第6話 俺はこの日を生涯忘れない

「うああああ!!」


 ブラッドウルフの牙が俺の右肩に食いこんで、熱いと思った次の瞬間には激痛に変わっていく。でも、こんな経験、初めてじゃないと思った。


 そうだよ、妖精王たちとの契約のときに比べたら、なんてことないじゃん。ウェンティーに切り刻まれたのに比べれば、たかだか魔物に噛みつかれたくらい、たいしたことない。


 過去に味わった数々の苦難の記憶がよみがえる。


「はっ、こんなんで俺が死ぬかよ。どれだけ死にかけたと思ってんだ!!」


 カッと眼を見開き、左手でそばに落ちていた少女のレイピアを拾う。そして思いっきり横からブラッドウルフの首に突き刺した。

 噛みついてる大きな口から、ゴボッとブラッドウルフの血が流れ出てくる。

 やがて噛みついていた牙が抜け落ち、地面に崩れ落ちた。


「はっ……はっ……やった……のか?」


 ブラッドウルフの瞳から光が消えたことを確認した途端、気が抜けてそのまま意識を手放した。




     ***




 ものすごくゆっくり休んだ気がした。いつものゴツゴツした寝袋じゃない。フワフワした物に包まれている。

 そっと眼を開けると天井があった。そうだ、天井だ。ということは、ここは俺のテントじゃない。



「天井がある……どこだ、ここ?」


『レオ! 目が覚めたか! よかった!!』


 目の前にスカイブルーの髪と瞳の美青年が飛び込んできた。アクアだ。ということは、きっと俺を回復してくれたんだな。


「アクア……回復、ありがと……」


『何を言ってる! 当然だ……本当に目が覚めてよかった……』


 いつもクールなアクアが珍しく感情をあらわにしている。


『レオの目が覚めたー!』

『よかった……どこか痛いところはない?』

『やっと目覚めたか!!』

『レオ! ごめん、ボクが遠くに離れてしまったからこんなことに……』

『レオ、喉が乾いてない? 水を用意したわ』

『砕いた氷もあるぞ』


 視線をずらすと、イグニス、ウェンティー、トニトルス、ルキス、クリタス、おまけにラキエスまでいた。精霊王が勢ぞろいしている。


「いやぁ、久しぶりによく寝たよ。この寝具すっごい寝心地よかったんだな。あー、スッキリ」


『『『………………』』』


「ていうか、みんな勢ぞろいしてどうした?」


 いつもこんなに全員が出てくることがないから、不思議で仕方なかった。なのにポカーンとしたアクアの後ろで、他の精霊王たちがヒソヒソしてる。


『え、もしかして寝心地よくて寝てただけ?』

『まさか、だってあんなに大怪我してたじゃない』

『信じがたいが……レオだからな』

『嘘、ボクあんなに反省していたのに……』

『まぁ、レオが元気ならいいけれど』

『……レオだからな、簡単に死ぬわけない』


 ……全部聞こえてるぞ、精霊王たちよ。



 そこでコンコンと扉をたたく音がした。


「どうぞ」


 と返事をすると、ゆっくりと扉が開かれて魔物に襲われていた少女が入ってきた。


 あのときは必死で気付かなかったけど、腰まであるストレートの銀髪はサラサラで、翡翠色の瞳は吸い込まれそうなほど綺麗だ。ゆったりした白いワンピースに身を包んでいるけど、肌の白さも相まって輝いてるように見えた。

 そして、銀髪から尖った耳が顔を出している。


 ……尖った耳? 尖った耳だよな。見間違いじゃない。

 俺の頭の中に、今まで読んできた本の内容が目まぐるしく展開されていく。銀髪に緑の瞳、そして尖った耳。

 この身体的特徴は————エルフ。至高の存在、エルフだ。


 それなら、ここはエルフの国なのか……!?



「お目覚めになったのですね。よかった……もう三日も意識が戻らず案じていたのです」


「え、三日? え、三日も!?」


 本でしか読んだことのない至高の存在エルフが目の前にいる現実と、三日間も眠りこけてた現実とで、俺の頭は完全にフリーズした。




     ***




 エルフの少女は俺がフリーズしてる間に、胃に優しいスープを持ってきてくれた。至れり尽くせりで、むしろ落ち着かない。だけど、腹が減ってるのも事実でありがたく頂いた。


 精霊王たちも俺の無事を確認して安心したのか、スープを食べ終わる頃には姿を消していた。


 はー、落ち着いた。さて、落ち着いたところで考えよう。三日間寝込んでいたのなら、精霊王たちの反応も納得だ。心配を掛けてしまった。

 でも、ここで出てこれるってことは、召喚魔法が使えなかったのは解消されたんだな。それなら一安心だ。召喚魔法があればどこでも生きていける。



 そして次の問題。至高の存在と言われるエルフだ。

 エルフがまさか実在するとは……目の前にいるとドキドキして惚けるばかりだ。


 俺たち人間にとって、エルフとは別次元の存在だ。


 はるか昔、エルフの種族は自然を愛し守っていたことから、精霊大王ティターニアの加護を受けた。それによってエルフは精霊魔法という特殊な魔法を使えるようになった。


 強力な精霊魔法で魔物をけちらし、強く気高く美しい存在。普通の人間がおいそれと話せる存在ではなかった。国王ですらこうべを垂れる存在、それがエルフだった。


 そこでハッと気付いて、慌てて頭を下げた。こんな至高の存在に対して、態度がデカすぎる。


「ご無礼お許しください。このような手厚い介抱をしていただき、誠に痛み入ります」


「いえ、感謝するのはこちらの方です。貴方は私の命を救ってくれました。どうかそんなに畏まらないでください。いつも通りでよいのです」


「……ありがとうございます」


「ですから、お礼を申し上げるのはこちらです。助けていただき本当にありがとうございました」


 そう言って至高の存在であるエルフは、ただの人間である俺に頭を下げた。衝撃的だった。今まで見て来た偉い大人たちが、こんな風に頭を下げてるのを見たことがない。

 本当に気高き人というのは、そうではないのだと初めて理解した。


「いえ、そんな礼なんて不要です。ただ、あまり畏まったのは得意ではないので、いつも通りにしていいのなら、ありがたいです」


「ふふ、もちろんです。それなら私も、いつも通りの方がよろしいかしら?」


「できれば、それでお願いします」


 花が咲くように微笑わらうエルフの少女に心臓がドキンと波打つ。

 あれだな、妖精王といいエルフといい、人外レベルの美形は心臓に悪いな。だいぶ慣れたつもりだったけど、まだまだ修業が必要みたいだ。


「それより、貴方、精霊が召喚できるのね! しかも絆も深く結んでいて、私とても驚いたのよ」


「あ……そうですね」


 そういえば、さっきこの少女が入ってきたときに、みんな集まってたんだよな。精霊王たちを……見られたよな。

 フワフワした気持ちは一気に霧散して、重苦しい感情がこみあげてきた。


 いや……ちょっと待て。いま精霊を召喚って言ったか?


「しかも、精霊王をあんなに召喚できるなんてすごいわ! とても頑張ったのね」


「…………え?」


 ……なに? なんて? ……頑張ったって言われた?


「精霊王さまと召喚契約するのは大変だったでしょう? それもあんなに心を通わすなんて、並大抵ではないわ。貴方は尊敬に値する努力家ね」




 ニコニコしながら、さも当然のようにエルフの少女は話していた。


 俺の召喚魔法を理解してくれた。

 それだけじゃなくて、俺が努力してきたことも理解してくれたのか?




 まさか、まさか……本当に?




「あの、でも俺は他の魔法が使えないから……」


「そんなの当り前よ。召喚魔法の適性は特殊だから、一般的な魔法は使えないわ。私たちエルフもそうよ。使えるのは精霊魔法だけだもの。まさか知らなかったの?」




 俺を理解してくれる人がここにいた。


 俺を呪われた存在カース・レイドと呼ぶこともなく、召喚魔法を使っても悪霊と呼ばず。


 蔑むどころか俺を努力家だと褒めてくれた。

 血反吐を吐きながら手にした、俺の召喚魔法を認めてくれたんだ。




 どれだけ勉強しても、どれだけ努力しても、誰も見向きもしなかった俺を。

 俺をちゃんと見てくれた。




 魔法適性なしと言われて始まった地獄のような日々から、初めて抜け出せたと思った。



 あふれてきた感情は、歓喜。


 ただ自分の存在をありのまま認めてくれた、それが嬉しくて嬉しくてたまらなかった。


 生きていていいんだと、存在していいんだと言われた気がした。




「えっ!? あの、ごめんなさい、私何か変なこと言ったかしら?」


 慌てた様子で綺麗なハンカチを差し出してくれた。不思議に思いつつ受け取ると、その手にしずくが落ちる。そこで自分が泣いていることに気がついた。


「あ……すみません。あの、俺、たぶん初めて認められて嬉しくて……この歳で泣くなんて恥ずかしいですね」


「いいのよ、気にしないで。恥ずかしいことなんて何もないわ。泣きたいときは思いっきり泣けばいいのよ」


「はは、ありがとうございます」


 少女から借りたハンカチで、急いで涙にぬれたあとを拭いていく。

 それでも、込みあげてくる涙は止まらなかった。



 俺はこの日を生涯忘れない。いや、忘れられない。




 このエルフの少女が、俺の中で特別になった瞬間だった。


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