第三話

 俺は隣の板を、手で叩いた。

「よう、遅いじゃねえか、色男の竹次郎。今日はもう、こねえのかと思ったぜ。仕事か?

 まあ、座れよ。でも奈緒ちゃんには、ちょっかい出すんじゃねえぞ」


 そこに座ると、竹次郎は答えた。

「ああ、仕事だよ。っていうか奈緒ちゃんに、ちょっかい出してんのはお前だろ?  

 お前、自分の顔が格好かっこういいって思っているみたいだけど、せいぜい中の上だからな!」

「はいはい、そうですか。で、何の仕事だったんだ?」


 竹次郎はため息をついて、答えた。

「ああ、こないだ火事で焼けた長屋ながやがあるだろ? 今そこを修理してんだが来月、祭りだろ? 神輿みこしの手入れもしなきゃならなくてな、忙しいんだよ」

「はあ~、町大工ってのは大変だね~。ま、その分、給料も良いんだろうけど」

「ああ、じゃねえと、やってらんねえよ」と竹次郎が答えると、奈緒が酒を出した。


 そして奈緒は聞いた。

「おこんさん、ちょっとお酒が少なくなったので持ってきたいんですけど、提灯ちょうちんはどこでしたっけ?」


 おこんは、指差ゆびさした。

「ああ、提灯ならそれ、そっちにあるよ」

「あ、はい、ありました。あと、ちょっと寒いので手袋も借りたいんですけど……」

「それなら、後ろの棚にあるよ」

「あ、はい。それじゃあ、持ってきます」


おこんは調理をしながら、答えた。

「はいよ」


 奈緒は店の外に置いてある酒樽さかだるから酒を持ってくるため、酒を入れる大きめの、ひょうたんを二つ持つと、すぐ後ろの勝手口から外へ出て行った。

 しばらくして奈緒が酒を入れた大きめのひょうたんを二つ持って戻ってくると、まぐろの刺身ができていた。


 それを奈緒が俺に出すと、俺は勧めた。

「よ、やっときたか。竹次郎、お前も食えよ。いわしの塩焼きはまだ、こねえだろうからさ」


 竹次郎は「そうか、すまねえな。じゃ、遠慮なくいただくぜ」と刺身を一切れ食べ、酒を飲んだ。


 俺も刺身を一切れ食べて、竹次郎に聞いてみた。

「それじゃあ、だいぶ、もうかってるだろ?」

「まあな……。と言いてえところだが、どうも、そうでもねえな。俺が思うに松平定信まつだいらさだのぶまつりごと(現在の政治)が良くねえと思うんだよな。

 松平が江戸城の老中ろうじゅうになってから景気が悪くなったような気がするんだ」

「ふーん、そうか。俺は政なんて難しくて良く分からねえけど、お前がそう言うならそうなんだろうな」


 すると銀兵衛が、会話に入ってきた。

「まさに、『白河しらかわきよきに魚もみかねて、元のにごりの田沼恋たぬまこいしき』ですな」


 俺は、聞いてみた。

「ご隠居、何だそりゃ?」

「人々が松平の政に嫌気が差して、田沼 意次おきつぐの政をなつかしんだ歌です」

「田沼意次?」

「はい、田沼意次の政は『賄賂わいろ政治』と問題視されたもので、松平定信には人々が期待していました」


 すると今度は竹次郎が、歌った。

「『田や沼や汚れた御世みよをあらためて きよくぞすめる白河しらかわの水』だな」


 俺は今度は、竹次郎に聞いた。

「今度は何だ? 竹次郎?」

「田沼の『賄賂政治』を松平が、清く正しくしてくれると、期待した歌だ」


 俺はなるほどと思い、感想をらした。

「ふーん、つまりあれか。田沼の政が問題だったんで、松平の政に期待したけどうまくいかなくて、田沼を懐かしんでいると。やっぱり政ってのは難しいもんだなあ」


 すると銀兵衛は、おこんに告げた。

「そういうことですなあ。あ、おこんさん、ちょっと厠を借りますよ」

「はいよ」とおこんは答え、銀兵衛は奥に消えた。


   ●


 そして俺が竹次郎に「それでよ~」と話しかけた時に、両手で戸を開き「あれ? 戸が固いな」とつぶやく童顔どうがん小柄こがらな男が入ってきた。薄緑の着物を着ていた。


 男は「どうも、こんばんわ~」と豊島屋に入ってきた。


 すると奈緒は、挨拶した。

「あら、宗一そういちさん、こんばんわ」


 宗一は早速、注文した。

「あ、奈緒ちゃん。酒一合と、ゆでだこね」


 奈緒はすぐに、おこんに伝えた。

「はーい、おこんさん。ゆでだこを、お願いします」


 おこんは「はいよ」と返事をして、「いわしの塩焼き、できたから竹次郎さんに」と皿を奈緒に渡した。

 奈緒は「はい」と返事をして、皿を竹次郎に「はい、いわしの塩焼きです」と渡した。


 竹次郎は早速、一口食べると「うん、美味いねえ~」と感想を漏らした。

 奈緒は「ありがとうございます」と答えた。


 俺は宗一に、告げた。

「よう、宗一、お前もきたか。また隣の長屋に帰る前に寄ったのか。まあ、座れよ」


 宗一が竹次郎の隣に座ると俺は、聞いた。

「で、宗一。景気はどうだ?」


 しかし宗一は、くちごもった。

「へえ、まあまあですね。今日は……、ええと今日は……」


 すると奈緒が聞いた。

「今日は野菜が、売れたんじゃないですか?」


 それを聞いて宗一は、答えた。

「そうそう、今日は野菜が売れました。大根やかぶがですね、はい」

 宗一は長屋と呼ばれる集合住宅に住む、その日稼ひかせぎの町人ちょうにんである。


 竹次郎は、不満がった。

「やれやれ、宗一。しっかりしろよ」


 宗一が「へえ、すみません」と謝ると奈緒が、「はい、宗一さんの分です」と酒を出した。


 宗一が酒を飲み始めると俺は、竹次郎に将棋しょうぎを誘った。

「よし、竹次郎、将棋やろうぜ将棋。今日は負けねえからな」

「ああ、いいぜ」と答えると竹次郎は、畳の上からこまっている将棋盤を持ってきて、空き樽に渡してある板の上に置いた。


 将棋盤をはさんで竹次郎と向かい合って駒を並べると、俺は「俺の先手でいいよな?」と確認した。

すると竹次郎が「ああ、構わないぜ。俺の方が強いからな」と答え、将棋が始まった。そして少しした時、外で大気をふるわす大きな音がした。


 俺は思わず、大きな声を出した。

「な、何だ?!」


 すると竹次郎は、冷静に答えた。

「ああ、こりゃかみなりだな……」


 更に宗一が「あっし、ちょっと見てきましょうか?」と聞いたが、少しして竹次郎が「まあ、大丈夫そうだな……」と答え、その場は落ち着いた。


 だが俺はうたがい、聞いた。

「おいおい竹次郎。もしかして今、雷が落ちて暗くなったすきに、駒を動かさなかっただろうな?」


 すると竹次郎は、大声で言い返した。

「何、言ってんだよ! あんな一瞬で駒なんか動かせねえよ! それにまだ序盤なんだから、駒の配置ぐらい覚えておけよ!」


 俺は、「それもそうだな。悪い……」と答えた。

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