第9話 大人達の会話

「若者達はいいねえ」 


 隊長席でのんびりとタバコをふかしながら、嵯峨は窓を開けて身を乗り出すようにして通用門に向かうバスを眺めていた。


「ラン。お前も行けばよかったのに。そのうち騒がしくなったら遊びにも行けなくなるぜ」


 振り向いた嵯峨の一言にランはめんどくさそうに口を開く。


「確かにそうなんだけどよー……」 


 ランはソファーに腰掛け、隣に立っている司法警察と同規格の制服を着た女性を見やった。黒いセミロングの髪の女性は、胸の前で手を組み、立ったまま嵯峨の様子を覗っている。


秀美ひでみさん、とりあえず腰掛けたら……」 


 嵯峨は窓のサッシに寄りかかりながら笑顔でそう言って見せる。


「服が汚れるから止めておくわ」 


 やわらかい笑顔を浮かべながら安城秀美あんじょうひでみ少佐はそれを断った。


 静かだが明らかに軽蔑したような彼女の視線に嵯峨が身をすくめる。司法局の正規の特殊部隊である公安部隊隊長の安城秀美はまた身を翻して子供のように窓から身を乗り出している嵯峨の様子を見守っていた。


「それより近藤資金の生データがなぜうちに来ないのか、説明して貰えるかしら?」 


 詰問するような調子で安城は嵯峨を見据えている。


「中佐殿。あれだけだろ?ウチで把握してる資料って……」 


 嵯峨はようやく執務用の椅子に戻って目の前の決済済みの書類の山をぺらぺらとめくる。彼は決して安城を見上げようとはしなかった。


「諦めろよ、隊長」 


 安城が東和共和国屈指のハッカー能力を持つことを知っているランのそんな一言を聞くと、嵯峨は仕方がないと言うように手元にあった紙切れに四文字のカタカナを書き付けて机の端に置いた。


「それで正面からウチのシステムに入れますよ」 


 それを見ると安城は歩み寄ってその紙切れを拾い上げた。安城はまるで欲しかった人形を手に入れた少女のような表情を浮かべる。嵯峨の視線か秀美に釘付けになった。


「秀美さん。今日はこんな紙切れのために来たんじゃないんでしょ?」 


 ランが見ていることに気がつくと、嵯峨はそう言いながら咳払いをして椅子に深く座りなおした。


「そうね。法術特捜部隊の設立に関して同盟司法機関直属の実力部隊としての総意を取り付けようと思って……その設立は早急かつ万全である必要があるということで」 


 ようやく穏やかな表情に戻った安城が嵯峨を見つめる。


「それなら次の司法局の幹部会にでも……」 


「あら、いつもそこで居眠りばかりしている人は誰なのかしら?おかげで司法局には無駄飯食いが多いと軍や同盟幹部から突き上げを食らうのはいつだって私なのよ」 


 そこまで言うと参ったと言うように嵯峨は両手を頭の後ろに持ってきて苦笑いを浮かべる。


「きついなあ、秀美さんは」 


 嵯峨のそんな態度に安城は明らかにいらだっているように大きく見せ付けるように息を吐いた。


「パイロキネシス……いわゆる人体発火能力のように以前からのテロ行為とのハイブリッドの攻撃だけならうちでも対応可能かもしれないけど……。戦術的な意図を持って法術を使用してのテロが行える組織が存在するようならうちの手には余るわ」 


 ここまで言うとさすがに嵯峨も関心がある話なのでそのまま安城を見上げるようにして机の上に頬杖を付いて真剣に聞き入る。


「それにウチはにはここの神前君や嵯峨さん、そして『人類最強』のクバルカ中佐みたいな法術適性上位クラスの隊員はいないのよ。あくまで私のように軍用義体持ちのサイボーグによる急襲作戦が主体……物理攻撃以外を仕掛けてくる相手は手に余るわ」


 大きくため息をつく安城を見ながら嵯峨はタバコを灰皿に押し付けて立ち上がる。 


「確かに同盟機構の上層部が機動部隊であるうちと対テロ部隊の秀美さんの部隊の設立には積極的だったのは法術の公表の前の話だからね。自爆テロと爆弾テロを組み合わせてるとか、同盟加盟に難色を示す一部の軍部隊の暴走やベルルカンで動いている同盟軍の側面支援とか。そんなことしか頭に無かった偉い人には法術犯罪の専門部門を司法局に新設する必要性なんて感じてないかもしれないねえ」 


 諦めたように静かに呟く嵯峨。吉田も黙ってその様子を見つめている。


「つまり法術絡みになればうちはお手上げなわけよ。新設される法術特捜のフォローは嵯峨さんの所でしてもらわないと困るのよね」 


 そう言い切られて嵯峨は困ったような顔をして押し黙る。


「そんな顔しても無駄よ。まあこちらの領分、既存のテロ組織関連の事件ならいつでも引き受けるけど」 


 穏やかな口振りだが、語気は強い。ソファーに腰掛けたランが伸びをすると、困ったような目で安城を見つめる嵯峨の姿があった。いつまでも困った顔を続ける嵯峨に安城は大きくため息をつく。


「先週の同盟司法会議でも柔軟に対応すると言うことでお手伝いが出来るような体制を作るように上申しておいたの見てなかったの?まあ嵯峨さんはまた寝ていたみたいだけど」


 寝ていた事実を指摘されるとさすがの嵯峨も頭を掻きながら手にしたタバコの箱を転がすことしか出来なかった。そのまま嵯峨は再びどっかりと椅子に体を預ける。 


「だってさあ……頭の固いお偉いさんに具体的な事例も挙げずに戦力強化のお話なんて……結果が見えてるもの。話しをするだけ体力の無駄だと思ってたからねえ」 


 とぼけたような嵯峨の態度に安城は苛立つばかりだった。


 嵯峨はそう言うと一枚のディスクを取り出した。


「何、これ」 


 安城は静かにディスクを受け取る。何の変哲も無いデータディスク。親指の爪ほどの黒い板をじっと見つめる。ランはそれが何かを知っているとでも言うようにソファーで静かにうなづいていた。


「プレゼント。という事でどう?」 


 嵯峨はニヤリと笑う。安城は嵯峨の言葉遣いに彼を見つめて一瞬ハッとした後、照れるようにディスクに目を移す。


「見ねーのか?隊長は」 


 ランは嵯峨を一瞥して不満そうにつぶやく。彼の不満そうな表情から秀美はそのディスクの内容があまり公に出来ないが重要な情報が詰まっていることを察した。 


「見たよ。ランよ、うちの情報将校達もよくやってくれたねえ。でもまあ予想の範囲内ってとこか」 


 そう言うと嵯峨は鋭い目つきで自分をにらんでいる安城の目を気にしながらタバコに火をつけた。


「裏の取れていない近藤資金の流れの未発表資料?」 


 安城は軽く掻き揚げると足元のかばんを開き、バインダーを取り出して並んだ同じようなディスクと一緒にそのディスクをしまった。


「上手い事、公然組織に分散してたからね。末端までたどるのに苦労したよ」 


「末端組織まで……諜報局からのデータにいくつか加筆したのか?」 


 見上げたランの先に、いつもの通り眠そうな嵯峨の瞳が漂っている。


「東ムスリム革命戦線、皇国の旅団、聖職者会議。まあぞろぞろとおっかないテロ組織の名前が出て来る出て来る……甲武の貴族主義非公然組織の帳簿だっていうのに遼州のテロ組織の名鑑ができるほど隅々まで金が行き届いているよ。近藤という男……甲武の参謀にしておくには惜しい男だったというところかね。この集金と分配の能力は政治家、しかも派閥の領袖りょうしゅうだって務まるよ」 


 嵯峨がたとえに上げた頻繁に遼州各地でテロを行っている具体的組織名に安城の顔が真剣なものへと変わる。


「そのあたりの名前と金の流れだけならうちでも把握してるわよ。それならこれをもらう必要なんて無いわね。わざわざ手渡しってことはそれ以上のもの……何か掴んだの?」


 安城の目色が変わる。


「遼帝国の米軍基地を標的にした自爆テロ。確か現役のアメリカ海軍兵士が20名程お亡くなりになった事件。ありましたよね。あれからもう三ヶ月だ。遼の警察当局もがんばっているねえ……とりあえず遼州民族派の幹部の逮捕状を請求するくらいまで来たんだ。大したもんだよ……ただねえ……」


 いつものように相手を嵯峨はもったいぶってつぶやいた。安城はだまされまいとその言葉に耳を澄ます。 


「奥歯に物の挟まったような言い方なんとかならないの?とりあえず何が言いたいのかしら?」 


 苛立つ安城に嵯峨は満面の笑顔で答えた。


「このところベルルカンが妙に静かじゃない?雨季特有のクーデターも無い。これまで毎日起きていたテロがぴたりと止んだ」 


 安城は嵯峨を見つめた。物悲しげな殺気を感じないその表情。だが彼女はその表情を見るとどうしても目の前の男に近づきがたい雰囲気を感じる自分がいることを知っていた。


「近藤事件以降、テロ組織が方針を転換したとでも?」 


 ようやく気がついたかのように安城はそう言った。


「そのあたりを頭に入れてそのデータを見ると納得が行く。非公然組織への資金供与や政界工作の為に流れていた資金だけど、俺が見ただけでもそれらに割いた数倍の金額が消えてなくなっている。まあテロ組織も資金の見通しが急にたたなくなって戸惑ってるんじゃないですかね……まあ近藤の石頭に私的流用なんて器用なことできるわけが無いからその金がどこに行ったか……」 


「つまり、正体不明の資金がどこかに流出しているって言う訳?確かに甲武の公安憲兵隊が見つけた近藤中佐の公然組織名義でプールされていた資金があまりに少ないのには私も唖然としたけど……やはり『廃帝』ね」


 安城はそう言って手にしたディスクを見つめた。


「いや、違うんじゃないかな……法術師を囲ってることで言えば『廃帝』ハドが一番なんだろうけど、奴にはそれほど金を必要とする組織無いはず……懐具合は甲武陸軍の機密費で十分やっていけると思うよ……それよりゲルパルト……火が入るとかなりヤバいことになるかもね」


 そう言うと嵯峨は頭を掻きながら安城を見上げる。


「嵯峨さんを目の敵にしてるネオナチの残党……確かに極秘裏に機動部隊を所有している彼等には資金が必要ですものね……」


 安城は静かにため息をついた。嵯峨はタバコを灰皿に押し付けてもみ消すと、次はボールペンで頭を掻き始める。


「その……ねえ。ディスクを見てもらえればわかるけど、あくまで現時点の話ですから。金は天下の回り物。つかめる範囲での新しい情報が入ったらその都度うちの若いのに連絡させてもらいますよ」 


 そう言うと嵯峨は立ち上がった。


「それでさあ……秀美さん。美味い蕎麦屋があってね、これから暇なら昼飯くらい……」 


 嵯峨の今にも揉み手でもしかねない態度の変化。安城はいつもそんな豹変する嵯峨に振り回されてきた。


「残念だけど、これから所用があるのよ。ちょっと面倒な組織の内偵……それに茜さんと約束もしてるし……」 


 そう言うと安城は悪戯っぽい笑みを浮かべる。嵯峨の笑みが『彼女』と言う言葉を聞くと一瞬だけ残念そうな表情に変わるのをランは見逃さなかった。


「さっき言った通りテロ組織で派手に動きそうなのは『廃帝』とネオナチ位なんだから……蕎麦を食いながら今後の方針を……それに『廃帝』がらみなら茜を交えて真剣にやらないと……」 


 食い下がる嵯峨だが、安城は手にしたバッグを一度開いて中身を確認すると背筋を伸ばして嵯峨を見つめる。


「また今度にしましょう。彼女ったら結構まめなのよね。父親とは大違い」 


 安城はそう言うと親しげな笑みを浮かべて部屋を出て行く。 


「振られてやんの」


「笑うなよ中佐殿……」 


 振られた嵯峨を見て笑うランに情けない顔を晒す嵯峨だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る