人間が怖い話

浅骨顕

「怖い話ってそういうベクトルじゃないんだよ」

そういうのじゃない




 あたし、小さいころ誘拐されたことあるんです。


 あれ何歳だったかな。多分小学校2年……あー、1年生の時か。苗字がまだ前のお父さんのやつだったから。

 そうなんすよー、そのときあたし「佐藤」だったんですよ。今の苗字じゃなかったんです。


 え?いや、身代金とかじゃないです。

 うちはど田舎だから土地があるだけですよ。普通に一般家庭。お父さんも確かに社長だったけど、中小企業の規模の建築業だし。払える金ないですね。ていうか多分、親から金もらうのが目的じゃなかったと思います。


 うちはそのとき両親共働きで、家に誰もいなかったんですよ。だから鍵っ子で、学校から帰ったらいつもひとりで遊んでました。

 そしたらその日、いつもみたいに家に帰ったら、玄関に女の人がいたんですよ。

 なんか、地味な人でした。多分地毛の真っ黒で長い髪をひとつに引っ詰めて、黒縁のメガネかけてて。今で言う、会社の事務員さんみたいな格好してましたね。スーツのスカートに黒色のベストとカッターシャツ。

 足とか手とか、すらっとしてて綺麗な人だったけど、眼鏡越しにあった目にちょっと隈があったんです。髪もあちこち枝毛が跳ねてて、それのせいで、お母さんよりちょっと老けてるように見えたなあ。唇の色っていうか、顔色もあんまりよくなかったし。顔色がよかったら20代前半に見えなくもなかったです。おばさんかお姉さんか微妙なラインの人でした。


 その人、紐で綴じるタイプの紙封筒を抱えてぼーっと立ってたんですけど、あたしの方見てはっとして慌てて寄ってきて、「あの、佐藤さんの……」って言ったんです。

 あたし馬鹿だから、「佐藤」って単語が出たからあたしのことだーって思って、よく考えずにはいって返事しました。いやほんとに馬鹿ですよね。まあその頃ってほら、今よりプライバシーとか個人情報とかぜんぜん甘かったんで。小学生だし、危機管理とかなんもなかったんですよね。

 そしたらその女の人、ほっとした顔で「お父さんから言われて、お迎えに来ました。一緒に行きましょうね」って言って、あたしに手伸ばしてきたんです。

 あたしまじで馬鹿なんで、普通に手握って、とことこついてっちゃいました。女の人の手、びっくりするほど真っ白で冷たかったです。柔らかい石なんじゃないかって思うくらい。顔の細かい表情とかつくりとかはあんまり覚えてないんですけど、それだけはすっごいはっきり覚えてますね。

 あ、あと、爪がすごく深爪でした。白いとこが全然ないくらい爪を切ってて、ネイルとかもしてなかったです。まあるくて、ちいさな爪でした。


 そのままふらふら手を引かれて、駐車場に止められてた白いセダンに乗せられました。

 「お父さんの職場でバーベキューをするから、いまから向かいましょう」って言われたんです。車もたしかにお父さんの職場まで行ってました。

 でもしばらくして、道路端にふらっと車止めて、携帯を眺めたあと「すこし遅くなるみたいだから、先におやつを食べちゃいましょう」って言って、反対方向の道に逸れたんです。その足で隣町の喫茶店に連れて行ってもらって、あたしチョコレートパフェ食べさせてもらえました。まじで顔くらいあるくそでっかいやつ。

 女の人はコーヒーだけ頼んで、あたしがガツガツパフェ食べてるのを微笑みながら見てました。あたしその頃、食べすぎで吐いちゃうことがたまにあって、パフェとか食べさせてもらえなかったんですよ。チョコも鼻血が出るからって、お母さんが全部禁止してたんです。だからチョコレートのパフェとか家じゃ禁句で、その日初めて食べられてすごく嬉しくて、それを女の人に伝えたら「そう、そう」ってにこにこ笑って頷いてくれました。

 かわいそうねえって。お母さん厳しい人ねえ、って。


「実はね、私も佐藤なの」


 パフェを食べ終わった時、女の人が内緒話するみたいにあたしに言いました。あたしちょっとびっくりして、「おそろいだね」って言ったら「そうね、お揃いね。私たち一緒ね」って頭を撫でてくれました。その顔がすごく無邪気で、大人の女の人でそんな笑い方する人初めて見たから驚きました。

 きっとあの人、悪い人じゃなかったんだろうなあ。ほんとに。あたし撫でてくれる手もすごく優しかったから。なんか、かわいいーって思ってくれてる手って言ったらわかるかなあ。あ、分かります?


 でも、そこからがまじで長くて。

 喫茶店を出たら「まだお仕事が終わらないから」って水族館に連れて行かれて、それが終わったら「まだ長くなりそう」って近くの小さな遊園地に連れて行かれて、そこが閉館の時間になるまで遊びました。

 そのあと遊園地の出口で、女の人がすごく困った顔をして、「残業になりそう、バーベキューは明日の午前中になっちゃった」って言ったんです。まあ残念だったんですけど、明日やるならいっかーって思って。

 あたしそこで、家に帰るんだと思ってたんです。てか普通帰りません?でもそれを見透かしたみたいに、女の人が「お母さんの会社も残業になっちゃったみたい。お父さんがお願いしてるから、今夜は私と一緒に泊まりましょうか」って言ってきたんです。

 今だったら赤の他人と外泊とか普通に怖すぎるんですけど、そのときには結構女の人への警戒心解けてて、完全に信用しちゃってたんで、普通にホテルで一泊しました。

 いやまじで危機感ないですよ。人攫いなら一発でアウトですからね。いや結果的に人攫いだったんですけどね。

 でも楽しかったなあ。大きなベッドの上でキャーキャー言いながら跳ねて、ルームサービスのケーキとか2人でいっぱい頼んで、普通の親子みたいに仲良く眠りました。

 本当に、本当の、親子みたいに。



 ─────次の朝、めっちゃ早くに起こされました。半分寝ぼけながらホテルの無料の朝ごはん食べて、セダンに乗せられて、ああ帰るんだなあって思ってて。

 そしたら、車が全然違う道に行くんです。いつものお父さんの会社への道じゃなくて、ていうかあたしの住んでる町からもぐんぐん遠ざかってる気がして。

 もしかして変なところ連れてかれてる?って、その時気がついて。いや遅すぎるって話なんですけど。とにかくようやく気がついた時、あたしまじでビビりました。だから運転席の女の人にすがって「道違うよ」って言ったんです。

 こっちじゃないよ、家はあっちだよって。


 女の人、能面みたいな顔してました。

 昨日はあんなにいっぱい笑ってくれてたのに、まじで同じ人とは思えないくらい無表情で。唇ぎゅうって結んで、真っ青な顔で、一瞬あたしのこと見て。すぐに前に視線を戻して「違わないよ。こっちが私のお家なの」って言いました。ハンドルを持つ手がぶるぶる震えてて、すごく顔色が悪かったなあ。


 あたし、前の日の女の人の雰囲気とぜんぜん違うからすごく怖くなって、本気でちょっと泣きました。まじで怖かった。ぎゃんぎゃん泣きながらおうちに返して、おうちに返してって、そればっかり繰り返して。

 何分くらい経ったかなあ。たぶん5分くらいだと思うけど、泣いてたからあんまり覚えてないや。不意に車が横道に逸れたんですよ。

 しばらく走ってるとちょっと見慣れた道が見えて、ああおうちに帰ってるんだって気がついて。しゃくりあげながらぼうっと窓の外の景色見てました。運転席は怖くて見られなかったから。女の人がなに考えてるか分かんなくて、怖かったんです。


 車は、無事に家の前に到着しました。

 あたしすごくほっとして、すぐに降りようとしたんです。でもほら、一応、たくさん遊んでもらったわけじゃないですか。最後はちょっと怖かったけど、疲れたお母さんとかもイライラして変な八つ当たりとかするし、そういうのかもしれないし。だからちゃんとお礼を言おうと思って、運転席の方を振り向きました。


 女の人がこっちを見て、泣いてました。

 顔をぎゅって歪めて、すごく苦しそうだった。歯をむき出しにして、唇震わせて、ぼろぼろ涙をこぼしていました。

 大人の女の人が泣いてるところなんて、そのとき初めて見ました。びっくりして呆然としてたら、女の人がふっと力を抜いて、笑ったんです。「かなちゃん」って笑いながら、あたしに深爪の指をのばして、頭に触って、言いました。


「かなちゃん、お願い、一緒に帰ろう」


 あたし、足に置いてたランドセルを引っ掴んで、ドアをバンって開けて逃げ出しました。

 後ろは振り向きませんでした。一回だけ「かなちゃん!」って大きい声が聞こえたけど、怖くて振り向けなかった。追ってきたらどうしようって心臓がバクバクして、敷地を走って家に入って、すぐ玄関の鍵を閉めました。

 女の人、追っては来ませんでした。




 家にはお父さんとお母さんがいました。

 あとから聞いたんですけど……まあ当然っちゃ当然なんですけど、お父さんの会社でバーベキューなんてなかったし、お母さんの残業もなかったし、そもそもあたしのお迎えなんてお願いしてなかったらしいんです。

 つまり誘拐です。てか、どっからどう見ても誘拐しかないですよね。でも、身代金とか、そういう電話は一切なかったんです。お父さんはあたしが帰ってなかった昨日の時点で警察に捜索願を出してて、2人で一晩中、私のいそうなところを思いつく限り駆けずり回ってたんだそうです。

 

 まあ無事でよかったと。あとで話を聞こうってことで、お父さんは警察署とか、捜索を手伝ってくれた人のとこにあたしが見つかったことを伝えに、車で外に行きました。

 家に帰ってからお母さんは泣きっぱなしでした。ずっとあたしを抱きしめてて、ランドセルを下ろす隙もなかったです。でもあたしが親でもやっぱそうすると思います。一人娘が誘拐されたら夜も眠れないだろうし、無傷で帰ってきたならほっとしますしね。

 ほんとに1時間くらい、ずーっとぎゅっと抱きしめられてて、ようやく落ち着いたお母さんが、やっとあたしから身体を離したんです。

 涙を拭ってにこにこ笑うお母さんの目が、ふっとあたしの胸元に行って、そこで固まりました。ひ、って、小さく悲鳴をあげて、虫を見たみたいにあたしから後退りして。びっくりして視線の先を見て、見ちゃったんです。


 ほら。

 あたしの名前、奈緒じゃないですか。

 胸につけてた小学校の名札、佐藤奈緒って刺繍された名札が、フェルトペンで上から書き換えられてたんです。真っ黒なペンで丁寧に丁寧に、まあるい字で、「佐藤加奈」って。


 2人して、言葉失いました。

 そしたらお母さんがはっとして、あたしのランドセルを下させて、中身をその場で全部ひっくり返したんです。

 前の日の授業で使った国語の教科書とか、保護者に渡すプリントとか、鉛筆とか消しゴムとか色鉛筆とか、みんなバラバラ落ちて床にぶちまけられました。

 小学校で使うものって、鉛筆も一本単位でぜんぶ名前が書かされるじゃないですか。


 ぜんぶ書き換えられてたんです。

 黒いフェルトのペンで、丁寧に丁寧に丁寧に。ただ上からなぞるだけだから下の字は見えてたんですけど、そんなのどうでも良かったんでしょうね。全部、ランドセルに入れてる緊急連絡先の紙も書き換えられてましたよ。

 佐藤加奈って。




 



 あの女の人、西川さんって人だったらしいです。お父さんの会社の事務の人でした。

 ずっと独身だったらしいんですけど、あたしが誘拐される2年くらい前だっけ。

 流産されたらしくて。

 っていうか、流産なのかな。堕ろしたとかいう噂もあるっぽいんですよね。相手の男の人に脅されたって、しくしく泣いてたって聞きました。いや、まじて噂ですよ。ほら、田舎だから情報流れるの早くって。


 えー、相手とかまでは知らないです。あたしも子どもだったし、知ってても大人は教えてくれないでしょ。まあ、その人はそのあとすぐに身元が割れて実家に帰っちゃったから、その後全然会ってないんです。実家に帰ったらしいですよ。や、起訴とかはしなかったっぽいです。なんででしょうね。

 うちになにか、後ろめたいことでもあったんですかね?


 あっあと、それと関係あるかは分かんないんですけど。

 その半年くらい後、うち離婚しました。


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人間が怖い話 浅骨顕 @Asahone_akira

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