Chapter5:神速

 赤道のおよそ36000キロ上空、静止軌道上に地球を一周するように巨大なリング状の建造物がある。

 宇宙港として造られたそれは各居住区に中規模都市と同等の機能が与えられ、地上との連絡は軌道エレベーターで行われる。

 人類史上最大の建造物、オービタルリングである。

 その外壁に貼り付くようにして1機のウォーレッグが、地球から上がってくるはずの獲物を待ち構えていた。

 頭部は完全に真後ろに向けられ、ランプセンサーで後方全域を走査している。

 間もなく立体レーダーが下から猛スピードでやって来る物体を捉え、精密カメラもその姿をモニターに映し出した。

 シルエット照合。ターゲットのウォーレッグで間違いない。

「会えて嬉しいよ。"エキドナの子"」

 パイロット――バルバロイは唇を軽く舌で濡らした。

 コードネーム:バルバロイ/公称年齢:45歳/本業:銃器専門店の経営者。

 統合大戦をウォーレッグ搭乗員として戦い、ウォーレッグで他者の命を奪うという行為に高揚を見出した彼は、大戦終結と同時に非合法とはいえ、個人的にウォーレッグを所持し、戦闘に使用できる殺し屋となることを選んだ。

 だが最近は腕に衰えが見られ、ギルドマスターから引退を提案されていた。

 そこに降って湧いたのが"エキドナの子"の殺害依頼だった。

 最後に一つ、ウォーレッグ乗りと真剣勝負をするのも悪くない。

 彼はこの戦いを殺し屋稼業の集大成としようと考え、依頼を引き受けたのだった。

 "エキドナの子"抹殺の依頼を引き受けた殺し屋は、自分の他にあと2人いると聞いているが、ここを対決の場に選んだ殺し屋は自分以外に居ないようだった。

 好都合だ、とバルバロイは思う。

 依頼主は報酬を全額前払いしたが、ギルドからは成功させた者には褒賞金を出すとの達しが出ている。

 皆で一斉に掛かれば落とせる確率は上がるだろうが、その前に手柄を争って足の引っ張り合いになるのは目に見えている。同業者に後ろから撃たれるなどという、間抜けな終わり方だけはご免だった。

「お前の首は、このバルバロイとスカンダがいただく!」

 バルバロイは白いウォーレッグに向かって言うと、スカンダのマニピュレータを外壁から離した。


 高速巡航形態で飛ぶハーキュリーズのレーダーが、こちらに接近する反応を捉えた。

 周回軌道に乗り、月へ向けて再加速を行うポイントへと向かっている途上のことである。

 数は1。明らかに人為的な制御を受けている。速い。

 少なくとも速力だけは、ハーキュリーズの巡航速度と互角だ。そして戦闘速度に入るにしても、空戦用タスクなどと比べれば一瞬だが加速にはラグがある。

 下手な逃げ方をすれば追いつかれてしまうだろう。

 ハイドラは迷わず、無理に逃げるより足を止めて応戦する方を選んだ。

 ハーキュリーズをウォーレッグ形態に戻し、反応の方へ向ける。

 デブリ対策の運動遮断コーティングで光沢を帯びるオービタルリングの方から、ワイズマン・リアクター特有の青白い噴射炎を放ちながら、何かが迫って来るのがスクリーンモニターに映った。

 見る間に大きくなっていき、それはウォーレッグの形を取った。

 右手のマニピュレータからプラズマバトンらしき赤い光が伸びている。

 勢いに任せてそのままコックピットを貫く気だろう。

 左腕のシールドを構え、待つ。

 一呼吸も置かない間に前方の視界を異形のウォーレッグが塞いだ。

 そしてプラズマバトンの切っ先が、ハーキュリーズの胸部に辿り着く寸前――シールドを左に向かって薙ぐように振った。

 シールドからの衝撃がコックピットを揺らし、警報が鳴り響く。

 コンソールモニターに稼働状況を呼び出すと、シールドに小規模の損傷が発生したことを告げていた。

 十分許容範囲だ。運動遮断コーティングはシールドにも使われているが、今回はそれよりもむしろ、シールドに仕込まれたコイルによる対光学兵器用の反磁力パルスが効果を発揮したようだ。

 これは対象に向けて放たれた光学兵器に対し、シールドや装甲に瞬間的に同じ極性の電磁力を纏わせることで、弾丸として使われる荷電粒子をクーロンりょくで反発させ、無力化してしまう防御機構だ。当然と言えば当然だが、相手の光学兵器の出力が高ければ高い程、完全無力化に必要な電力量は多くなる。

 ハーキュリーズのワイズマン・リアクターの出力はタスクを遥かに上回り、中規模都市程度なら余裕で賄える電力を生み出せる。

 この電力量に物を言わせた反磁力パルスにかかれば、先ほどのプラズマバトンなど蚊が刺したようなものだ。

 "戦闘・耐熱に問題なし"という内容の詳細情報に0.5秒ほど目を通し、目の前のウォーレッグに視線を戻す。

 一応手足らしきものはあるが、タスクとは似ても似つかない異様な姿をしている。まず間違いなく、個人の趣味嗜好や実用目的に併せて製造ないし改造された機体、所謂いわゆるカスタムウォーレッグだ。

 左胸部に1行目に"LPC2-BraM907"/2行目に"T81-43"と書かれたプレートが貼られている。全てのカスタムウォーレッグが取付を義務付けられているナンバープレートだが、ハーキュリーズのスクリーンモニターには"データベースに該当するナンバー無し"というメッセージタグが出ている。おそらく偽造のナンバーだろう。

 色はサンドイエロー。頭部は頭頂点が前方を向いたピラミッド型で、埋め込まれた球状のランプセンサーがせわしなく動き回っている。

 特徴的なのが腕部があるはずの部分で、大型スラスターで三角形になっている肩から下は、人間と同じくアーム手首マニピュレータになっているはずが、そのままスラスターとして下に向かって広がり、さながらチョウの羽のようになっている。

 代わりに胸部から三指型のマニピュレータが付いた細長い腕が伸びている。おそらくワークレッグから流用した品だろう。プラズマバトンは右側のマニピュレータの付け根部分から伸びている。

 更に脚部も地上での運用を想定していないのか、カタカナの"ヒ"のような形をしたスラスターとなっている。

 そして背中にもプロペラントタンクを兼ねたハーモニカ型のスラスター。

 このウォーレッグは、大量のスラスターと大容量の推進剤に物を言わせた速力が武器の、高機動型ウォーレッグといったところだろう。

『"エキドナの子供達"……その生き残りがまさか、こんな年端としはも行かぬ少年とはな』

 不意にパイロットが通信を繋いできた。言葉からして間違いなく強制介入でこちら側の様子も見られている。

 頼んでもいないのにテレビ通信を使い、スクリーンモニターの通信ウィンドウに顔を見せてくれる。

 映っているのは、彫りの深い顔立ちの中年男だった。

 黒い髪は何か所も白髪が混じり、浅黒く日焼けした顔は右頬に大きな切り傷が刻まれている。

 自分と同じ目をしている。

 ブラウンの瞳の奥にある、墨で塗り潰したようなどす黒い闇は、間違いなく死線を潜り抜けてきた者の目だ。

『だが、何者だろうと、わたしと"スカンダ"の最後の花道となってもらうぞ!』

 そう言った一瞬、男の目の奥の闇に光が宿った。

 敵ウォーレッグの名は"スカンダ"というらしい。

 どうやら相手は、今回の戦いに特別な意味を込めているようだった。

 当然ハイドラには、この男のくだらないモニュメントになるという選択肢など、全く無かった。

 答える代わりにハーキュリーズは右腿からプラズマバトンを引き抜き、斬り付けた。

 コックピットがあるはずの胸部を袈裟懸けに切り裂くはずが、スカンダはすぐさま離脱し、左脚を切り落としただけで終わる。

 敵はそのままハーキュリーズの頭上へ急上昇し、一直線に離脱していく。

 ハイドラも機体を再び変形させ、後を追う。

 ウィングにマウントされたブラスターライフルを2連射。

 スカンダは左右にスライドして躱す。やはりそうだ。

 大型スラスターの一つを失ったにもかかわらず、速力はさほど落ちていないようだが、運動性の低下までは隠しきれていない。

 特に右方向への運動の際の半径がかなり広がっている。付け入る隙はそこにあるだろう。

 ハイドラは操縦桿を同時に手前に引き、両方のペダルを踏み込んだ。

 瞬時に慣性でパイロットシートに押し付けられるほどの加速が掛かる。

 高度を上げながら相手との距離を詰める。

 点になりかけたウォーレッグが再び像を結び、そのままハーキュリーズはスカンダを抜き去っていった。


「速い! それに変形できるのか!」

 白いウォーレッグに呆気なく追い抜かれたのを見て、バルバロイは思わず口走った。

 感嘆半分、妬み半分から出た言葉だった。

 "エキドナの子"は見た目10代の少年といったところだが、彼は自機の性能を完璧に把握している。

 状況判断も素晴らしい。

 逃げきれないと見るや即座に応戦を選択し、懐に入れば迷わず反撃を仕掛けてきた。結果、スカンダは致命傷こそ避け、速力の低下も各部スラスターの出力を調整することで最小限に留めたが、運動に支障をきたす損傷を受けた。

 流石は伝説の強化人間だ。

「だが、こうでなくては!」

 バルバロイは久々に自分の中に流れる殺人者の血が滾るのを感じた。ここ最近の依頼では感じていなかった高揚感だ。

 熱情のままにペダルを入れ、スカンダを加速させる。操縦桿の親指部分にあるダイヤルで、左腕に仕込まれた13ミリベルトガンを呼び出す。この機体唯一の飛び道具だ。

 すぐに左手首が開いて銃身が伸びてきた。脇腹に繋がっている弾倉ベルトもカメラモニターの視界に入ってくる。射撃準備完了だ。

 操縦桿でアームを動かし、カメラモニターに表示された銃口の向きを示すカーソルが白いウォーレッグと重なると同時に、バルバロイはトリガーを引いた。

 ベルトガンからロックオンされた目標へ向け、火箭が伸びた。

 発射は昔ながらの火薬式だが、威力は十分ある。

 どれ程の装甲厚があるのか見た目からは分からないが、急所に当たればどうであれ結果は同じだ。

 爆ぜるがいい。


 発射された機銃弾が機体を叩いても、ハイドラは表情一つ変えなかった。

 全て運動遮断コーティングが弾いてくれている。

 だが、懸念事項がない訳ではない。

 別邸を襲撃した時とは違い、後方から銃撃を受けている以上、スラスターノズルに機銃弾が飛び込んでくる恐れは付きまとっている。

 跳弾が起きて、コーティングが施されていないワイズマン・リアクターに命中すれば、いかにハーキュリーズと言えども炉心暴走からの爆発を招く。

 それゆえにハイドラの視線は常に、スクリーンモニターに呼び出した高精度立体レーダーの球形の表示に注がれていた。

 急所に当たる弾道を辿っている銃弾を赤で強調表示させ、近いものから順に最小限の動きで躱していく。

 下手を打てば避けきれない位置の銃弾が急所に当たる以上、躱す方向は自ずと決まってくる。ハイドラの腕の見せ所だ。

 後はこちらがただ闇雲に逃げ回っている訳ではないことを、相手に悟らせないだけだ。

 ハイドラは"それ"がレーダーの走査圏内に現れるのを待った。


 機会を窺っているのは、バルバロイも同じだった

「逃げ回ってばかりでは、わたしは落とせんぞ!」

 こちらから襲い掛れば反撃を受け、離脱すれば追われ、そのまま追い抜かれるという手際の良さから、見掛けによらず腕の立つパイロットだと思っていたが、どうやら見当違いのようだった。

 追われる側になってから、スカンダの攻撃を避け続けるばかりでまともに撃ち返してこない。

「これでは単なる臆病者だ」

 愚痴るように言ったのが通じたのか、敵ウォーレッグは機体を半回転させながら変形を解いた。速度が急激に落ちる。

 スカンダから見て背面飛行のような姿勢で後退しながら、まずシールドが装備された左腕から機銃を放った。

 バルバロイはこれを予期していた。

 まず機体右側に向かって。余裕を持って躱す。

 次は左側。損傷による旋回半径の拡大は見越していたが、左肩スラスターを数発がかすめた。

 それに気を取られた隙を逃さず、白いウォーレッグがライフルを放つ。

「!」

 機体を強引に捻るようにロールをかけながら急加速する。

 直後野太いビームが一瞬前までスカンダがいた場所を貫き、すんでのところで回避できたことを知る。

 間違いなく戦艦の主砲並みの威力がある。これはもう勝負を決めてしまうしかない。

 武装を左腕のベルトガンから右腕のプラズマバトンに切り替える。

 すぐに右マニピュレータが放射状に開き、中央部からエネルギー誘導管が伸びる。

 バルバロイはプラズマバトンを真紅に輝かせながら、スカンダを突進させた。その切っ先は敵ウォーレッグのコックピットに真っ直ぐ向けられている。

 その胸を刺し貫く瞬間、ウォーレッグの姿が右に向かって消えた。

 代わりに少なくともスカンダの身長程はある巨大なパネルの破片がすぐ目の前に現れた。スペースデブリだ。

 万全の状態なら回避できる距離だったが、相手を追ってつい右旋回を掛けたのがまずかった。

 ほぼ最高速度でスカンダはデブリに衝突した。機体への衝撃がコックピットのバルバロイを襲う。

 警告灯がコックピットを赤く照らし、コンソールモニターやカメラモニターの表示を読めない程の勢いで、機体が縦回転しだす。どうやらいくつかのスラスターが制御不能になったらしい。

「うっ……」

 自らの意識が飛ぶ直前、バルバロイが見たのは、ライフルを両手でしっかりと構える白いウォーレッグの姿だった。


 ブラスターライフルから放たれたビームが、回転する敵の胸部ブロックを正確に貫き、そのまま機体を爆発四散させた。

 目論見通り、逃走を装ってスペースデブリに誘い込み、衝突で操縦不能に陥らせ、その隙に悠々と止めを刺した。

 その様子をスクリーンモニター越しに見ていたハイドラの目には、何の感慨も浮かばなかった。

 自分の目的の邪魔をする者を排除したまでのことだ。まだすべきことは残っている。

 視線をコックピットの上に向けると、思いがけず月がよく見えた。どうやら思ったより距離を稼げていたらしい。

 先ほどまでの戦闘による多少のずれは、ハーキュリーズのリアクター出力なら十分フォローできる。

 今度こそ飛び立つ時だ。

 ハーキュリーズの変形は0.5秒で完了する。

 再び高速巡航形態となり、スラスターに大量のエネルギーを注ぎ込む。

 機体を包み次第に高まっていく駆動音に身を任せながら、ハイドラは視線の先で青白く輝く月へ向けて周回軌道を離脱した。


(つづく)

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