銀兵衛さん、誕生日、おめでとうございます!』って祝ったんです。
それで皆、やっと気づいて『おめでとう!』って祝ったんです。多分、優子さんが考えたと思うんですけど……」
宇梶は、聞いてみた。
「そうなんですか? 優子さん?」
「はい、私が考えました。京三さんとは以前、テレビドラマで共演したことがあって、誕生日を知っていたんです。
それで今日はちょうど誕生日だし、練習だし、私の役が居酒屋の女主人だったので、ちょっと誕生日を祝ってあげようと思いました」
「ふーん、具体的にはどうしたんだい?」
「はい、練習前に典子さんと一緒にセットの奥で、おでんを作りました。
本番で使うための食材やガスコンロもあったので。作ったおでんは皆に配りました。
あとお酒ですが、さっきの練習ではもちろん、お酒の代わりに水を出していたんですが、その時だけ京三さんに本物のお酒を出しました。
実際にお酒を出すのは典子さんなので、昨日の夜に電話で伝えると了解してくれました。それで今日の朝、典子さんと一緒に酒屋で『富士やま』を買いました」と、優子は説明し、典子を見た。
典子は宇梶を見て、答えた。
「はい、その通りです」
京三は優子に、礼を言った。
「はい、びっくりしましたよ。出されたのが本物の一升瓶に入った、日本酒だったので。
それで『参ったねえ、こりゃ……、今日は良い誕生日だ』と言ったんです。
私が日本酒を好きなことを知っててやってくれたんだなあと思い、本当に
●
酒が一升瓶で販売されたのは明治時代に入ってからで、江戸時代にはそれはまだ無かった。だから酒は、ひょうたんに入れていた。
●
優子が
「うん。それで、どうしたんだい?」
「はい、どうせだから剛士さんも呼ぼうということになって、政夫君が呼びに行きました。『あ、多分、外にいるんじゃないかなあ……。それでこうなっているのを知らないんじゃないかなあ。あっし、ちょっと見てきますよ』って言って。そうだったよな?」
政夫は「はい」と答え、続けた。
「それで豊島屋と長屋のセットの間で死んでいた、剛士さんを見つけました」
更に俺が、説明した。
「それを聞いて、皆でそこに行きました。死体を見た優子さんが『いやー!』と悲鳴を上げたんですけど、皆は冷静に『誰かを呼んできた方がいいんじゃないか?』って言いだして政夫君が、『あ、あっし、誰かを呼んできます』ってスタジオを出たんです」
宇梶が「それから?」と促したので、俺は続けた。
「はい、僕は『ここは岡っ引きの出番か?』って言って
だから『ああ、俺は右近さんを尊敬していた。だから死因を知りたいし、もし殺されたんだったら、その犯人を捕まえたい』と言いました。
……あ、練習が終わって京三さんの誕生日を祝う時も、優子さんと典子さんが京三さんのことを『銀兵衛さん』って呼んでいたので、皆まだ役に入っているんだなあと思いました。
実際、僕も宇梶さんの死体を見てもつい『右近さん』と言ってしまい、その後も本名ではなく役名で呼び合っていました」
すると琢朗が、話を続けた。
「そうだったな。そしてそこまで言うなら、と思って『そうか……まあ、いいだろう。岡っ引きのお前の、お手並み拝見といこうか』って言いました。
そしたら絞殺死体について詳しいので、『ほーう、やけに詳しいじゃねえか』と感心しました」
俺は、そのことを説明した。
「はい。セリフの中だけの事件とはいえ、絞殺死体について知っておいた方がいいかと思って、ネットで調べました」
宇梶は「なるほど、それで?」と、俺を促した。
「はい、それで僕が死体を観察したんですけど、不審な点が多くてちょっとお手上げになりました」
そして俺は焦げ跡と、ひっかき傷について説明して続けた。
「そしたら琢朗に『岡っ引きのお前がお手上げなら、板崎の親分にでも頼むか?』って言われたので、『はあ、お前も意地の悪いことを言うねえ。板崎の親分なんて、本当はいないって知っているくせに』って言い
『板崎の親分』はセリフに出てくるだけの、存在しない人物なので」
琢朗は気まずそうに、答えた。
「だからフォローしたじゃないか。『悪い悪い、お前があんまり死体に熱中しているんでつい……。で、本当にどうする』って」
宇梶が「うん、それから?」と聞くと、琢朗が答えた。
「取りあえず政夫君が人を呼びに行ったので、皆は豊島屋のセットの中に戻りました。すると正臣は、言いました。『やっぱり犯人って、この中にいると思うんだよね……』と」
宇梶は、確認した。
「豊島屋のセットの周りにも、スタジオの中にも君たち六人しかいなかったから?」
聞かれた俺は、思い出しながら答えた。
「はい、そうです。あ、そういえば犯人って言っちゃった。江戸時代は下手人なのに……。ま、いっか」
そして琢朗が、続けた。
「そして正臣の推理によると、犯人は俺だと言われました……」
俺は、長い説明をした。
「いや、推理ってほどじゃないけど……。まず豊島屋のセットから三分程、外に出て行った典子さんと京三さんを疑いました。京三さんは厠へ行ったんですがご存じの通り、セットで作られているのは厠の扉だけなんです。
ですから扉を開ければそこはセットの外になるので、剛士さんを殺した可能性があると思いました。
更に豊島屋のセットの入り口から見て右側にいた、琢朗と政夫君も疑いました。
これもご存じのように豊島屋のセットは、入り口から見て右側はカメラで中を撮影するために、壁がありません。
練習の時も二人はそこから中の様子を見て、豊島屋へ入ってくる機会を見ていましたし。
実際、『そうだ……。なら聞くが豊島屋に入ってくる前、お前たちはどこにいた?』って聞いたら琢朗は、『二人とも豊島屋の入り口から見て、右側にいたに決まっているだろう! じゃなきゃ豊島屋に入ってくる機会が分からないだろうが!』と答えていました」
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