第五話

 皆が「え? どういうこと?」と驚いているのをよそに俺は、「どこだ? どこで死んでいる?」と聞いた。俺には右近さんが死んだなんて、信じられなかった。死体をこの目で見なければ、信じられなかった。


 だから宗一が、「こっちです、豊島屋と長屋の間です!」と答えると、俺は豊島屋を飛び出していた。そこへ行くと大男が顔を右へ向け、うつぶせに倒れていた。身の丈六尺ちょっと、いかつい顔、真っ黒な着物、間違いなく右近さんだった。


 そんな馬鹿な……、と俺が右近さんの死体を見つけ呆然ぼうぜんとしている頃には、皆もきていた。


 竹次郎は、呟いた。

「右近……、本当に死んでいるのか?」


 俺はゆっくりとうつぶせに倒れている右近さんに近づき、右手のみゃくて確認した。そして皆の方を振り返り、顔を左右に振った。

『もう駄目だ、死んでる』の合図だった。


 それを見た、おこんは「いやー!」と悲鳴を上げた。しかし皆は冷静に

「どうする?」、「誰かを呼んできた方が、いいんじゃないか?」と言い出した。


 それを聞いて宗一は「あ、あっし、誰かを呼んできます!」と告げて、そこから走り出した。


 俺は、その背中に叫んだ。

「おう、頼むぞ!」


 そして俺は「ここは岡っ引きの出番か?」と言い、手を合わせ目を閉じた後、死体を観察し始めた。


 竹次郎は、聞いてきた。

「おいおい、お前、こんな時に何を……」


 しかし俺は、聞き返した。

「取りあえず宗一が、人を呼びに行ったんだ。それまで俺たちができることは、何だ?」


 竹次郎は、呟いた。

「それが死体の観察か……」


 俺は、その通りとばかりに頷いた。

「ああ、俺は右近さんを尊敬していた。だから死因しいんを知りたいし、もし殺されたんだったら、その犯人を捕まえたい」

 

 すると竹次郎も、頷いた。

「そうか……、まあ、いいだろう。岡っ引きのお前のお手並てな拝見はいけんといこうか」


 そして俺は右近さんの死体を、仰向あおむけにひっくり返した。


 竹次郎が、少し驚いたようだ。

「おいおい、そんなことしていいのかよ? こういう時は死体を動かしたら、まずいんじゃないのか?」

「ああ、そうだけど、ちょっとぐらいならいいだろ」

「全く、俺は知らねえからな!」と言う竹次郎をほっといて、俺は首を観察して言った。

 まず死因はなわで首をめられたことによる窒息死ちっそくしだろう。顔に紫色むらさきいろ死斑しはんが出ているし、首に縄が巻き付いているからと。

 そして縄を首から少しずらして、首に絞められたあとが付いている。それに他に外傷がいしょうも無いみたいだからなと続けた。


 竹次郎は、感心したようだ。

「ほーう、やけに詳しいじゃねえか?」

「呉服屋の主人が首で縄を絞められて、殺された事件があったろう? それで俺は絞殺について少し調べたんだ。死体がどうなるか、とかな」

「なるほど、しかしそうなると右近みたいな大男を、縄で首を絞めて殺したってのか? そんなこと普通の人間に、できるのか?」

「しかし今のところ、そうとしか考えられないな……」


 そして俺は、考えながら続けた。

「それともう一つ、気になることがある」

「何だ?」

「首にあるはずのものが、ねえんだ」


 竹次郎は怪訝けげんな表情で、聞いてきた。

「あるはずのもの?」

「ああ」


 俺は竹次郎に、聞いた。

「俺が縄を持っているとするだろ? それでお前の首を絞めたら、どうなる?」


 竹次郎は首に両手を、持っていった。

「当然、首にかかっている縄を、外そうとするよな」

「うん、そうだ。それで絞殺死体こうさつしたいには、首にかかっている物をほどこうとした時にできる、っかききずができるはずなんだ。ところがこの死体にはその傷がない」


 竹次郎は死体の首をのぞみ、答えた。

「そうだな、確かにそんな傷はねえな」


 俺は「うーん、そうなんだよな……」と言いながら右近の死体を、うつぶせにひっくり返し観察した。

 そして声を上げた。

「あれ? 何だろ、これ?」


 俺が右近の着物の帯の上にある、横に並んだ二つの小さなあとを見ていると竹次郎が、「何だ? どうした?」と聞いてきた。


 俺は竹次郎に、説明した。どこかで見たような気がする、焦げて跡が付いていると。


 竹次郎も、その二つの焦げ跡を覗き込んで答えた。

「確かに、どっかで見たことがあるような焦げ跡だが……、うーん、思い出せねえな……」


 俺は分からないことが多すぎて、思わず頭をきむしった。


 竹次郎はため息をついて、言った。

「岡っ引きのお前がお手上げなら、板崎の親分にでも頼むか?」


 俺は思わず、言い返した。

「はあ、お前も意地の悪いこと言うねえ。板崎の親分なんて、本当はいないって知ってるくせに」

「悪い悪い、お前が死体に熱中しているんでつい……。で、本当にどうする?」


 俺が振り返ると、顔を両手でおおいしゃがんで泣いているおこんを、奈緒が右手で背中をさすりなぐさめていて、銀兵衛は呆然ぼうぜんと立ちつくしていた。


 俺は取りあえず死体の観察も終わったので、皆に豊島屋の中に入ろうと提案した。   

 皆はそれに従い、重い足取りで豊島屋の中に入った。豊島屋の中に入ると皆は、自然と輪の形になり畳に座り込んだ。そして自分なりの考えをまとめた俺は、重い口を開いた。

「やっぱり犯人って、この中にいると思うんだよね……」


 すると皆は「え?」という表情になった。

 そして「まさかそんな……」と口々に言い出した。


 しかし俺は説明した。死体の様子を見る限り、自殺でも事故でもない、他殺だ。そして殺したのは誰かと言ったら、やっぱり俺たちの内の誰かだろう。この豊島屋の周りには俺たち以外、誰もいないはずだからなと言うと皆は、下を向いてだまんだ。


 俺は更に説明を続けた。右近さんの死体は、豊島屋と長屋の間にあった。おそらく殺害現場もそこだろう。となると、そこに行くことができた人物が犯人だと思われると。すると皆もそこまでは納得した様子だったので、先を続けた。


「まず俺が豊島屋に入った時、右近さんはまだ生きていた。そして勘定を支払って豊島屋を出て行った。

 これは俺の他に、おこんさん、奈緒ちゃん、ご隠居が見ていたと思う」と言うとと、三人はそろって頷いた。


「そして豊島屋から出て行った人物だが、まず奈緒ちゃんだ。『ちょっとお酒が少なくなってきたので持ってきます』と言ってな。時間は三分くらいだったと思う。

 次に、ご隠居だ。『ちょっと厠を借りますよ』って言ってな。時間はやっぱり三分くらいだったと思う」と説明した。

 すると奈緒とご隠居は「はい、そうです」、「うむ、確かに」と認めた。


 そして俺は続けた。

「次に、豊島屋に入ってきた人物だ。俺の後に入ってきたのは竹次郎、お前だったな?」

「ああ、そうだ」

「で、その次に入ってきたのが、宗一だったな」

「うん、そうだったな」


 俺は更に説明した。となると俺と、おこんさんを除いた四人の内の誰かが、右近さんを殺したっていうことになる思う。豊島屋の外にいた右近さんを殺せたのはやはり、外に行った又はいた四人だと考えるのが妥当だと。


 すると青ざめた表情で、竹次郎は叫んだ。

「ちょっと待て! 俺と宗一も疑われているのか?」

「そうだ……。なら聞くが豊島屋に入ってくる前、お前たちはどこにいた?」


 竹次郎は、声をあらげた。

「二人とも豊島屋の入り口から見て、右側にいたに決まっているだろう! じゃなきゃ豊島屋に入る機会が分からないだろうが!」

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