孤独な異世界人

じょー

とある老人の追憶趣味

 彼の壮絶な人生を追憶するのが、私の専らの趣味だ。


 今日も無事に仕事を終えて、愛用する安楽椅子に座る。刻んだ煙草の葉をお気に入りのパイプに詰め込み、火を付ける。


 目を閉じ、ゆっくり吸い込み、紫煙をくゆらせる。


 さて、今日はコンデロ山での彼の激闘を追憶することに決めよう。


 時は1654年。魔王がまだ健在で、配下が世界を覆っていた時代。


 二つ頭のコンデロ山の麓に、敵軍四万に対して、味方はたったの五千。しかもちゃんとした戦闘訓練をしたのは辺境伯の部下と、勇者の彼だけ。後は農夫の次男、三男ばかり。


 魔族は人間のように戦術を使った戦いをしたことがなかった。槍を持った徴兵が壁を作り、辺境伯の弓兵が射る簡単な戦術だ。


 ゴブリンと少しばかりのオークの集団を率いる魔族程度には、今回も通用すると辺境伯は考えていたのだ。


 私は父と一緒に彼の護衛を務めることになった。


 その頃の私は、やる気だけが取り柄で、武器商人から買った魔剣で、何でも斬れると驕る若人でしかなかった。


 「勇者様は、魔族を斬ったことがありますか?」


 今でも思い出す馬鹿な私の質問だ。横で聞いていた父はどんな顔をしていただろう? たぶん呆れた顔をしていたに違いない。


 異世界人である彼はどう答えただろう?


 私は追憶の世界を深く潜る。


 そう。そうだ。彼は――


 「……誰を斬ったか、覚えていない」


 背の高い彼の口からは生気の無い言葉が漏れてきた。黒い眼はどこか遠く、私では想像がつかない場所を見ているような気がした。


 ゴブリンやオークを単身で屠った程度の若造の私では、幾多の戦場を経験した彼に言葉を返すことが出来なかった。


 太陽が頂上に上る頃――戦場が動いた。まだ見えぬ魔族が、前進部隊を進めたのだ。


 ゴブリン数匹にオークが一匹。今までにはない、魔族が人間のように部隊を編成している。


 驚く私たちとは違い、勇者である彼はどこか納得しているような顔をしていた。


 オークがまるで指示するように、隊列が揃う。


 一瞬の静寂の後――

 

 短剣を持ったゴブリンが突撃してくる。


 隊列を組んで驚いたが、辺境伯の兵達は嘲笑する。所詮は魔物だ。人間のまねっこだと。


 辺境伯が鬨の声を上げる。


 正面の兵が槍を構え、ゴブリンの突撃に身構える。


 火に飛び込む虫のように、ゴブリンが槍に向かって流れ込んでくる。


 槍で塞き止めている所を、矢を放つ。見上げるゴブリンの頭蓋骨や胸部に、突き刺さっていく。


 数は多いが、人間が優勢だと誰もが思っていた。


 だが、オークの鼻を鳴らすような声で、ゴブリンの動きが変わったのだ。

 

 死んだ仲間の死体を盾にして弓矢を防いでいる。

 

 矢で崩れた仲間がいれば、それを躊躇なく盾代わりにして向かってくる。


 恐怖心などない魔物にしか出来ない、狂気の戦術だ。


 矢の攻勢は次第に弱くなり、正面の槍で受け止められなくなる。

 

 大した戦闘訓練を受けていない農民のせがれでは、前線を維持できず、瓦解していく。


 私は、死に物狂いで魔剣を振るった。伝説の魔剣ならば、炎の渦や、氷の嵐で敵を木っ端微塵にしている。だが、私が自慢していた魔剣はただの魔力を注げば光る剣だ。そこから火も水も出ない。所詮は、田舎の貴族の騎士が、背伸びして買える、見せかけの魔剣もどきだ。


 もはや、勇者の護衛など出来ず、ただ己に迫るゴブリンの粗末な剣を弾き、あばらが浮いた胸に、剣を刺す一兵卒だ。


 何匹目の醜い緑の化け物を屠ったか忘れたが、私は父を探した。家族愛か、それとも恐怖からか、分からないが首を鳩のように動かす。


 父である子爵は、愛用の斧を振り回し暴れまわっている。


 よかった。生きている。

 

 安堵のため息をついた私が、次に視線を彷徨わせたのは、もちろん勇者である彼だ。


 彼はどこにいる? ゴブリンたちの奇声とオークたちのくぐもった咆哮。


 味方の悲鳴が織り交じった戦場で唯一、そこだけが異様だった。


 土が燃え、空が凍っている。


 私は絶句した。それは、私が生きてきた少ない人生では想像が出来ない。圧倒的な力の差の世界。

 

 重武装したオークは碧い焔に覆われ、溶けていく。小人のゴブリンたちは虫のように浮かび上がり凍り、果物を落としたように砕けていく。


 みるみる敵が消えていく。これが、勇者の力か。


 私に向かって、生き残りのゴブリンが、駆け出してきていた。


 私は初めての戦場で疲れたからか、それとも勇者の異能力に心奪われたのか、気づかなかった。

  

 振り向くと、緑色の顔が目の前に迫っていた。


 私は咄嗟に剣を構えたが、相手の切っ先のほうが速かった。


 顔が熱い! 

 

 そう感じると共にゴブリンと共に地面に倒れる。


 ゴブリンの荒い息が、なぜか私を焦らせる。子供の頃から倒しなれているはずのゴブリン相手に、私は顔を斬られ、混乱して、思うように動けないでいる。


 剣を抱え込んで、相手のなすが儘に身を守る。何て滑稽な姿だ。


 私は死を覚悟した。ゴブリンが最後など思いもしなかった。


 が――彼が、勇者様が、後ろからゴブリンを槍で串刺しにして、助けてくれた。


 乾いた口にゴブリンの何かしらの汁が入り不快で、吐いた。


 彼は無言で、私に肩を貸してくれた。


 勇者が見つめているのに気づく。


 敵の本隊が向かってきている。黒い塊が徐々に大きくなっている。


 絶望のため息が味方に広がっていく。


 私は耐え切れず地面に座り込んでしまった。


 しかし、彼は、彼だけが、絶望も恐怖も諦めもせず、勇敢に立ち向かう準備をしている。


 「まさか、まだ戦うつもりですか!」


 おこがましくも私は、彼に叫ぶように問いかけてしまった。


 彼は振り向かず、敵に向かって、軽い運動をするように駆けていった。


 黒い群れに飲み込まれる。彼は死んだ。


 私は茫然としているだけ。


 気づくと、父が近くで腕組をして立っている。


「父よ! 勇者が死にました!」


 私は悲痛な声で叫ぶ。


「お前にはそう見えるか。……儂には我らの勝ちと見えるわ」


 親父殿は気が狂ったと思ったが、それは違ったようだ。


 少しずつ敵が遁走していく。徒党を組んでいたゴブリンとオークが小競り合いをする。


 どうやら、ゴブリンとオークは意思があって隊列を組んでいたわけではなかった。


 魔族の首を掴んで、悠然と歩いてくる勇者を見て、私は結論を出した。


 これから先、私は数々の勇者の軌跡を見ていくことになるが、今日はこの辺にしよう。すこし眠くなってきたからだ。


 私自身は、幸い右頬に深い傷が残っただけだった。これが、私の一生涯の勲章になった。

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孤独な異世界人 じょー @joe_wick

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