Chapter3:覚醒

 不気味な少年との戦いから数十分後。

 ターゲットの屋敷からウォーレッグで一飛びといった距離にある、モントレー家の別邸。

 IT企業のオフィスといったおもむきの書斎で、ジョナサンはあの少年のことを取り合えず頭の中から追い出し、早速戦利品の売却作業に取り掛かっていた。

 その左頬にはホワイトテープでガーゼが当てられている。

 L字デスクに置かれたデスクトップ・ターミナルに向かい、盗品専門のオークションサイトに次々と屋敷から持ち出した品の情報を入力していく。

 落札された品から、速やかに改造品の宅配ドローンや無人トラックで運び出されていく。

 傍らには大男モハメドが微動だにせず立ち、向かって左のデスクでは眼鏡をかけたサイモンがどこか落ち着かない様子でジョナサンの作業を手伝っている。

 そしてジョナサンの向かい側、部屋の中央では、屋敷から攫ってきた女が椅子に縛り上げられている。

 何かの拍子に顔を上げる度にこちらを睨み付ける女と目線が合う。

 似たようなことは何度もやってきたが、こんな女は初めてだ。

 これで泣き喚いたりすれば猿轡を噛ますつもりだったが、観念しているのか連れ出してから一言も喋っていな――

「貴方達は、必ず報いを受けるわ」

 ――何の前触れもなく、女が唐突に口を開いた。

「へっ、お前のガキがゾンビにでもなって復讐に来るってのか?」

 ジョナサンの冗談にも女は表情一つ変えなかった。

「彼は生きているわ。どんな手を使ってでも、私を取り返しに来る」

 まるで少年が生きているのを確信しているように言う。

「だったら今すぐ家に電話してやる。お前の声で1億テール持ってくるようにってな」

 ジョナサンはもう、この女を金に換えることしか頭になかった。

 殺せば絶対に金にならない。あのガキに身代金を払う当てがあるならそれまでだし、ないならないで、闇系の売春クラブ辺りに女を売り飛ばすまでだ。

「兄貴、彼女を解放しましょう! あの少年は見た目通りの人間では、絶対ありません!」

 もう我慢ならないという風に、サイモンが言った。

「サイモン、てめえは黙ってろ。嫌なら俺が黙らせてやったっていいんだぜ?」

 サイモンに中央で結び目を作ったタオルを振って見せながら、女に先を続けるよう促す。

「彼の名はハイドラ・エネア。"スパルトイ計画"で生み出された強化人間"エキドナの子供達"……その最後の生き残りよ」

 ジョナサンは統合大戦を最前線で戦っていた父親から、"エキドナの子供達"あるいは"エキドナの子"と呼ばれた兵士達がいたという話を聞かされたことがあった。

 だがそれは劣勢に苦しむ緒戦の統合派の一般兵が、でっち上げた作り話だとジョナサンは考えていた。

 おまけに大戦から15年も経っている。あの少年がそうだというのは、俄かには信じ難い話だった。

「おいおい、統合大戦から何年経ってると思ってやがる。あのガキは赤ん坊の頃からウォーレッグに乗ってるとでも言うんじゃねえだろうな」

「彼は今31歳よ。強化処置の影響で、成長が止まっているの」

 まるで彼のことを生まれた時から知っているような口振りだった。

「なんでお前がそのことを知ってる?」

「彼に、ハイドラに強化処置を施したのが、この私だからよ」

 ジョナサンはそこで、女との会話を打ち切った。

「父さん? 父さーん!」

 その声に反応し、本邸に居るはずの父ドレイク・モントレーとテレビ電話が繋がった。

 天井の片隅に設置されたホロプロジェクタが、ジョナサンのすぐ目の前に、木製の重厚なプレジデントデスクに座る恰幅の良い壮年男の姿を映し出す。

『おおジョン、一体どうした?』

「今日強盗に入った家から連れてきた女がね、"エキドナの子供達"が自分を取り返しに来るなんて、怖いことを言うんだよう!」

 お互いに猫撫で声だ。

 ジョナサンが女を指差すと、部屋に設置されたテレビ電話用のカメラの一つが女の方を向く。

 その姿を見ているはずの父の顔が、たちまち青ざめた。

『……ジョン、すぐにその女を解放し、本邸に戻れ』


 屋敷が襲撃を受けてから数時間後。

 ハイドが重い身体を引きずるように屋敷まで戻って来た時、周囲は夜のとばりに包まれていた。

 全身ずぶ濡れで一歩踏み出す度に泥水が滴り落ち、靴も片方脱げてしまっている。

 緑のタスクに投げ捨てられた後、ハイドは運良く木々の間に隠れていた沼へ落ちた。

 ハイドの見立てでは常人なら3回は死んでいる状況だったが、彼は無事水面まで浮かび上がり岸辺まで泳ぎ着いた。

 脱げた片方の靴は、沼の底にあった枯れ木に引っ掛けてしまったのだ。

 丘の上まで戻ってくると、屋敷は裏側を中心に中途半端に破壊されているのがよく分かった。

 こんなことなら瓦礫の山にしてくれた方が、まだ諦めがついた。

 まるで演劇の書き割りのような、表側はほぼ無傷の姿が、裏から見た時のみすぼらしさを却って際立たせる。

 壁が破られた場所から、骨董品置き場だったらしき部屋に、床が汚れるのにも構わず上がり込む。

 置かれていた品は一つ残らず持ち去られている。この様子では他の部屋も同じだろう。

 自分が屋敷に駆け戻ってから、戦いに動き出すまで数分しかなかったはずだが、随分と手際が良いものだ。

 そのまま廊下に出ると、部屋を出てすぐの目出し帽の男の死の側に、リコの死体が横たわっている。

 頭の右半分が潰され、左前足と背骨がおかしな方向に曲がっている。

 ハイドは冷たくなったリコの身体を両手で抱き上げ、屋敷の外へ出た。

 自分の元へやって来たばかりの時は手に乗るか乗らないかの大きさだったのに、こんなにも大きくなった。

 車庫の工具置き場から取ってきた園芸用のシャベルで、庭の片隅に穴を掘り、リコをそっと置いて埋めなおす。

 大型車が屋敷の門を破った時、一緒に壊れた柵の一部を墓標代わりに建てたところで、胸の痛みに耐え切れず、ハイドはその場にうずくまった。

 涙が溢れ出し、喉の奥から自然と嗚咽が漏れる。

 リコがハイドとディシェナの家族に加わったのは、5年前の終戦記念日。

 統合政府樹立から10年という節目の年で世間が浮かれる中、ハイドはそれ故にが、ディシェナにとってのが、戻ってこないことを否応なく実感させられ、一際深い悲しみに暮れていた時のことだ。

 彼らが葬られている――といっても、そのほとんどが遺体を回収できていないのだが――墓地から帰る途中のハイドとディシェナの前に現れた子猫が、リコだった。

 道端の茂みで親らしき猫が死んでおり、他に子猫の姿はなかった。

 一人ぼっちの子猫の姿にきょうだい達を失った自分を重ねたハイドは、その子猫を連れて帰ろうとディシェナに提案した。

 屋敷で二人で世話を始めたのだが、それをきっかけにハイドは世界が徐々に明るくなっていくように感じた。

 そう、"統合大戦"で心に深い傷を負った自分とディシェナに寄り添ってくれた者こそ、リコだったのだ。

 そのリコが今日この日、理不尽な形で呆気なく失われた。

 その事実がハイドを更に深い悲しみへと沈める。

 そのままどれだけ泣いていただろうか。彼にはほんの数分だったようにも思えたし、数時間だったようにも思えた。

 次に顔を上げた時、ハイドの胸の奥底には怒りが宿っていた。青色く静かに燃える、冷たい怒りの炎だ。

 必ずディシェナを、母を取り返し、自分達の日常を奪った代償を支払わせてやる。

 一旦屋敷に引き返す。

 3階の自分が寝起きしている部屋は、奇跡的に手が付けられていなかった。

 理由は分からないし、知る必要もないが、自分の秘密を襲撃者達に見られていないのは素直に喜べる。運も実力の内という奴だ。

 戸棚の中の物に目が入る。

 ウォーレッグ用機銃弾の薬莢、IDタグ、撃墜した敵機からこっそり剥がしてきたエンブレム、ぬいぐるみ、手作りの勲章、古びた松ぼっくり、画面が割れたハンディ・ターミナル、端が焦げた本、アートが施されたネイルチップのコレクション、そしてパイロットスーツ姿での集合写真――一瞬感傷に浸りかけるが、すぐに気を取り直し、戸棚そのものに手を掛ける。

 壁との隙間に手を入れ、裏側に隠されている隠しボタンを押しながら引く。すると戸棚がまるで扉のように開きだした。

 そこにあったのは、きっちり折り畳まれているパイロットスーツと、新品同然の光沢を放つヘルメットが入れられた、透明なケースだ。

 4桁の暗証番号を入力してケースを開き、その二つを取り出す。

 同じく無傷だったシャワールームで体の汚れを軽く洗い流し、青灰色のインナーに手足を通す。続いて赤と黒を基調とするスーツに体を入れ、ファスナーとベルトを締める。最後にグローブとブーツを装着する。

 ヘルメットを脇に抱え、屋敷の外へ出ると、裏手の森に再び足を踏み入れた。

 森に入ってすぐの場所にある、一見壊れかけの納屋に見える小屋へと向かう。

 大きさの割に重くない扉を小さく開き、中へと滑り込むように入り、扉を閉める。

 採光用の窓や壁の隙間から星明りが差す、土埃ばかりで何もない文字通りのあばら家だ。

 ハイドは出入り口から見て一番奥の壁の一部を開き、中の静脈認証センサーにグローブを嵌めたままの右手を当てた。

 すると目の前の壁が引き戸のように開き、納屋の外見にはおよそ似つかわしくない、金属製の部屋が現れた。

 人が一人ゆったりと入れる大きさの箱状で、向かいの壁際にはレバーが一つ付いているだけの小さな台がある。

 そこにに踏み込み、ハイドはレバーを手前に引いた。

 途端に足元の床が沈み込み、そのままゆっくり下へと降りていく。エレベーターだ。

 四角いシャフトを十数メートル程下っていくと、エレベーターは間もなく巨大な空間の隅に出た。

 統合大戦中、統合派の秘密工廠として使われていた場所だ。

 壁際のケージに、輸送台に乗せられたウォーレッグが固定されている。

 色は純白。四角い箱を組み合わせたような見た目のタスクに対し、こちらは西洋甲冑を纏った人間のような、直線と曲線が共存するどこか芸術品じみた見た目をしている。

 特徴的なのは頭部のランプセンサーを保護するバイザーで、5つのスリットに区切られ甲冑じみた見た目に拍車を掛けている。

 また丁度輸送台の支柱に接続されているので、真横からでも分かりにくいが、バックパックには巨大な翼が折り畳まれている。

 統合大戦期、自分達が乗ったウォーレッグの運用データを基に作られた、究極にして唯一無二のウォーレッグ"LXS-UM11ハーキュリーズ"だ。

 大戦末期に完成しながら、一度も実践投入されないまま終戦を迎え、今までこの地下格納庫ハンガーに死蔵されていたのだ。

 壁のレールに沿って進むエレベーターが、真っ直ぐ格納庫の床面まで降り切ってから止まる。

 そこでハイドはケージ正面に備え付けのマルチエレベーターに乗り換え、ウォーレッグの胸部の高さまで上昇した。

 ケージの足場に移り、パイロットスーツ左腕のターミナルを操作する。胸部のハッチが上下に開き、続いて球形のコックピットブロックの二重シャッターが開かれ、その奥にパイロットシートが現れる。

 次は足場から機体に移り、パイロットシートに座る。シートからパイロットスーツ越しに読み取られた、ハイドの生体情報がキーとなり、OSの起動音と共に足元からコンソールモニターが現れ、起動画面の後すぐに必要な情報が表示される。

 一対の操縦桿とペダル、フットバーという操縦系の構成はワークレッグと同じだが、ファンクションボタン等の雑多なボタン類はハーキュリーズのコックピットには無い。

 それらの操作は全て、握った操縦桿から指を伸ばしてすぐの位置にあるタッチパネルで行う。

 そのタッチパネルからの操作でシャッターとハッチを閉じ、ハイドはシートの下からキーボードを取り出した。

 今すぐにでも格納庫から飛び立ちたいが、その前にやらなければならないことがある。

 幸い、屋敷には自動通報装置の類は置かれておらず、街から離れているので異変が起きてもすぐに気付く者はいない。

 時間は十分にある。例えどんな場所に逃げようと、必ず見つけてやる。

 ハーキュリーズのコンピューターはその性能を十全に活かすため、生半可なターミナル等よりも遥に高い演算処理能力を持っている。

 あの男が他にも犯罪に手を染めている可能性はあるが、目出し帽の一人は他にも強盗をやっていると言っていた。まずは強盗の線から当たろう。

 統合警察庁のデータバンクに侵入。この周辺で起きた強盗事件からからあの三機のタスクの姿が目撃されている事件を絞り込み、コンソールモニターに呼び出す。

 調べ始めるとそれらはあっさり出てきた。中にはディシェナを攫ったあの男が、目出し帽の男達に指示を出している姿を、はっきり目撃されているものもあった。

 更にその強盗事件の捜査記録を調べていくと、面白いことが分かった。

 どの事件も捜査が途中で打ち切られているのだ。しかも統合警察庁の長官直々の命令だという。ますますきな臭くなってきた。

 今度は金融庁のデータベースにアクセスし、警察長官の所有する口座の入金記録を調べる。すると、捜査打ち切りの前日、エチゴヤというふざけた名義の口座から、長官の口座の一つに必ず入金があったことが分かった。

 次はこのエチゴヤが何者かということだが、これはあっさり分かった。

 この口座に何らかの操作のために、今までにログインしてきた個人用ターミナルは一つだけ。その名義人は"ドレイク・モントレー"。

 まさかとは思ったが、ATMからエチゴヤへのログインがあった時間に、ログインが行われたATMの防犯カメラに映っていたのは、統合大戦の英雄にして、地球統合政府の名物議員・ドレイク上院議員その人であった。

 随分と不用心だが、おかげで助かった。これが個人に紐付けられないプリペイド式のターミナルだったら、もっと面倒なことになっていただろう。それでも特定しようと思えばできてしまうが。

 今度は血縁関係を探って行くと、彼の一人息子ジョナサン・モントレーの顔写真で、ハイドの手と視線が止まった。あの男だ。

 この金のスパイクショートヘアは、このピアスは、この下卑た笑顔は、強盗団を率いディシェナを攫って行ったあの男だ。

 これで全てが理解できた。ジョナサンが犯罪行為に手を染めながら、今まで一度も逮捕されなかったのは、父ドレイクが警察へのパイプを利用して賄賂を贈り、彼に捜査の手が及ばないようにしていたからだ。

 この事実を然るべき場所に伝えれば、ジョナサンを社会的に抹殺することは十分可能だ。

 だが、できるならこの手で引導を渡したい。

 時は来た。さあ行こう。

 目指すのはここから東に直線で20キロほど行った場所にある、モントレー家の別邸だ。

 キーボードを仕舞い、傍らに置いていたヘルメットを被る。

 左側のタッチパネルを操作すると、パイロットシートの周囲に球状に張り巡らされたスクリーンモニターが、外の様子を映し出した。

 右側のタッチパネルで、いよいよ発進プロセスの遠隔ファンクションを呼び出す。

 まずワイズマン・リアクターに火が入り、排熱ファンの重い回転音と共に心地よい振動がハイドの身体を揺らす。コンソールモニターにも自動的にハーキュリーズの三面図が表示され、自己点検が行われる。全て異常なし。

 続いてケージの前部が観音開きし、ハーキュリーズを乗せた輸送台が、黄色い回転灯を光らせながらキャタピラで前進を始める。

 格納庫内に設置された作業用のマニピュレータ・アームが、ウェポンラックから武器を取り、器用に動いて装備させてくれる。左前腕部に縦長のやや歪な六角形をしたシールド、右肩後部のウェポンクリップに、身長の3分の2程はあろうかという巨大なブラスターライフル。

 その間にも輸送台は順調に進み、それに合わせて突き当りの壁のシャッターが巻き取られていく。行く手を塞ぐ金網のフェンスも左右に退くと、そこにはさらに奥へと続く巨大な通路が現れた。

 コンソールモニターにプロセスの進捗状況を呼び出すと、ハーキュリーズは発進口に繋がる通路を進んでいるのが分かった。

 間もなく輸送台がゆっくりと通路から発進口の下へと出てきた。四角い空間の中央で停止し、床からせり上がってきた爪状のロック機構でしっかりと固定される。

 ハイドが頭上を見上げると、天井の6枚の隔壁が次々と開いていき、最後に屋敷の庭の長方形のプールがスライドし、発進口があらわになった。

 いよいよ最終シークエンスだ。

 輸送台の支柱が機体を離れて後方に倒れ、足首の固定具が前後に開かれる。

 発進口内部に一定間隔で設置されたシグナルが、赤から青に変わる。

 両方のペダルを流すように踏み込んでいくのに合わせて、バックパックに6基、脚部に片側4基づつ8基の計14基装備されたスラスターの噴射音が高まっていく中、ハイドは口の中で呟くように言った。

「ハイドラ・エネア、ハーキュリーズ……ブラスト・オフ!」

 ペダルを踏み切ると同時に、何の前触れもなく機体が輸送台から浮かび上がり、徐々に加速しながら発進口を上昇していく。

 周囲の草を揺らしながら発進口を飛び出したハーキュリーズは、トップスピードで屋敷の屋根よりも遥か高く上昇すると、ウィングを広げてほぼ直角に水平飛行に移り、モントレー家の別邸へ向けて一気に飛び去っていった。


(つづく)

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